食べ物

2010年5月21日

武士道ワンポイントレッスン
四回目のテーマは「食べ物」
地球に人類しか存在しなかったらどうなるの? 
こんな事を考えたことはありますか?
地球上に人類しか存在しなかったら、間違いなく人間は共食いをするしかありません。
それこそ弱肉強食です。
弱い者はいつも恐怖に怯えて、命からがら逃げ惑うしかありません。
我々の食べ物は何なのか? 考えたことはありますか?
食べ物は全て生きとし生けるものの命です。
生ある他の生き物の尊い命を食べ物として頂戴し、人間も動物も魚も生きているのです。
自然に従って生きている動物たちは貯蔵をしません。
アフリカの炎天下に住んでいても、冷蔵庫も冷凍庫も持ち合わせません。
だから、たった今、その場で必要な分だけの命を頂きます。
残った物は、ハイエナや他の生き物に上げて、捨てはしません。
てんとう虫とアブラムシの関係だって、てんとう虫はアブラムシを苦しませずに殺し、その後はみんなで仲良く分け合って食べて、何一つとして無駄を出しません。
人間は自然に逆らって生きています。
だから、自己の安全と安心の為に貯蔵をします。
そして、余分だと思うと、生き物を殺している事を忘れて、平気で捨て去ります。
これは、他の生き物の命を軽視しているということです。
だから、自分の命も粗末に扱って、自殺をするのです。
自殺をするのは人間だけでしょう。
犬や猫が自殺したなんて聞いたことがありません。
そして、人間を天敵とする生き物がいません。
人間は走るのも、噛み付くのも、引っかくのも、泳ぐのも、飛ぶのも、それぞれの動物と比べてみても秀でているものがない、肉体的には弱い生き物だからです。
その弱い生き物が生きていけるように、智恵を授かっています。
だから、その智恵は自然界を融和させて調和を図るために使うことが、与えられたものの使命であると思います。
しかし、現代の人間は智恵を自分たちのためだけに使っています。
自然界で天敵に狙われるた生き物は、安楽死ができる自然の仕組みがあります。
蛇ににらまれた蛙は気絶してしまい、飲み込まれたときは苦しくありません。
鷹に襲われた狐は、急所を爪でつかれるから痛みも苦しみもなく即死できます。
ライオンに襲われたシマウマが、飛びつかれてから苦しい顔をして逃げ惑うことはなく、飛びつかれたと同時に気絶してしまいます。
でも、人間の食べ物となる牛も豚も鶏も、殺されるときは悲鳴を上げて嫌がり苦しみます。
それなのに、人間はその肉を平気で捨てています。
人間はもっと自然と融和する事を考えて、自然の摂理に則った謙虚な生き方をすべき時がきているのではないでしょうか?
生きとし生けるものの命を大切にすることが、結果的に自分の命も大切にするということになり、自殺撲滅につながると思えませんか?
自殺をする人は、産んでくださったお母様に感謝をするのをわすれていると思います。
生みの苦しみ、育てる大変さ、税金を使って学問を身につけ、多くの人の親切で大人になります。
母親に感謝がないから、人間には命を投げ出してくれている生き物に対しても感謝がありません。
感謝があればむげに捨てたりはしなくなります。
でも、魚が切り身でテーブルに出ていると、命あるものだったという意識がまったく起きないのも確かです。
ましてやミンチされて、お団子にでもなっていたら、小さい子供の誰が、元が海老だったとか、鶏だったとか・・・想像つくでしょうか?
嫌なことがあると、生命の大切さが解らないから命を捨てることを考えてしまうでしょう。
命の大切さは親が教えたり学校で教えなければ、気が付かないまま大人になってしまいます。
微分積分や難しい方程式は解けるのに、命の大切さに気が付かない大人になってしまうのです。
生命とは何なのか?
もう一度考える必要があると思います。
そして、生命とは何か? 
ここを意識をすることで、物を大切にしたり、親孝行をしたり、生き物を大切にする、無駄をしない、などという考えが育つのではないでしょうか。
日本の宗教である神道というものは、自然を讃え、自然を敬い、自然と融和するための方法だったと思います。
雷を畏怖し、雨を畏怖し、お天道様に感謝して、自然と共に生きてきました。
でも戦後は高度成長のもと、宗教に対する間違った認識を植え込まれ、感謝を忘れて命を粗末に生きてきたように思えます。
そこへおかしな新興宗教が犯罪をおかしたから、たまったものではありません。
故に、自殺者が年間3万人を超えてしまうという、残念な結果が今あるように思います。
自殺者をなくすために、相談所を作るのと同時に、もう一度、生命について考えて、自然の中で生きている事を思い出すことからはじめてはいかがでしょう。
武士道はこういうところにも生きています。
By 本多百代・人間力向上セミナーより

武士道ブログ

武士道協会会報誌