『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第九回目のテーマは「大東亜戦争」
祖母が大東亜戦争と言って、母は太平洋戦争と言っていたように思います。
私は学校で第二次世界大戦か太平洋戦争と習ったような気がして・・・とてもあいまいで記憶がありません。
日本の国が国会で決めた言い方は大東亜戦争なのだそうです。
大人になるまでしりませんでした。
学校で勉強している間中、歴史は全然面白いと思わず、苦痛でしかありませんでした。
しかし、今は国史(日本史)が楽しくてなりません。
なぜ国史としたか? 馴染みがない言葉だと思いますが、国語は我々日本人いとって日本語です。
国史は自国の歴史という意味ですから、日本史ということはまるで外国扱いに感じますね。
つまり、日本語の授業と言わないように、歴史も国史と言う方が馴染み深くなるように思うのです。
初めて歴史が楽しくなったのは、実在した人物の生き方を知った時からです。
その人物から夢が広がっていくのを感じました。
学校の歴史では、大東亜戦争は、第二次世界大戦としてパールハーバーを日本が突然不意打ちをして攻撃して被害を与えたと教えられました。
なぜ攻撃したか?の一番大切な部分は『後からつけられた偽りの理由』を教えらてきました。
でも、あまり気にもならず、考えもせず、ただただ歴史はつまらないから、授業が苦痛でしかありませんでした。
それから幾年も過ぎたある日、渡部昇一先生の本を読んで、頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けました。
それから、すっかり国史にはまり、如何に昭和天皇が素晴らしい方だったか、どんな思いで我々の祖先がこの国を守ったか知りました。
でも、未だに『日本が戦争を仕掛けたから・・・』となどと考えられないような時代遅れの言葉を聞きます。
それも、終戦直後に生まれた世代の人たちから聞くことが多いのです。
日本は、戦略の為に戦争はしなかったそうです。
日本は、自国が独立国として存在し、2600年以上も続いた母国を後世に無事に引き渡すために選択をしたそうです。
私は日本人だから、こちらを信じます。
私が今暮らせる日本の為に戦ってくださった先祖の方々の気持ちを考えると、学校で習ったことは信じられないことなのです。
だから、私は、日本を良くするために何ができるかを考え、私たち日本人がみんな幸せになるにはどうするかを考えて、辛い戦争を戦い抜いて守ってくださった先祖の英霊に感謝をして暮らす生活を取り戻したいと思います。
これは一般的に戦後に言われている宗教ではありません。
亡くなったおじいちゃま や おばあちゃま、ひいおじいちゃま や ひいおばあちゃまに感謝をするということです。
明日は広島に原爆が落ちた日です。
朝、起きてから食事の前に黙祷をする人が何人いるでしょうか?
私も今までお祈り(キリスト教ではありません)をしたことはありませんでした。
でも、明日は祝詞を奏上した後で、黙祷をしようと思います。
皆さんはどう思われますか?
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