武士道

2010年9月20日

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23回目のテーマは「武士道」
武士道。なんと日本人に生まれてよかったと思える素晴らしい響き。そう思っていたのは私だけ?と思うことを度々経験します。私たちには当たり前になってきていることが、実はまだ世間では構えてしまうものでした。
武士道と聞くと、何故かひっかかるとか、引いてしまうという人がけっこう多いのです。私は武士道という言葉そのものを、全く意識しないで育ってきました。だから、武士道を自分なりに理解してポジティブにとらえることができたのかもしれません。
武士道とは、日本人が日々の生活の中で、自然と育んできた生き方です。テキストはなく、すべて口述で親から子へ、子から孫へと伝えられてきた口伝の教えです。だから、マニュアル社会で生きてきた人にはなかなか難しいことに思います。
Wikipediaでは「武士道は、封建社会の日本における 武士 階級の倫理及び価値基準の根本をなす体系化された思想一般をさす」と書いていますが、これは偏った見方だと私は思います。封建社会の前から武士道は存在していました。武士道というと、武士の道というイメージが強いので、武士とか武道などと同一視したり、武士や武道をする人にしか必要ではないと勘違いする人もたくさんいらっしゃいます。
私が武士道を唱え始めたとき、
「剣道はやっているのか?」
「武道はやっているのか?」
「武道は型から入るが、武士道は型がないからどうやって入るのだ?」
などと訳のわからない質問が沢山ありました。
なぜ剣道をしていなければならないの? 
武士道をするには武道をしていなければいけないの?
などと不思議に思っていました。
武士道は「生き方」であり、それは生き方の指針であり、生きる道とも言えます。だから、武道をしていなくても武士道を心得ることは十分できるのです。型から入らないと習得できない人は、目に見えるものしか感じ取れないのではないでしょうか。
人間は目に見えないものの方が多くありますし、比率も大きいのです。目に見えないものはイコール宗教や想像、などと決めつけてしまうのは早合点です。携帯電話だって、見えないものの力が働いていますね。今までの電話なら配線をたどっていけば相手先についたのですが、携帯は見えない電波です。これと同じように、見えない世界を否定してしまうと、解ける問題も解けなくなってしまうのです。
武士道は、見えないものです。
つまり心の問題です。
だからこそ、追求したら切りがないくらい奥深く広いものなのです。
偏見を持たずに武士道を受け入れてほしいものです。
生きるのがとてもらくになるのですから。

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