日記

礼儀作法

2015年1月29日

礼儀作法というと、きれいなお辞儀が出来る、挨拶が上手にできる、などと思うのではないでしょうか。でも、本当の礼儀作法とは、他人の嫌がることはしない、他人に迷惑をかけない、恥となることはしない、といういうことです。

つまり、付け焼刃で格好をつけない、振りをしない、誠実にいつも変わらず不動の心で人に接すること。

非常に難しい。簡単にできることではありません。

だから、「せめて形から入って中身を徐々に整える」という考えと、「心がきれいになれば名は体を表すの如く自然と礼儀作法が行き届く」という考えが出てきているのでしょう。

それでは、美しい挙措動作の人が美しい心の持ち主か? というと、正直甚だ疑問点は大きいのではないでしょうか。

目標値を定め、目的をはっきとさせ、美しい心を表現するための作法があることを認識しながら、作法を覚えるのが良いのでしょうね。

皆さんはどう思いますか?

元寇防塁跡 生(いき)の松原

2015年1月28日

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神風が吹き、日本が侵略されずに済んだ

この様な話を聞いても今までは、余りピンと来なく古い化石のような話だと思っていました。しかし、「元寇防塁」という言葉を福岡に行くとよく耳にします。その時に、必ず出てくる言葉です。そこで、実際にこの目で元寇防塁跡を見ることにして、立山常務理事に案内して頂きました。

そうしたところ、現場に立つと美しい海を眺めながら、その防塁はまるで昨日の事の様にそこに現存しているのです。防塁の前に立つと温かな光を受けました。平和で美しい眺めです。でも、これは過去の恐ろしい出来事が積み重ねられ、祖先が命をかけて守ってきたからこそあると思うと、感動と改めて武士道協会の果たす役割の大きさを感じずに入られませんでした。

強制や否定、欲がはびこれば戦争しかありません。二度と命を粗末にするようなことが起きないように、心身ともに強く文武に長け、親孝行を常に頭に置き、調和を図り融和をしながら生きるように、その道を明るく分かるようにする役割があると思いました。会員の皆様、お一人お一人の全員の力を必要としています。

これからも武士道協会を支えて頂けます様、お願い申し上げます。

魂(心・精神)その2  (大和魂・大和心)

2014年12月21日

自分の心を思い通りに操れる人はどの位いるでしょう。

「ここで腹を立てたらいけない」と思いつつ、子供を怒鳴りつけてしまった。

誰でも失敗はするはずなのに、なぜ寛大になれなかったのか、と自責の念に駆られたり。

親に口応えしてはいけないと思いながら、生意気な口をきいてしまったり。

ダイエットしようと思うと余計にお腹がすいたてしまい、誘惑に負けて食べてしまったり。

この誘惑こそ、自分の心でしかありませんね。

どうやって誘惑に勝つか? それが武士道精神を鍛えるところなのです。

武士道と聞くと、とても厳つい特別な生き方のように感じる人が多いと思いますが、実際は平素の生活の中で誰もが穏やかに暮らすための方法なのです。

魂(心・精神)その1 (大和魂・大和心)

2014年10月31日

魂とは何なんでしょうか? 肉体とは違うものということは誰もが分かっています。でも、武士道はこの魂の部分に焦点を当てています。大和心・武士道、大和魂という人もいます。日本人の生き方、大和民族の生き方です。その根幹にあるは、死んだ時に肉体と一緒に消滅してしまうものなのでしょうか。

ここの部分について話し合うと揉めてしまうことから避けてきているように思えてなりません。本当は、この部分に焦点を当てて、科学者も医者も含めて大いに論議する必要があると思うのです。

私は、魂は死んでもなくならないと思います。なくなる程度のものなら、葬儀も不要ですし供養も30回忌までする必要などないからです。言い伝え、しきたり、となっているイベント(葬儀、通夜、供養、法事、喪中…)は、言い伝えとなった意義、理由があるはずだと思います。

私たちが業者が記載した消費期限で食べ物の腐敗をはかり始めてから、腐っているかどうかを自分で見分けられなくなった若者が増えました。それが日を重ねていったら、きっと腐ったものを自分で見分けられると言っても誰も信じなくなるでしょう。それと同じだと思うのです。

つまり、文明の発達とともに失ってきた本能の部分を加味してからしか判断できないはずです。その時代に合わせて、その時代の人になりきって考えなけてば、神話もおとぎ話といって片付けていては、誤った判断をしてしまうようで恐ろしく感じます。

魂にとって肉体は車と同じであったとしたら? その車にどのように乗るのか、どのように扱うのか、それによって車の燃費も寿命も見てくれも全てが違ってきます。もちろん下取りに出す時の売却金額も大きく差が出るでしょう。

それと同じで人間の肉体も、扱い方次第で年の取り方も若さもすべて違ってしまうではないですか。運転手が魂であり、車が肉体だと考えたら? 魂は肉体とは別物なのだという想定が十分たてられるのではないでしょうか。

続く

ヤジ

2014年6月26日

都議会での野次。なんの深い意味も悪意もなく、いつもの習慣でヤジを飛ばした議員さんたち。

でも、言われた女性には、一生心に残ってしまうほどの傷を与えてしまった。

切れると思わないで振り回していた日本刀で、気が付いたら傷を負わせてしまっていた。

これと、どのくらいの違いがあるのでしょう。

私も似たような経験があります。きっと同じようなことをしてしまった経験もあるかもしれません。

でも、この場合傷を負わせた人は、よほどでない限り今回のように罰を受けずにすんでしまっているのです。

武士道は惻隠の情。

相手の立場を思うことが大前提。

時間を守る人、時間を守らないと怒る人はたくさんいます。

でも、言ったことを守る人は意外と少ないですね。

そして、言ったことを守らなくても、言葉で取り繕って逃げてしまう人が多いのも事実です。

約束とは、証文を交わさずとも、指切りげんまんをしなくても、言ったことを守るということ。

自分の口から出た言葉の責任を負うということ。

ヤジもそう思ったら、簡単には口から出せなくなるはずです。

口から出した言葉は最後まで責任を持ち、約束を守りましょう。

産めないのかといった議員の男性。ご自身だって産めないじゃないですか。

自分にできないことを他者に強要することははしたないと思ったら、きっと言わなかったでしょう。

常に、

約束は守る、

言ったことは守る、

自分にできないことを他者に強要しない等、

人として守るべきことを当たり前に守っていたら、今回のような問題は起きなかったと言えるでしょう。

武士道とは、当たり前のことを当たり前にすることです。

つまり、空気や水、太陽や月に感謝をするようなことなのです。

だから、簡単そうでいてとても難しいのです。

それができるようになるため、武士道協会では毎月勉強会を開いているのです。

ぜひ、ご参加ください。お待ちしております。

愛するってどういうこと?

2014年6月7日

愛することとと、恋することは違います。

愛することは、許せるということ。

そこには、利己や私欲がない状態です。

利他に生きること。

出来そうでなかなか出来ないのが利他。

束縛しない、嫉妬しない、怒らない、疑わない、拒まない。

信じる、認める、受け入れる、赦す、許す、望まない、というよりも・・・

信じ切る、認めきる、受け入れきる、赦し切る、許し切る、一切を望まない、誰に対しても同じ対応ができる。

これが愛すること。

誰もが、他者を愛することができるようになったら、地球には本当の平和が訪れるでしょう。

それが、武士道協会の存在する意義なのです。

みんなが神様と同じになること、みんなが太陽のように誰に対しても同じに照らし続ける存在でありたいですね。

許す

2014年6月5日

許すってどういうことなのでしょう?

憎しまないこと、そして、恨まないこと。

許すとは、自分の心、つまり、自分の魂を高めること。

だから、許すのはひどいことをした人をの為ではなく、自分の為なのです。

許すということは、誰をも自分と同じと思い、自分だと思って対応すること。

そして、愛すること。

敵をも愛することができたら、かなりの精神修行ができるということ。

それが、武士道精神で生きるということであり、惻隠の情で生きること、とも言えるのではないでしょうか。

許すのか赦すのか?

武士道協会では、赦すようにしたいと思います。

恩赦という言葉がそれを表しているからです。

今どきのテレビ番組

2014年5月7日

ニュースを見ていたら、STAP細胞の小保方晴子博士のことをコントにした番組のことがに掲載されていました。

元アナウンサーが放送した方が良かった、根底に愛情があるから突っ込みをするというような内容のことを語っていましたが、今はご本人が傷ついているのです。

それなら、ご本人の心が癒えるような愛情の形で示してあげる方が良いのではないかと思うのです。

「嫌がることはしない」というのが惻隠の情であり武士道なのですから、やはり、放送しなくてよかったのではないかと思いました。

若い有能な人は、みんなで温かく育てて、日本の宝となるように、愛情をかけていきませんか。

STAP細胞があれば、どれだけ多くの人に希望を与えられるか。

そう考えたら、もっともっと研究に没頭できる環境を作ってあげたいですね。

トカゲ

2014年5月6日

茨城県の鹿島神宮にお参りに行った時のこと。

当時、小学校2年生だった子供がとても小さなトカゲを見つけました。

それを大事そうに手の中に入れて頭を撫でていました。その指の間からトカゲが頭を出していました。

「可愛いでしょう、ペテトちゃんって言うんだよ」

「へえ~、名前も付けたんだ」

「うん、ねえ、可愛いと思う?」

「可愛いね」

「そう、それなら貸してあげる」

「え!!いいよ」

「どうして? ほら、可愛いと思うんでしょ? それなら貸してあげるから」

「いいわよ、いい」

「なんで? 本当は可愛いと思ってないんじゃないの?」

「可愛いけど触りたくないのよ」

「じゃあ、可愛いと思ってないじゃない。可愛ければ抱っこしたいでしょ?」

という会話がありました。

たとえ親しい仲間であっても、人によって度合いも感覚も違っているということを平素は考えもせずに会話をしており、お互い理解しあっていると思い込んでいるのではないだろうか?と思った時に、この忘れていたことを思い出したのです。

反発されなければ勝手に相手も自分と同じだと思っていることが、とても多いように思いました。

純粋な子供だからこそ言えることもあるでしょうが、私たちの会話もきちんと度合いも確認する必要が、本当はあるように思いました。

神社

2014年5月5日

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↑大神神社内の市杵島姫命を祀っている弁天様

神社に15分間いると、精神的に落ち着くと聞きました。

実際、とてもイライラしていたり、悲観していたりする時に神社に行き境内に15分間いると不思議とイライラや悲観が消えました。

神社にはそういう力があるのかしらと思うのです。

私は、最低月に1回は神社を訪問して、御朱印をいただきてきます。

御朱印には神が宿っているといわれています。

神社を訪問していると、日本人の神様は自然(太陽、月、風、木…)と人間(応神天皇=‘八幡様、菅原道真=天満宮…)、そして、動物であるお稲荷さん(伏見稲荷=狐…)、達だということ。

針供養、包丁供養など、生き物でないものも生き物として扱っています。

神道は、八百万の神々を信仰しています。

つまり、あらゆるものを否定せず、認めているといえるのではないでしょうか。

拒否しない、指定しない、全てを受け入れる。

そうあることが、平和へ一歩進むように思うのです。

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