日記

2010年12月19日

武士道協会で挙げる「命」とは生きとし生けるもの、全ての命を指しています。命は自分で作ったものではありません。命の尊さを考えた時、敵も味方もありませんし、生き物に差別はありません。
もちろん、人間社会では人間の命が一番尊いのですが、他の生き物の命と比較するものではありません。全てが大切ないのちであり、地球そのものも生命体であり命あるものなのです。家畜の命は人間の糧になり、また、植物の命も多くの生き物の糧となります。地球も命ある生命体だからこそ、土から栄養を頂き、水を頂き、我々は生きることができています。
だから、これからの武士道協会は、命は尊いということを理解していただける方向で進めてまります。それには、年間の自殺が3万人を毎年超える実情を踏まえて、もう一度警笛を鳴らしたいという思いも強くあります。自分が他の生き物の役に立っていると思った時、自殺は考えなくなるでしょう。鬱もなくなるでしょう。
私は今年の春、桜の満開の最中、最愛の母を亡くしました。五十日祭(仏教の四十九日で、我が家は神道故イソカサイです)までがとても長く感じました。まるで時が止まったように感じられました。その間、私は命についてじっくり考える機会を得たと言えます。
命は自分のためにあると思うと粗末に扱いやすものです。
命は他者のためにあると思うと大切にしなければと思います。
母の命は母のものであるのに、母を生んだ祖母にとってより、私にとってなくてはならない大切なものでした。
命を大切にしましょう。
他者の役に立つように生かしてみましょう。そのために、武士道を知っていると、活かし方が分かりやすくなるのです。敵の命であっても、その人に家族もいます。生んだ母も、もしかしたら子供もいます。だから重みは同じなのです。
戦争のない世界を作るには、相手を認め、相手を尊重し、相手に敬意を払う武士道はなくてはならないものです。武士道は宗教の宗派はといません。どんな宗教を信仰していても構いません。それぞれの神様を信じながら、なすべきこと、なすべからざること、礼儀、勇気、孝行、誠心誠意取り組むことなどを武士道で学ぶのです。
武士道が世界に広まった時、自己錬磨する厳しい機会も、逆境もあるけれど、地球上でどこも戦争をしていない平和な世の中になるでしょう。その日が一日も早く訪れてくれるよう、できる限りの努力をしていきたいと思っています。
2011年(皇紀2671年)からの武士道協会の動きに期待してください。

「人間力向上セミナー」開催の案内

2010年12月18日

1・2月度の「人間力向上セミナー」を下記の通り開催いたします。
ぜひご友人をお誘いあわせの上、ご参加下さい。
1月
日時:2011年1月27日木曜日 18時~21時まで 
場所:文京シビックセンター 4階A会議室
   (住所) 東京都文京区春日1-16-21 〒112-0003
   (電話) 03(5803)1100 
        交通図↓
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html 
講師:本多百代
演題:命と地球の平和を考える武士道
内容:①講演
   ②ブレーンストーミング 
   ③発表と講評 
   ④感想      
    
会費:500円(会員) 1,000円(非会員)
2月
日時:2011年2月27日日曜日 13時~16時50分まで 
場所:子供村 4階研修室
(住所)東京都豊島区雑司が谷3-12-9
(電話)03-5979-9570(地球村村長デスク)   
    交通図↓
http://www.kodomomura.com/access.html
講師&パネリスト:
 ・影山幸雄氏(さいたま県立がんセンター泌尿器科部長、武士道協会理事)
 ・西大枝文一氏(イタリア大使館嘱託医、同仁斎クリニック院長、武士道協会理事)
 ・小島将太郎氏(青山一丁目歯科クリニック・歯科医師)
コーディネーター
  本多百代(武士道協会常務理事)
演題:医療と心の関係 (病気にならない心と病気を早く治す心)
内容:
 ①レ・ベル・フルールのトリオ演奏 30分
 ②本多百代常務理事 10分
 ③西大枝理事 30分講演 感染症専門医が新宿でエイズの治療にあたって気づいたこと
 ④小島歯科医 30分講演 歯を治す為に全身のバランスを考えた治療をするにあたって
 ⑤影山理事  30分講演 “がん”が教えてくれる正しい生き方
 ⑥パネルディスカッション 1時間30分 
 ⑦質疑応答  残り時間
会費:1,000円(会員)  1,500円(非会員)
お申込は http://www.bushido.or.jp/contact.html からお願いします
お問合せは、090-1536-1902(担当:鎌田)まで

言葉

2010年12月17日

言葉を大切にすることは、そのまま人間関係をよくすることにつながります。言葉には言霊があります。口から出た言葉が、そのまま相手の心を刺し殺してしまう事もあります。また、死にたいと思っていた人の心に、勇気と望を与えて復活させることも出来ましょう。
言葉は思ったまま口にするよりも、その言葉を受け取った人の気持ちを考えて発する方が、思いやりがある行為といえます。心がいつも清らかで明るくても、使う言葉が乱暴であったら、周囲からは清らかとは思っていただけません。言葉はその人の品位を表すというのは、マイフェアレディの映画でも良く分かります。品位を上げ、人様の気持ちをかき乱さないためにも、言葉は選び、いつも美しい言葉を使う癖をつけましょう。
和歌
明治天皇御製
17日 さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきはこころなりけり
     (こころはいつも清く明るくもちましょう)
昭建皇太后御歌
18日 すぎたるは及ばざりけりかりそめの言葉もあだにちらさざらなむ
     (言葉づかいに気をつけましょう)

誠実さと努力

2010年12月16日

人間は評判の良い人よりも、評判の悪い人の方が誠実ですね。
とても評判の良い人は、誠実であろうとする前に、自分が悪くおもわれないように色々思いめぐらして行動する様に思います。本当は評判も良く、誠実な人が一番いいのですが、なかなか難しいようです。ちょっと自分を優先しようとすると、どうしても誠実ではない態度をとらざるを得なくなります。評判を上げるより、誠実である事が生きる上で大切で必要な事なのですね。
そして、何事も苦難を乗り越え、努力をしなければ、力を発揮する場に躍り出る事すら叶わないということなのでしょう。人間が光り輝く状態は、自分が世の中の役に立っていると確信できたとき、内から光るものが湧き出てくるように思います。それには、バランスをとりながら、ひたすら努力をして、ひたむきで謙虚な態度が必要なのですね。
和歌には言霊があります。何度も読み上げていると、自然とその生き方に近づけるように感じます。声に出して読むことが大切なのでしょう。
和歌
明治天皇御製
15日 いかならむ時にあふとも人はみなまことの道をふめとをしへよ
     (誠の心こそ人生の基です)
昭建皇太后御歌
16日 みがかずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし
     (磨かなければひかりません)

忍ぶ

2010年12月14日

なんと心に響く言葉なのでしょう。
「我慢をする」というと、「嫌々」とか「抑え付ける」というイメージがありますが「忍ぶ」というと、自発的に耐える、心の強さのようなイメージがあります。最近は死後になりつつありますね。
私も「耐える」「我慢する」は常用後になっていますが「忍ぶ」は文語での扱いになっていることが多いです。これから、日本古来の音を大切にした素晴らしい言葉を使って行きたいとおもう和歌に出会いました。
そして、油断は「心のおごり」「無責任」などから起こります。
油断をするということは、見下しているということもあり、それは最も気をつけなければいけないことではないでしょうか。一寸法師の昔話でも分かるように、鬼は小さい一寸法師を馬鹿にして飲み込みました。それによって腹痛が置き負けたのです。
一見弱そうに、出来なさそうに見える人が、内面が強かったり、営業で日本一だったりすることは良く聞く話です。常に相手を尊重して、たとえ相手が年下でも『人間』に対して敬う気持ちを持っていれば、油断はしないでしょう。油断する事を注意するときに、この様な和歌で注意をされたら、素直に聞けるとおもうお歌ですね。
和歌
明治天皇御製
13日 しのびてもあるべき時にともすればあやまつものは心なりけり
     (忍の一字に徹しましょう)
昭建皇太后御歌
14日 あやまたむことをおもへばかりそめのことにもものはつつしまれつつ
     (油断は大敵です)

親孝行

2010年12月12日

和歌
明治天皇御製 
11日 たらちねの親につかへてまめなるが人のまことの始なりけり
   (孝は人の行いの基本です)
昭建皇太后御歌
12日 朝ごとにむかふかがみのくもりなくあらまほしきは心なりけり
   (心の鏡をいつも清く明らかにしましょう)
親孝行とマザコンと区別がついていない人を多く見かけます。それは、男性にも女性にも言えます。でも男性はほぼ全員に近くが母親をいつまでも愛おしく思っています。たとえ「くそばばぁ」と悪たれついていても、母親には特別の感情があるようです。それに対してすぐに「マザコン」といってしまっては、親孝行をするのに勇気がなくてはできなくなってしまいます。
私は親孝行をにできる環境なら素晴らしい平和な世の中になると思っています。老若男女関係なく、父親であっても親孝行をしてもらいたいと思うのが当たり前なのではないでしょうか。親孝行とマザコンは大いに違いがあります。志を持ち、信念を持って親の喜ぶことを一生懸命するのが親孝行であり、親に自分の事を決めてもらって自己責任のない人がマザコンでしょう。
子は親の背を見て育つとは的を射た言葉。
① 親が金銭至上主義ならば、子供は親にお金があるときだけ近寄ってくるでしょう。
② 親が精神的に自律ができていなければ、子供はいつまでたっても親離れせずに、親にしがみついて脛をかじり続けることが親孝行と思うでしょう。
③ 親が他者の喜ぶことをして、他者の喜ぶ姿に喜びを感じているような人ならば、子供も自然と社会貢献をすることを良しとし、いつの日か「お宅のお子さんには助けられています。素晴らしいお子さんですね」という言葉が親に寄せられるでしょう。
親孝行には3段階あると言います。
一段階目…親にお金でプレゼントを買ってあげる
二段階目…肩もみ、旅行のお供、買い物の代わりなどをする
三段階目…最高の親孝行は、他人様から「素晴らしいお子さんですね」と褒められることです。
親の生き方は親孝行にまで影響しているようですね。

全うする

2010年12月9日

責任を取るということは、覚悟を決めることと言い切れるのではないでしょうか。武士の時代のように切腹をして、責任を形にして表すことを良しとしない現代で、責任を取るというのは、その覚悟を決めるのが最重要なことです。お金を使い弁償をする、慰謝料を払う、などいろいろな責任の取り方がありますが。それでも覚悟をした人としていない人では、相手が許せるか許せないか、という一番肝心なところに影響を与えるものです。
覚悟とは、責任を取ろうと決めることです。
和歌
明治天皇御製 
9日 世の中の人におくれをとりぬべしすすまぬ時にすすまざりせば
   (責任あることは必ず為しとげましょう)
昭建皇太后御歌
10日 人ごとのよきもあしきもこころしてきけばわが身のためとこそなれ
    (人々の言葉に注意して、わが身のためと聞きましょう)

日本の心

2010年12月8日

生きていく上で一番辛いことは、役に立たない人間になった時ではないでしょうか。認めてもらいたいという気持ちが満たされるときは、他者から感謝されたり、気持ちをわかってもらえた時でしょう。だから、誰もが誰かの役に立っている時に、自分の存在価値を見出すことができると言っても過言ではないでしょう。
それには努力と反省が欠かせません。努力をして、方向性が合っていたのか? 本当に望まれていることに応えられたのか?など考えて方向を正したりするために必要なことが反省です。努力は「ひたすらに」という言葉が一番ピンとくるかもしれません。
努力を途中でやめてしまう時は、結果が見えないとき、他者に認められないときなどがほとんどではないでしょうか。努力と反省を繰り返していると、自然と謙虚にもなれますね。
和歌
明治天皇御製 
7日 さまざまのうきふしを徑へ呉竹のよにすぐれたる人とこそなれ
   (努力なくして成功はありません)
昭建皇太后御歌
8日 日にみたび身をかへりみし古の人のこころにならひてしがな
   (常に自らを反省した昔の人に習いたいものです)

2010年12月6日

和とは、和む(なごむ)という意味を持っています。コミュニケーションを良くするということですね。つまり和歌は和む歌、大和の国の歌、コミュニケーションの手段となる歌という解釈ができます。御製を読んでいると、まさにその通りだと思います。自信を持ち責任を全うすることは、「和」そのものだと思います。素晴らしい人間関係を構築するための手段ともなります。和歌の素晴らしさを子供たちに教えたいですね。
三笠宮様が顧問をなさっているカレッジで今度ある会が催されるそうです。そこで、歌う歌が大正時代の小学唱歌なのですが、それを今の20代の若者は学校で習っていないのです。だから馴染みがなく、歌を口ずさめないという状況です。つまり、学校でガンダムの歌は習っても、小学唱歌は学校で教えてもらえなかったというわけなのです。
それを知った時、歴史や文化が分断されてしまう・・・という恐怖を感じました。国民みんなが母国を大切に思う為には、文化と歴史の継承が必要不可欠ではないでしょうか。
和歌
明治天皇御製 
5日 萬代の國のしづめと大空にあふぐは富士のたかねなりけり
   (国民の自覚を強くし責任を重んじましょう)
昭建皇太后御歌
6日 むらぎもの心にとひてはぢざらば世の人はいかにありとも
   (自信を強く持つことです)
発行 明治神宮社務所

矛盾

2010年12月5日

武士道ワンポイント_title2.gif
33回目のテーマは「矛盾」
人生には矛盾がつきものです。
江戸時代は徳川幕府の掟で「喧嘩両成敗」というルールがありました。しかし、藩の掟では、喧嘩を売られてすごすごと引き下がってくるのは意気地なしとされました。でも、喧嘩を売られてその喧嘩を受けたならば、幕府の掟で裁かれて切腹です。喧嘩をしないで戻れば、藩の掟で裁かれて切腹か罷免されて追放です。どうしたらいいの? 疑問です。
こんな理不尽な話はないし矛盾していると、私は当初腹立たしく思っていました。私はこのことをずっと5年間考えた末に答えが見つかりました。今になってこの矛盾が解けて理解できるようになりました。喧嘩を吹っかけられたらもうお終いなのです。喧嘩を売られること事態、平素の心がけが足りないという結果なのです。喧嘩を売る人と売られる人は同じ穴のムジナで同類だと言いたかったのではないか・・・ということです。
私もパワハラに遭った時、上司たちを責めていましたが、私にもターゲットにされる難所があったのだと後になって反省しました。もちろん、その時のずるい上司を好きにはなれませんし、これからも仲よくしたいとも思いません。ずっと見返してやりたいと思っていました。でも、この謎解きができた時、見返すとか悔しいとか腹立たしいという気持ちが、スーッと消えてしまいました。全てが自分との闘いでしかなかったということが理解できたからです。
いじめられない様にするには、信念を持って、自信をもって、自分に誇りをもって、堂々と振る舞うことです。ということは、厳しい冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、詐欺をする人と詐欺をされる人は同じ土俵にいるということになるのです。もちろん詐欺をする加害者が悪い人で、詐欺される被害者は悪くはありません。ただ隙があるというところを言っています。
以前銀行で若い警察官が「オレオレ詐欺にお気をつけください」と言って、キャッシュディスペンサーに並んでいる人にチラシを渡していました。その時、「大変ですね」と警察官を気遣ったのは若い世代の人でした。肝心要な老人は「俺は気をつけてるから詐欺になど遭わない」と冷たく言い放ちチラシの受け取りを拒否していました。
警察官だって好きでチラシをわたしていたのではないと思います。仕事で、上司命令でしょう。拒否されて戸惑いを隠せず、手持無沙汰な表情になっていました。若い警察官に気配りができなかった老人を見ていて、心に木枯らしが吹いているようでした。相手の気持ちや立場を考えずに自分の立場ばかり考えているから、老人相手に詐欺ができてしまうのではないでしょうか。
この老人が詐欺に遭うか遭わないかは分かりません。この老人とは関係ありませんが、ニュースに「振り込みを止めた銀行員を突き飛ばして怪我までさせて振り込んだのに、それがオレオレ詐欺で被害を受けてしまった」と掲載されていました。自分の目先の事しか考えられない、という視点から判断したら、この被害者と詐欺をした加害者は同じ土俵にいますね。
つまり、人間力を高めて、他者の立場や思いを理解することができるような、徳の高い人間になることが土俵を違えることができるということではないでしょうか。江戸時代は平素から喧嘩を売られないような心がけをすること、を求められていたとも言えますね。
武士道が人々の生活の中に存在していた時は、喧嘩を売られない様に注意をして、自分を高めておくことが当たり前であった、と私には理解できたのです。だから、日本は右側通行だったのです。刀は左側にさします。刀にぶつかられたり、触れられたりしたら、間違いなく江戸時代は喧嘩になりました。すごすごと引き下がることは意気地なしですから、こういう時は必ず「待て!!」となったことでしょう。そうなると、どっちに転んでも切腹です。だから、立ち止まっている時、歩いている人が刀にぶつかってこない様に、左側によけて右側を歩かせたのだそうです。
余談ですが今、東京はエスカレーターで左に立ち、右側を歩きます。でも、大阪は大阪万博以来、欧米に合わせて右側に立ち、左側を歩きます。これは日本古来のしきたりからしたら、東京が正しいということになります。車の往来も、日本は左、西欧は右と反対です。
矛盾についての結論は、矛盾しているように見えることでも、良く考えると道理に合っていることもあるということなのですね。

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