私も一言物申す

非礼「蛤の変」

2010年12月4日

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非礼「蛤の変」で臨時国会が終わったとニュースに出ていました。皇室に対する非礼問題です。民主党は皇室に対して反感を持っている人の集まりなのでしょうか?それにしては前原さんなどは保守派をうたっていると聞きますが・・・
もし蛤さんが中国の胡錦濤さんを相手に非礼な態度をとってこれだけ問題になっていたら、管総理大臣は今のような態度をとっているでしょうか?相手が皇室だったから? と取れるような態度はいかがなものでしょうか。誰に対しても無礼非礼をしないように心がけるのが人としての振る舞いであり責任です。
礼を守り節度ある振る舞いをしていれば、たとえ相手がどのように立派な、大切な、重要な、目上であっても目下の相手であっても何も問題は起きません。だからこそ、武士道精神が必要であると私は唱えているのです。非礼をするのは、相手を見下し、傲慢になっている証です。自分の役職に酔ってしまい、人間としての正しい行いに対する意識が足りないからであり、根本的な「禽獣との違い」を理解していないことが原因でしょう。
蛤さんがもし、自分の発言が本心でなく、つい口からポロリと出てしまったと言うのであっても、反省すべき点は「謙虚さがない」ということです。また意識して言ったのなら、逃げずに責任を取った方が潔く気持ちがいいですね。
政治家は日本の国民をリードする立場なのですし、国民に生き方のお手本を見せる必要があります。傲慢になるのは政治家を『選ばれた人』の解釈を曲解しているからだと思います。政治家が選ばれた人なのは『私は国民のために私信を捨てて公に生き、国民の手本となる行いをし、国に益をもたらします』と言ったからでしょう。細かい内容は違うにしても、究極的にはこういうことを公約したということです。
それを、自分が立派だから選ばれたと頓珍漢な勘違いをしていたら、四六時中大騒動を起こします。国民に選んで頂いたことに感謝をしていたら、このような恥ずかしい行いで、進退問題を起こしたりはしないはずです。今、蛤さんにとって大切なことは政治家として失脚したくないということではないでしょうか。だから責任を取れないのではないかと思います。もし失脚したくないと思うなら、尚の事、心の底から謙虚になることです。礼をわきまえ、他者を思いやる気持ちを育てることでしょう。それが、我と我が身を守ることになるのですから。
これで分かるように、武士道を身につけて他者に配慮することは、自分の身を守るとになるのです。科学者や物理学者が、研究を深めるにつれて、だんだんと心の在り方のところにたどり着くというのが、それを決定づけていると思います。佐治晴夫先生、佐藤勝彦先生の対談の共著にもありました。
『お金をあげたり、お腹が減っている人にパンをあげたりするのは、「私があなたのためにしてあげる」というのではなくて、この行為によって、私自身が安心するというか、幸せになれる。これが人間の本当の幸せなのかなと。そんなことを考えたりしました。』という佐治先生の言葉です。
蛤さんも、皇室に吐いた暴言は「暴言によって蛤さん自身が周囲からの嘲笑を受けた」ということでした。行いをただし、誰の事も否定せず、避難せず、良い行いを淡々と粛々を続けることが、身を守ることにもつながるということが、ここで改めて実証されました。やはり、今のご時世だからこそ武士道は必要です。
早く学校教育に道徳を取り入れてほしいですね。

戦争のない地球にするためには

2010年11月7日

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宇宙の仕組みは地球の仕組みと同じ、地球の仕組みは人間の仕組みと同じ、つまり、仕組みは宇宙と皆同じのようだ。人間の体の細胞は毎日細胞のコピーができては古い細胞が死ぬ。またその細胞のコピーができては古い細胞が死ぬ。これを21日位で繰り返しているから、親からもらった細胞はもうとっくに死んでいて、新たに自分でコピーして作った細胞を使って生きている。そして、考え方や環境の変化、加齢などにより、コピーされない細胞が出てくる。だから白髪にもなればシワも増える。
私たちは細胞が入れ替わりながら加齢しているのに、本人は全く気が付いていない。あるとき鏡を見てびっくり。老けた・・・とショックを受けて気が付くくらいだろう。
村上和雄教授は生と死はペアーだとおっしゃってらした。つまり、ずっと同じでもなく、ずっと継続されているのでもなく、死と生が繰り返されている。私たちの体の中の細胞が生と死を繰り返しているように、私たちももしかしたら地球の一細胞として生と死を繰り返しているのかもしれない。それが、日本という国が江戸、明治、大正、昭和、平成と綿々と受け継がれてきているけれど、全く違う世の中になっている。
私たちの体の中の細胞同士が喧嘩をしたり戦争をしたりすることはない。もし胃の細胞と心臓の細胞が喧嘩でもされたらたまったものではない。しかし、私たち人間は地球の一細胞である可能性が強いのに、戦争ばかりしている。そろそろ武士道を精神に取り入れて、細胞同士の無駄な争いを止めないと、地球が危ないように思う。
300年弱戦争をしない民族も地球上では日本だけだったようだし、今も事実戦争をしない年月が65年続いている。第二次世界大戦後戦争をしていない国を挙げてみたらいい。日本は本当に平和な国といってよいのではないだろうか。明治維新の時も、西欧諸国が船に乗って攻めてきた。日本は戦争を仕掛けているのではなく、戦争を仕掛けられている国といってよいのではないか。
竹島、尖閣諸島、北方領土、また外国から仕掛けられている。
日本から仕掛けたのではない。
もう少し、国民がみんなで考えることも必要なのではないだろうか。
そして、戦争のない地球にするためには、どうしたら良いか? をもっと真剣に考える必要がある。
武士道は戦争をしない国を作るために必要な心構えでもあると思う。他者を思いやり、日本が地球上の母なる存在の国となったら、だれも戦争を仕掛けてこないだろう。今はまだ、「のび太君」(漫画『ドラえもん』の登場人物)くらいにしか思われていないのだろう。日本人一人一人がもっと成長することが、国を守ることにつながっている様に私は思う。

歴史教育と修身

2010年10月6日

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第11回目のテーマは「歴史教育と修身」
杉原千畝の一人芝居を、知人をお誘いしました。
実話で、日本の偉人として素晴らしいと思ったからです。
それに返事が来たのを読んでただただびっくりしました。
やはり、もっと学校教育に日本人にとって必要な歴史教育と修身を取り戻さないと、大変なことになると思いました。
その方は、「日本の偉人」と説明をしたら、「偉大な人も亡くなってかなりたっているし」という解釈をしているのに背筋が凍りました。
このメールの方は50代で小学校から大学まで続く学校にお受験をして小学一年生から通わせていた親なのですから、落ちこぼれの日本人ではないのです。
だからこそ怖くなりました。
以下に彼女とのメールのやり取りの一部を掲載いたします。
ぜひ皆さんでこの場にて、意見の交換をしたいのですが、投稿をお願いいたします。
呼び名などは変えてあります。
――彼女からの返信メール①――
御免ね宗教は興味ありません。会ってから随分たつね。創価学会は選挙近くなると連絡来るし瀅世の中も私も大変な状況ですが自分自身を保ち持ち続けるのは意外と大変。友人は家族の病気がキッカケで宗教に入り込み本人はそれで心の安定がある様ですが…傍から見ればやっている事が少し変だけど本人は気付かない。人の生き方は色々。仕事頑張ってね。子供が社会人になり親の役目が一段落したら次は自分の親が高齢化で…昔から繰り返されてる世代交代で私もその年代。親世代より体力も気力もないから大変です(^_^!)
――私からの返信――
………歴史の教科書にも載っていて、世界でも偉人とされているのが、杉原千畝(すぎはらちうね)で、宗教とは関係なく…………第二次世界大戦の辺りを調べたら、一人の決断で6000人のユダヤ人を救った出てきます。……………信念を持って生きていたら新興宗教になどには、はまりませんし声もかかりませんから、そんなに心配なさらなくても大丈夫ではないですか。…………
――彼女からの返信メール②――
突然のお誘いは殆ど宗教がらみだから。あまり興味ないのは事実で後免ね。偉大な人も亡くなってかなりたってるし。ただ私の携帯MOVAで容量少ないのに貴方のメールが5本に分割されて来て過去メールかなり消えたから私が案外困ってるけど、そんな事迄考えてないでしょ…。自分の奨める内容が良いと思うと他の考えは無視してる様な気がする。もっと視野を広くして色々な人の考えも受け入れて欲しい。知名度高い凄い人達は沢山いるけどその人に対して誰もが同じ考えではないから。私が貴方に誘ってくれて嬉しいと言わないと納得しないみたい

洗脳と信念

2010年8月14日

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第10回目のテーマは「洗脳と信念」
実は洗脳されているのは、今生きている我々です。
日本軍の兵士たちではありません。
新興宗教団体だけではありません。
宗教にのめりこむと怖い・・・これは誰で思う事でしょう。
新興宗教を信仰している人からはお叱りを受けるかもしれませんが・・・一般論を書かせていただきます。
宗教にのめり込むと、自分自身の判断力も決断力もなくしてしまい、教祖の言いなりになって自分や家族の行為行動の判断までゆだねてしまいます。
これは宗教だけではなく、有る特定個人に対してでも当てはまりますし、また、暴走族や一般企業の営業畑などの組織でもカリスマ性の高い統率者の下では有り得る事でしょう。
それを宗教では「教えに従う」とか「すがる」などという表現をし、その他組織では「掟に従う」とか「決まりや規則・規定に従う」と表現をしているはずです。
要は、その教えに従うことを自分だけでなく、周囲にも強制したり、言い張ったりするところに問題があります。
掟であっても規則であっても、周囲の状況や社会的迷惑なども加味せずに、強制的に従わせてしまう事が問題だと思うのです。
これは、何年か前にサリン事件を起こした新興宗教団体で、立派な学歴や知識を持った人が罪を犯していきました。
しかも、イジメやリンチをしていました。
正しい生き方を教えているはずの宗教団体がリンチや人殺しをしていました。
でも、世界では宗教戦争がとても多いですよね。
不思議でなりません。
それでは、このような恐怖なできごとは新興宗教だけかというと、そうではないのです。
カリスマ性があるリーダーなどと表現される人がいる集団にも近いものがあることをご存知でしょうか。
私が聞いた営業畑の例では、
「一日に必ず○本の成果を上げて来い」と言われ、夜の10時になって「半分しか成果が上がりませんでした」と言って帰社しようとしたところ、「○本上げて来いと言っただろう、上げるまで戻ってくるな」と言われたそうです。
そこで、「もう夜10時過ぎたので訪問できません」と言ったところ、「ふざけるな、警察もコンビ二も病院だって24時間営業してるぞ」と言われ、泣く泣く活動を続けたということです。
「えー、迷惑は考えないの? それであなたは辞めなかったの?」と私が聞いたところ、「次からは早い時間から上げられるように努力したし、夜でも困ったときに行けば何とか助けてくれる所を事前に作っておきました」とその人は言うのです。
また、別の人は「テレアポ業務でアポが取れなかったら、据置電話の受話器を手にガムテープで巻きつけられ、立ったまま仕事をさせられた。疲れて座りたくなるし、メモも取りにくいから、必死になってアポを取って座れるように努力した」と言いました。
もちろん戦前の話ではなくこの10年の間のでき事で、これは、自由競争がもたらした罪だと思います。
しかし、過酷な営業戦争は営業マンにだけではなく、研究者にも襲い掛かっているのです。
今までは五年かけて研究をして新しい製品を作り生み出していればよかったのに、最近は毎年新製品を生み出さなければならないそうです。
だから、じっくり研究に取り組む事が許されず、研究者の欝や自殺が増えてきていると聞いたことがあります。
何故、新興宗教にしろ、会社であっても、その他組織でも、この様な悲惨な結果を生むのでしょう。
それは、ある空間にいると、服従することしか考えられず、自分で決断することができなくなってしまうのではないでしょうか。
不良青少年団体(どの様な表現をしたら良いのか分からずこの様に書きました)のリンチ事件や、新興宗教団体のお布施で、教祖の指示に従い、配偶者や家族に無断で財産の総てを寄付してしまって一家が泣いて暮らしているなどと良く聞く話です。
それだけでなく、企業内パワーハラスメント、学校内アカデミックハラスメント、どれもこれも根っ子は同じなのではないでしょうか?
これを洗脳されている状態といわずしてなんと表現したらよいのでしょう?
なぜ教祖の言う事をそこまで信じて言いなりになってしまうのでしょうか?
なぜ横暴な上司の言う事を周囲までが聞いていじめをするのでしょうか?
また、権力を盾に弱い者いじめで憂さ晴らしをしているのは何故なのでしょうか?
それは、支配者と服従者それぞれが、各個人の中に、基盤となる考え方の規範がないからです。
総ての判断が損得勘定だから、悪いことでもするし、良い事でもしないし、我慢をして満足しているのです。
つまり、家には大黒柱が必要ですが、その柱となるものがないから、普段はいいのですが有事の場合に大問題が起きてしまいます。
その考えの規範が理念であり信念です。
例えば会津什の掟にある「ならぬことはならぬのです」これが人間の信念になるのです。
人の嫌がることはしない ⇒ 惻隠の情
人に迷惑になることはしない ⇒ 恥の概念
人が喜ぶ事をする ⇒ 礼儀
わがままをせずに周囲のことを考える ⇒義の精神
などが、教えられていないから、信念をもてないのです。
過去の日本軍の一部のみを大きく取り上げて、65年も経った今、こんな日本にしてしまった人間がとやかく言えるでしょうか?
大日本帝国軍は少なくても、国(故郷)に残してきた家族を守るためという信念があって自分以外の人の為に命を投げ出していました。
今現在起きていることは、自分の強欲を満たすためであって、自分以外の人を守るためではないですよね。
やはり、終戦記念日を前日にして、改めて今の日本に道徳教育が必要だと声を高くして申し上げたいのです。
GHQの対策で、私たちは大切な愛国心・道徳(修身)教育・活学(歴史上実在した偉人の生き様を学ぶ)を捨てざるを得ませんでした。
それなら、そのGEQから独立した時、取り戻す必要があったのです。
歴史は勝者によって作られるのは当たり前の事実です。
勝者は聖人や賢者だから勝ったのではなく、喧嘩がつよかったのです。
戦略より、優れた武器を持っていたからです。
つまり、オタクになっていても、発明力があればよかったのです。
それなのに、いつまで経っても必要な愛国心を取り戻さずに今日まで来たのですから、悪いのはGHQではなく、それを決断した日本人の当時の政治家ではないでしょうか?
現在起きていることは、間違いなく過去の結果です。
60年経てば還暦といい、一巡して、総ては始まり(基点)に戻るのです。
だから、今さら66年以上前の戦争の事を持ち出すこと自体、浅はかで無知と言えるのではないでしょうか。
今は前の60年間にしてきたことが結果となって現れてくるのです。
戦前戦中のことはもう終わった事と捉える方が賢いと思います。
だからこそ、自民党だの民主党だのと党を言っておらず、総てが協力して日本の道徳再起を図って、愛国心が高く、安心して暮らせる日本を再生して欲しいと思います。
外国籍の外国に居住する子供に、なぜ育児手当や子供手当てを出す必要があるのでしょうか?
出したければ、出すと決断した人の個人資金で賄ってはいかがでしょうか?
そのくらいの判断ができない政治家や官僚を生んでしまった事に、国民全員が反省する必要が有ると思います。
全員で反省すればよくなると思います。
もう一点を見て、騒ぎ立てるのはやめにしませんか?
憲法9条だって、そこだけを見ていてとやかく言っても、何も解決しないどころか周辺の国々に侵略されてしまいます。
戦争を絶対に興させたくないなら、世界を納得させる必要があると思います。
それには、日本という国が世界にとって必要で大切な国になるのです。
それは、どうしたら成れるのでしょうか?
それを武士道協会で発信して行きたいと思っています。
今、子供たちに道徳教育をしなかったら、子供の将来に幸せはありません。
どうか皆さん協力してください。

大東亜戦争

2010年8月5日

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第九回目のテーマは「大東亜戦争」
祖母が大東亜戦争と言って、母は太平洋戦争と言っていたように思います。
私は学校で第二次世界大戦か太平洋戦争と習ったような気がして・・・とてもあいまいで記憶がありません。
日本の国が国会で決めた言い方は大東亜戦争なのだそうです。
大人になるまでしりませんでした。
学校で勉強している間中、歴史は全然面白いと思わず、苦痛でしかありませんでした。
しかし、今は国史(日本史)が楽しくてなりません。
なぜ国史としたか? 馴染みがない言葉だと思いますが、国語は我々日本人いとって日本語です。
国史は自国の歴史という意味ですから、日本史ということはまるで外国扱いに感じますね。
つまり、日本語の授業と言わないように、歴史も国史と言う方が馴染み深くなるように思うのです。
初めて歴史が楽しくなったのは、実在した人物の生き方を知った時からです。
その人物から夢が広がっていくのを感じました。
学校の歴史では、大東亜戦争は、第二次世界大戦としてパールハーバーを日本が突然不意打ちをして攻撃して被害を与えたと教えられました。
なぜ攻撃したか?の一番大切な部分は『後からつけられた偽りの理由』を教えらてきました。
でも、あまり気にもならず、考えもせず、ただただ歴史はつまらないから、授業が苦痛でしかありませんでした。
それから幾年も過ぎたある日、渡部昇一先生の本を読んで、頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けました。
それから、すっかり国史にはまり、如何に昭和天皇が素晴らしい方だったか、どんな思いで我々の祖先がこの国を守ったか知りました。
でも、未だに『日本が戦争を仕掛けたから・・・』となどと考えられないような時代遅れの言葉を聞きます。
それも、終戦直後に生まれた世代の人たちから聞くことが多いのです。
日本は、戦略の為に戦争はしなかったそうです。
日本は、自国が独立国として存在し、2600年以上も続いた母国を後世に無事に引き渡すために選択をしたそうです。
私は日本人だから、こちらを信じます。
私が今暮らせる日本の為に戦ってくださった先祖の方々の気持ちを考えると、学校で習ったことは信じられないことなのです。
だから、私は、日本を良くするために何ができるかを考え、私たち日本人がみんな幸せになるにはどうするかを考えて、辛い戦争を戦い抜いて守ってくださった先祖の英霊に感謝をして暮らす生活を取り戻したいと思います。
これは一般的に戦後に言われている宗教ではありません。
亡くなったおじいちゃま や おばあちゃま、ひいおじいちゃま や ひいおばあちゃまに感謝をするということです。
明日は広島に原爆が落ちた日です。
朝、起きてから食事の前に黙祷をする人が何人いるでしょうか?
私も今までお祈り(キリスト教ではありません)をしたことはありませんでした。
でも、明日は祝詞を奏上した後で、黙祷をしようと思います。
皆さんはどう思われますか?

女の子の男言葉

2010年7月28日

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第八回目のテーマは「女の子の男言葉」
最近女の子の男言葉が耳につくようになりました。
オカマ言葉もあるから、その反対が流行っても仕方ないのかもしれませんが、日本語の持つ素晴らしさを改めて考えて欲しいと切実に思いました。
バスに乗っていて、可愛い感じの親子(2~30代の母と2~3歳の娘)が乗ってきて、私の座席の後ろに座りました。
その小さい女の子は全く声が出ていませんでした。
話せないのではなく、話さないのです。
だから、母親の声しか聞こえてきません。
「何やってんだよ、お前。わざとだろう」
「・・・」
「やめろよ、やめとって言ってんのがわかんねぇのか? 馬鹿野郎!」
「・・・」
「ふざけるなよ、いい加減にしろって言ってんだろう!」
「・・・」
「なぐるぞ!!やめろ!!」
どうしても気になり脇から“ちょっと見”をしました。
女の子が何かを食べていて、もちろん母親にもらったものでしょうが、
その食べ物によって手が汚れていたようです。
バスが揺れるから、身を支えるために母親につかまってバランスをとっていたようです。
この言葉が何故発せられていたのか、意味がやっと分かりました。
それにしても、これが母親の言葉であり、またそれを女の子に使っている言葉であるというところに悲しさを覚えました。
この可愛い女の子も何年か後には、こういった男言葉で話すのだろうか?
その前に、いじめられないといいけど・・・
イジメに遭っている子の多くが、親の憂さ晴らしの対象に親ですら無意識の内ですが、されています。
この子が将来、幸せになるためには母親から愛されているという確信が必要です。
これで愛されていると確信をもって成長できるでしょうか?
子どもの教室や育児セミナーの講師をしている私は心配になってしまいました。
親達が求めているものは、子どもの言葉遣いを正しくしたいということは上位に上がります。
まず親からなのかしら?
素敵な話し方をなさる親御さんもいらっしゃるのに、この差はどこからなのでしょう。

格差 Part2

2010年6月27日

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第七回目のテーマは「格差 Part2」
朝日新聞社が「日本のいまとこれから」をテーマに郵送方式による全国世論調査を実施したところ、「いまの日本は自信を失っている」とみる人が74%に達し、9割以上の人がこれからの日本に不安を感じていることがわかった。一方で、回復する底力があるとみる人が半数以上おり、日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が7割を占めた。
とインターネットニュースにありました。
経済的な豊かさより格差の小さい国を求めるってどういうことなのでしょう?
どうも、徒競走で全員が手をつないで仲良くゴールするのと同じように感じるのは私だけでしょうか?
小さな考え方をする人が今の日本人には多いように感じます。
要は自分が貧乏であることより、他人がお金持ちでいることの方が許せないし嫌だ・・・ということですから、それでは共産主義です。
共産主義国家が繁栄したなんて見たことも聞いた事もありません。
一生懸命働く人も、遊んでいる人も、平等であるべきで、公平ではいけないということになります。
誰もが実力にも労力にも関係なく、同じに分配をして欲しいというのなら、一生懸命働く人の意欲がなくなります。
誰も働かなくなってしまったら、どうするつもりでしょう。
もしかすると、自分は一生懸命働いているのに、楽をしている人のほうが沢山収入を得ているから・・・と思っている人がいるのかもしれません。
遊んでいるように見えて、報道されない所や、フォーカスされない所で努力しているから楽をしているように見えているだけかもしれません。
運がいいだけではなく、自分を型にはめず、アイディアが豊富で、必死に考えているのかもしれません。
これはアイディアが豊富なのは特技ですから実力の内です。
26日土曜日の武士道協会開催人間力向上セミナーには参加者が20人でした。
ブレーンストーミングで話し合った結果、格差を感じるのも総て気持ちのあり方次第ではないか?という結論も出てきました。
みんな結果だけをみて格差と言っているとしたら、それは大きな間違いです。
正社員と非正規社員の差をなくすと言いますが、正社員になっている人は学校での勉強も努力して、就職活動も一生懸命努力して、試験で良い成績を収めたのだと思います。
確かに非正規社員の方が、すこぶる悪条件で仕事を強制されているのなら改善の必要があります。
でも正社員と差をなくした場合、正社員の立場から、努力をしてもしなくても同じという気持ちにはならないでしょうか?
学校時代に真面目に一生懸命にやってきた、親の力を借りた、色々とあると思います。
でも総てが今までの努力の結果でもあるわけです。
立ち場の弱い人を助けることはいい事ですが、それにばかり視点が行ってはバランスが崩れます。
強い人はやって当たり前で弱い人は助けてもらって当たり前となってしまうと、感謝がなくなり強い人は馬鹿らしくなります。
これは大変危険でよろしくないことです。
もっと深く考えてみませんか?

格差

2010年6月22日

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第六回目のテーマは「格差」
最近、マスコミでがアンケートをとったところ、今、日本国民が一番望んでいることは『格差をなくして欲しい』ということだったそうです。
これはおそらく、一般庶民対象のアンケートだと思うのですが、私には良く理解できません。
つまり、どこに対して格差をなくして欲しいと国民が願っているのでしょうか?
自分より恵まれない方に対して、自分とその人との差額の半分を差し出そうと思ってのことなのでしょうか?
自分は毎月20万円と賞与年二回で30万円くらいの収入があり、週休も2日+祭日がある。
それに、社会保険にも入っているから、失業したときも3ヶ月くらいは手当がでるし、病気になっても3割負担でいい。
その上年を取ったら年金ももらえる。
こんなに恵まれているのだから、病気で働けなくて困っている人と差がないようにしてあげたいと言っているのでしょうか?
まさか、自分よりお金持ちに対して、取り過ぎだからずるいと言っているうのでは・・・・?
自分より貧乏で、自分より不幸なひととの格差をなくそうと努力することは素晴らしいことだと思います。
しかし、自分より富豪や幸せを得ている人との格差をなくして欲しいと訴えているのだとしたら、これはお門違いだと思わなければなりません。
もし日本から富豪がみんないなくなってしまったら?  大変です。税金が跳ね上がります。
こういうところも考えて発言していますか?
富豪がもっと税金の少ない国へ移り住もうと思うならば、富豪だからこそ移ることが簡単にできるのです。
だって、外国だって貧民が移ってくるより富豪が移り住んでくれた方が嬉しいに決まっています。
富豪が日本に留まってくれなければ、日本の税金は国民みんなで出し合っているのだから、ますます負担額が大きくなってしまうのです。
アンケートで格差をなくして欲しいと答えた人は、自分は健康に恵まれて働けるけど安月給だから辛い、同じに働いていて高額をとる人が許せないということなのでしょうか。
自分より健康で給料も高くて贅沢な生活をしている人に対して、格差だと思っているなら大きな間違いです。
このような思いは「嫉妬心」といって、平たく言えば「うらみ」「ねたみ」「そねみ」といった類のものです。
要は感謝がなく、人の幸福を阻害しようという性質であると言っても良いのではないでしょうか。
世の中に平等であるべきことは、生きる権利、挑む機会(チャンス)、自分の意思で決断すること、ではないでしょうか。
私は以前、ある新聞社の研修センターに勤めていました。
もちろん、社内でも格差は大きくありました。
私は大変低い賃金で労働をしていた部類に入ります。
でも、私はお金こそ得られず慎ましやかな生活をせねばならない状態でしたが、内面的にはこの会社で大変大きな収穫がありました。
金銭至上だと、どうしても得るものをお金でしか図りませんが、働くということで得られることはお金だけではなく、思考力、判断力など色々な力も得られるものに入ります。
だから、格差をなくして欲しいと多くの方が言っているとは、何をどのように格差をなくして欲しいといっているのか、もう少し詳しくアンケートをとってほしいものだと思いました。
私のこの考えに対して異を唱える方もいらっしゃると思います。
しかし、私は外を見て悪いところを直そうと提議するよりも、内を見て直すところを見つけたり、考え方を変える事によって楽に幸せに感じられるようにしていくことの方が、生きている意義を感じられるような気がするのです。
賃金が安く設定されている人からしたら、同じ人間なのだから一時間はだれもが同じ金額にするべきだという人もいるかもしれません。
しかし、同じ一時間を働いたとしても、人によってかなりレベルが違う仕事の仕方になることの方が多いように思います。
そういう能力の差は格差とは思わないのでしょうか。
外に対して文句をいうより、内を改善することに力を注いだ方が、最終的には良い結果が出ると私は確信しています。
アメリカはアメリカのお金の半分を4家族が所有しているといいます。
中国は中国のお金の40%を中国人の4%の人が所有しているといいます。
東南アジアの貧富の差は半端ではなく著しいです。
ゴミ山の上で暮らしている人々の一日の稼ぐ金額が、富豪が買う一粒のチョコレートの値段と同じだといいます。
日本は格差がない方です。
日本では、自分の環境を変えようと思えば、自らの努力で変えることができます。
その勇気がないとか、失敗を恐れるからできないというのは理由になりません。
でも、東南アジアやアフリカでは、いくら決意しても自分の努力や決意だけでは、どうすることもできない環境で暮らしている人たちもこの地球にはいるのです。
もっと、自分の生活に感謝をして、自分が世の中を良くするためにできることは何か、という視点をもって生きた方が幸せを感じる機会を多く得ることができるでしょう。
その考え方の礎となるものが武士道なのです。

差別

2010年6月15日

『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第五回目のテーマは「差別」
「外人がね・・・」
「それって差別用語ですよ」
「え?なんで?」
「知りませんけど、そう学校で習いました」
「あなたの学校の先生は***だったの?」
「わかりませんけど・・・」
「外人って差別用語の訳ないじゃない」
「え・・・・ただ外国人ならいいって言われました」
「どうして?」
「知りませんけど・・・なんででしょう」
「分からないで言ってるの?」
「学校で教わったから。ああそうそう、韓国人も中国人も差別用語だって聞きました」
「信じられない・・・アンビリーバボー!!」
外人が差別用語って誰が言い出したの?
日本語は字が意味を語っています。
だから、「外人」とは「そとのひと」「ほかのひと」という意味です。
『外』という字は「がい」「そと」「ほか」・・・など読み方があります。
「外国人」は「ほかの国の人」という意味で、国が主体。
日本以外の国に所属する人といっているわけです。
しかし、「外人」は「日本人以外の人(日本人ではない人)」という意味で、人が主体。
何が差別なの?
人を主に持ってきた外人が何故差別用語なの?
韓国人、中国人も差別用語とは何故なの?
韓国の人、中国の人って言わなきゃいけないってどういうこと?
なんで、韓国の人、中国の人って言わないと差別なの?
かえって意識する事の方が差別ではないのかしら?
アメリカ人とかイギリス人っていうじゃない、アメリカの人って言う? イギリスの人って言う?
いえいえ、言いいませんよ。
アメリカ人は自国をステイツって言います。
でも、私達は絶対そうは呼んであげないですよね。
これが、アメリカではなかったら、ステイツと呼ばないと言って差別だって騒ぐのかしら?
今や日本人で韓国を身近に感じると答えた人は50%
韓国人で日本を身近に感じると答えたのは42%
こういう数字が出ているのに、今さら外人、韓国人、中国人が差別用語とは・・・
日本語の持つ意味、音の響きなど、日本語で育った人にしかわからないものもあります。
それを考えたら、外人を差別用語と最初に言った人が、差別意識が高いのではないでしょうか?
個を大切にすることを差別ととらえているのではないでしょうか?
差別と個を大切にすることは違います。
私は地球は一つと言うのは、それぞれの個を大切にするからこそ一つになれると思うのです。
私たちが親から生まれてきたから、親と同じだと言われても反発するのと同じです。
個を大切にしないで地球を一つにしたら、それこそ弱肉強食で武力の強い国の人に同化しなければならなくなりますよ。
文化も文明もなくなり、総て均一化してしまい、美術も芸術もどこへ行ってもみな同じになってしまう。
こんなつまらない地球にしたら、地球の創造主はどう思うかしら?
もっと日本語の奥深さを学んでから、差別と叫んで欲しいですね。
本当の差別は、意識をする事だと私は思っています。
意識をしなければ差別など起きないのですから。
私は個を大切にして、地球に住む者達が、みんなで協力し合い、地球にとってよい存在となることが大切だ思います。
平和を叫ぶのは、平和ではないからです。
平和なら、改めて誰も平和は素晴らしいなどと騒ぎはしませんから。
真に公平で差別を意識をしない社会を作るには、お互いが自分と違う者を認め、敬う気持ちを持たなければなりません。
だから、差別だと騒ぐなら、みんなが自分以外の人、自分の仲間と違う人を認めて敬って大切にすることから始める必要があります。
差別は自分以外の人を認めず、自分が一番正しいし素晴らしいと思い、自分以外の人を蔑むから起きる意識です。
いつも、自分以外の人を称えて、違いを楽しみ、差異を大切にすれば、差別意識などなくなると思います。
私は日本人だから、日本人の友達が一番沢山います。
みんな素晴らしい人たちです。
でも私は北京や上海を故郷とする中国人の友達も沢山います。
みんな素晴らしい人たちです。
私は台湾人にも韓国人にも知り合いがいます。
みんな素晴らしい人たちです。
私はみんな大好きです。
それぞれ所属先が違うだけでしょう。
パナソニックの人とソニーの人が売上を廻って競争をします。
でもお互いどこに勤めているか知らないで知り合ったら、きっとすごく仲良しになります。
でも所属先を知ったとたんに、あれは言えない、これは言えないとなります。
これが違いを意識する始まりです。
だから、国が違うことだって、言葉が通じないから余計に差を感じるだけです。
これを、金星で、金星人と一緒に日本人が中国人と会ったら、それは母体が地球で一緒ということから急に仲良くなります。
それなのに、地球にいるときはへんな意識をして、仲良くなるチャンスを逸している。
本当にもったいないですね。
お互い自分以外の人を認めたら、差別なんてなくなり、世界が広がるから本当に楽しいですよ。

革命・維新

2010年6月13日

『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第四回目のテーマは「革命・維新」
私の知り合いの先生で堀内保丸先生がいらっしゃいます。
もう82歳だったでしょうか。加茂一族の末裔です。
加茂一族はあの八咫烏です。
高校教師をしていた堀内先生の体験でとても胸を打つものがありました。
東大を目指している高校生が堀内先生に
「先生、最近勉強するのがばからしくなりました」
というのですね。
理由は皇太子様はあの様に恵まれているのに、自分は遮二無二努力をしなければ幸せを得られない、不公平だと言うのです。
だから、スタート地点が平等であるべきだというのですね。
そこで堀内先生は生徒に、親の七光りがあって、出発点から差が生じているのは不公平だと言うのか、それで幸福をつかむのは卑怯だということか、と確認します。
生徒がそうだと肯定すると、堀内先生はその生徒にあることを要求します。
それは、親から貰い受けたものは七光りや財産だけでなく、生まれつき目が見えないで生まれてくる人もいる。
スタート地点が同じでなければ不公平だと言うなら、その人の為に自分の眼を抜き出して、その人と同じスタートラインに並んであげられるかといいます。
そして、将来財産ができても子どもには残さずに寄付をするか、と聞きました。
生徒は答えられなかったんです。
堀内先生は、真の革命とは、富や権力の譲渡を迫るものではなく、人間を富や権力の誘惑から解放することであるとおっしゃっているのです。
こういうことが書かれた本が絶版になってしまっていて、復刻版が出版されないのですね。
本当に残念に思います。
これらのことは今の時代の先生の勉強にもなり、そのまま世の中に通用する教えだと思います。
教師の資格更新では、武士道(徳育)を入れて欲しいな・・・と思うのはわたしだけでしょうか?
明治維新だって、結局は富と権力のすげ替えといってしまえばそれまでというところもありました。
だって本当に無欲で闘った人は、日本を動かすこともなくみんな死んでしまったのですもの。
坂本龍馬だって、西郷隆盛だって、吉田松陰だって、佐久間象山だって、みんなみんな死んでしまいました。
この人たちが日本を動かしていたら、どうなっていたのかしら? と考えるだけでも胸が躍ります。
本当に平成維新は、人間を富と権力の誘惑から解放するものであってほしいです。
ここに気付いた人が次のリーダーにならなければ、どれだけ人が入れ替わっても、きっと世の中はあまり変わらないように思います。
どの時代も、富に目がくらみ権力にあぐらをかき始めると、世の中が乱れてきます。
勤倹質朴であることが、良い世の中にする絶対条件だと私は確信しています。
贅沢をしたい自分の心と戦い、同じ地球に生きる人で食べるものすらなくて苦しんでいる人に、少しでも分け与えたいと思って欲しいと思います。
みんな自分の余裕の部分でしか助けようとしない昨今。
工面をして助ける事の美しさや素晴らしさを味わって欲しいと思いました。
きっと、飛行機のファーストクラスの一座席をぬいぐるみの為キープするようなことを思いつくから、詐欺も思いついてしまったのでしょう。
それよりも、同じ地球で困っている人を救うためにそのお金を使っていたら、もっと違う形で世の中を風靡(ふうび)していたように思います。
欲の持ち方は本当に誤ると怖いです。

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