武士道ワンポイントレッスン

掃除と武士道

2010年10月3日

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26回目のテーマは「掃除と武士道」
掃除をするとすがすがしくなりますね。
掃除は目に見えたところだけでなく、たまには心も体も掃除が必要です。たとえば、嫌な事、恨みたくなること、腹立たしいこと・・・これらは全て成長のために用意された心の食べ物です。だから、栄養素だけを吸収したら、残りカスは排泄しないといけないわけです。つまり、私たちはご飯を食べて、栄養を吸収したらあとは大小便を排泄しますね。それと同じです。
しかし、頭に入った心の食べ物は、意外とゴミばかりを大事にしまって便秘になっている人が多いように思います。便秘すれば吹き出物もでてお顔もブキブキが出て醜くなりますし、お腹が重く感じて不快です。それと同じことが心と頭で起きているのに、誰も気づかないから、鬱になったらい引きこもりになったり、ニートになったり・・・。いろいろと弊害が出てきてしまうんです。要らないものは早く排泄しましょう。つまり忘れてしまう努力をするということです。
でも、簡単に嫌なことほど忘れられないものだから、とらえ方そのものを変えていくのです。そうすると、忘れやすくすることができます。案外どうでもいいことって忘れてしまうでしょう。その線でいくのです。腹を立てると、血圧も上がり、血糖値も上がり、脈拍数も上がり、良いことないです。
恨んでいても、損するのは恨まれた人でなく恨んでいる人です。だって、刑務所に入っている人はみんな恨まれているはずじゃないですか。でも、けっこう元気に出てきているではないですか。それなのに被害者の家族は、病気になったり、一家離散してしまったり・・・恨むということが身体を壊すし、精神も病んでしまうものです。
嫌なことを人生の課題で、問題を解いているし、自分で設定してきたと思うことで、恨まずに済ますことはできます。許す必要はありません。悪い人だと言いふらしても良いんです、ニコニコ笑いながら淡々と事実を言いふらすのですよ。眉間にしわを寄せて嫌だという感情を込めて言ってはNGです。
聞いている人が笑い出すように話すことがコツです。
掃除をするのは本当に素晴らしいことです。お部屋が綺麗になっても気持ちいいし、綺麗に掃除された公衆便所に入るのも気持ちいですよね。掃除していない部屋は、浮浪者の方が異臭を発して街をいているのと同じ状態です。身体の掃除はお風呂に入って体を洗うこと、それに心もちゃんと掃除掃除しましょう。目に見えるところだけでなく見えないところを掃除することも大切なことです。自分に必要でないことを忘れるのが心の掃除です。

「武士道と経営」その1

2010年10月1日

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25回目のテーマは「武士道と経営」
お金を稼ぐ会社の経営に、なぜ武士道が必要なのでしょう。
江戸時代が終わり明治維新になって、今の会社ができ始めました。その時の組織は、商家の慣習に従わず、武家の慣習に従って組織を動かしました。終身雇用の年功序列、一度就職をしたら定年まで勤め上げるのが当たり前でした。職場を転々とするのは、忍耐力がなく恥ずかしいこととさえ思われていました。一度お殿様に仕えたら、命を懸けて全うすることが良しとされていた武家社会と似てますね。
話は変わり、武士道を研修に入れると会社の業績は上がります。
理由は、社員が自発的になり意欲的になるからです。
社員を見張って『働け、まじめにやれ』と言っても、社員はサボることばかり考えます。しかし、見張りなどなくても「この社長のためなら!!」と思って動いてくれれば、真面目に必死に働いてくれます。それには、規則を作ったり、良いところを見つけて褒めてみたりするよりも、感動をさせればよいのです。
感動とはどうやったらさせられるのでしょうか?
感動するのは、自分の努力を見ていてくれた、立派な人目上の人が謙虚で偉ぶらず自分を気にかけてくれた、等というときに、特に起きます。だから、苦しい時に自分を認めてくれた、諦めていたときに助け舟があった、などどれも感動します。
経営者に以下の4タイプがいたとします。
①バランスシートとにらめっこをしながら、節約を言い渡す人
②グループを作り、チームごとに費用対効果を競わせる人
③成果が上がったらその都度上乗せして手当を出して、意欲を上げようとする人
④社員と一緒になって働き、朝も誰よりも早く出勤し、一緒に掃除もして後ろ姿を見せる人
果たしてどの経営者が一番業績を上げることができるか考えてみてください。その理由も考えましょう。
答えは次回の武士道ワンポイントレッスンでお話しいたします。

幸せと感謝の関係

2010年9月30日

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24回目のテーマは「幸せと感謝の関係」
幸せは人の心が作るもの。
幸せは他から運ばれてくるものではありません。
幸せは感じるもので、与えられるものではないからです。
自分の環境により、幸せを感じることが変わってきます。
男に生まれて幸せだと思えば、男としてなすべきことを探し目標を立てるでしょう。それを達成したときは、幸せを感じ男として生まれたことを嬉しく思うでしょう。また女に生まれて幸せだと思えば、女としてなすべきことが見つかります。そして、なすべきことに一生懸命に取り組んでいて、それを褒められたらとても幸せに思います。
それなのに、いつも隣の芝生を見ながら「隣は良いな・・・」と言っていたら、幸せは遠のいてしまいます。それよりも、今自分に与えられていることの中から、幸せを見つけ出せたら、それが本当の幸せです。
「将来はきっと幸せになるから、今のこの辛い生活を我慢して耐えるんだ」と言っている人が、一番不幸な人だと言います。反面、「今、こんな幸せを頂いている」と今を大切に思える人が一番幸せな人です。
つまり、足ることを知るのが一番の幸せなのです。
それは、すべて感謝につながるからです。
幸せな人は感謝をする人と言えます。
さあ幸せになりましょう。
今あなたはどんな幸せを頂いてますか?

武士道

2010年9月20日

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23回目のテーマは「武士道」
武士道。なんと日本人に生まれてよかったと思える素晴らしい響き。そう思っていたのは私だけ?と思うことを度々経験します。私たちには当たり前になってきていることが、実はまだ世間では構えてしまうものでした。
武士道と聞くと、何故かひっかかるとか、引いてしまうという人がけっこう多いのです。私は武士道という言葉そのものを、全く意識しないで育ってきました。だから、武士道を自分なりに理解してポジティブにとらえることができたのかもしれません。
武士道とは、日本人が日々の生活の中で、自然と育んできた生き方です。テキストはなく、すべて口述で親から子へ、子から孫へと伝えられてきた口伝の教えです。だから、マニュアル社会で生きてきた人にはなかなか難しいことに思います。
Wikipediaでは「武士道は、封建社会の日本における 武士 階級の倫理及び価値基準の根本をなす体系化された思想一般をさす」と書いていますが、これは偏った見方だと私は思います。封建社会の前から武士道は存在していました。武士道というと、武士の道というイメージが強いので、武士とか武道などと同一視したり、武士や武道をする人にしか必要ではないと勘違いする人もたくさんいらっしゃいます。
私が武士道を唱え始めたとき、
「剣道はやっているのか?」
「武道はやっているのか?」
「武道は型から入るが、武士道は型がないからどうやって入るのだ?」
などと訳のわからない質問が沢山ありました。
なぜ剣道をしていなければならないの? 
武士道をするには武道をしていなければいけないの?
などと不思議に思っていました。
武士道は「生き方」であり、それは生き方の指針であり、生きる道とも言えます。だから、武道をしていなくても武士道を心得ることは十分できるのです。型から入らないと習得できない人は、目に見えるものしか感じ取れないのではないでしょうか。
人間は目に見えないものの方が多くありますし、比率も大きいのです。目に見えないものはイコール宗教や想像、などと決めつけてしまうのは早合点です。携帯電話だって、見えないものの力が働いていますね。今までの電話なら配線をたどっていけば相手先についたのですが、携帯は見えない電波です。これと同じように、見えない世界を否定してしまうと、解ける問題も解けなくなってしまうのです。
武士道は、見えないものです。
つまり心の問題です。
だからこそ、追求したら切りがないくらい奥深く広いものなのです。
偏見を持たずに武士道を受け入れてほしいものです。
生きるのがとてもらくになるのですから。

合わない人と和を保つ方法

2010年9月9日

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武士道ワンポイントレッスン
22回目のテーマは「合わない人と和を保つ方法」
自分の意見を持つことは大切です。自分と意見の合う人は良い人に感じます。でも、意見の合わない人はうっとうしい人になります。だから、「あの人いい人ね」という褒め言葉は、実際には「あの人は、私にとって都合の良い人なのよ」という意味の場合が多いですね。
逆に合わない人は、自分にとって都合が悪いことをする人だったり、褒め言葉を言ってくれずに注意ばかりしている人だったりすることがほとんどです。細かくてうるさいと思う人は、自分にゆとりがなくてそっとしておいてほしい時に特に感じたりしませんか。
しかし、この意見の合わない人から学ぶことは大変大きいものです。
意見の合う人とは何かを一緒に組んで進めるには適していますが、悪くなったときは補い合うこともできないという欠点があります。確かに好きなものが同じなら意見が合います。
だから食事に行くときや、遊びに行くときは楽しいでしょうが、食事でも残してはいけないところに行ったとき、または、全部種類の違うお弁当があって好きなものを取っていいと言われた時などは、好きなものが違う方が便利ですし、都合がよいではないですか。ましてや人間の好みだったら、好きな異性が同じになり奪い合いになることだってあり得ます。趣味が違えば奪い合いなどあり得るわけがない。
このように違う意見を受け入れるからこそ、丸い輪になり分け合いが自然にできるのであって、意見の違うものを排除していては雲丹みたいになってしまうし、最終的には喧嘩になってしまいます。
気の合わない人を受け入れるには、
①世の中、自分と同じ人は二人といない
②親の注意はイライラ腹立たしかったということを思い出す
③生きてきた環境が違えば判断が違って当然
この3つを頭に入れます。そうすると、嫌なことを言う人は、自分にとって為になることをしてくれていると思えてきます。
もちろん、その相手は意地悪をしているかもしれません。でも、受け取る自分が意地悪ととらなければ、いくら意地悪をされても、それは意地悪ではなくなるのです。意地悪ではなく、
①違うやり方を探すように仕向けてくれていると思う
②忍耐力をつけて、想像力と思考力をつけるチャンスを与えてくれている
③同じ異性やほしい物を奪い合わなくても済む
と思うことで、感謝する存在にすらなるわけです。
全てが旨くいくとは言えませんが、このような捉え方をしていたら、あまり悪い方向には傾いてしまういことはないでしょう。つまり、意地悪をしたりイジメをする人は、苛めたことで相手がダメージを受ける姿をみてストレス解消させています。
そうすると、苛めてもいつも明るく楽しそうにしていることが、一番良いしっぺ返しになるのではないでしょうか。しっぺ返しはしない方が良いと思いますが、でもそう思うことで救われた気持ちになることも確かです。つまり、自分の考え方、とらえ方、受け取り方次第で、いくらでも不愉快になるし、いくらでも幸せになるということです。
幸せになりたければ、自分の考え方やとらえ方を変えるしか方法はないのです。
合わない人と合わせなければならない職場などでは、自分の取り方次第、考え方次第だと思って、自分をコントロールする術を見つけましょう。和を保つとは、己の感情の調整能力を高めることなのです。
きっと心が乱されない素晴らしい毎日を送ることができるでしょう。

「はかなさ」と「せつなさ」

2010年8月19日

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武士道ワンポイントレッスン
21回目のテーマは「はかなさ」と「せつなさ」
人間は「はかなさを知る」ことが、無駄な焦りや競争心を起こさずに済むように思います。
「はかなさ」「せつなさ」とは、どんなに努力をしてもいかんともしがたいことがある事を知ることではないでしょうか。
生老病死がまさにそれです。
他には、愛する人から愛されない、背が高くなるように願っても遺伝でどうしようもない
このように、人生にはどうしようもないことがたくさんあるということなのです。
しかし、最も適した使い方は、「辛いことが多くて一生懸命乗り越えて生きているけど、必ず死んでしまったら何もあの世にはもっていけない」
と思った時この気持ちになるはずです。
「あの人が困っているから助けてあげたいのに、その力がない」という時でしょう。
特に我が子が病気で苦しんでいるのを見ている親や祖父母は、この気持ちで一杯になるはずです。
はかなさを知るとは、いくら努力して完成させても流れの中で生きている我々には、それをとどめ置く力がない、それでも努力を続ける必要がある事を理解することだと思います。
そうすれば、先を考えたら何もしたくなくなってしまったという事はなくなるはずです。
切なさを知るとは身を切られるような思いであるのに、何もすることができない、ただ祈るしかできず、悲しみを堪えなければならない。
己のふがいなさを責めたくなるような気持ちを味わい耐えることです。
諦めの境地になる人、自暴自棄になる人、凛として堪え出来る事をして気持ちの整理をする人、様々な対応の仕方があります。
どんなに辛くても、切なくても、努力をし続けていかなければならない、そういう宿命の元に命を授かっているのが我々人間なのです。
動物はここまで考えられないはずですし、はかなさを知らずに、目の前のことにのみに気持ち動くようです。
はかなさと切なさを感じたり知ったりできるということは、人間である証であり、考える力があるからです。
はかなさを知って、開き直ってしまい「どうせ死ぬんだから、生きている間に好きな事をしておかなきゃ損だ」と考えたとします。
きっと、遊び三昧でしょう。
しかし、「一度しかない人生を、悔いを残さないように、後に残る子孫が恥ずかしい思いをしないように生きよう」と思ったとします。
きっと、世のため人のために良い事を一生懸命考えて行動に移していくことでしょう。
どちらが得か? 正直申し上げますと、死んで見なければ解らないでしょう。
でも、死後の世界があったとしたら、後者の生き方をした方が後悔しないでしょう。
また、死後の世界がなかったら、良いも悪いも解らなくなってしまうのですから、どっちも同じではないですか。
そうなら、子々孫々末裔まで誇れる人物でいた方が、生きている人の中で生き続けるイメージは良くなります。
一点のみで判断せず、多角面での判断をすることが、楽に生きる術に思います。

仕事と遊び

2010年8月16日

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武士道ワンポイントレッスン
20回目のテーマは「仕事と遊び」
仕事をするということは、先ずは誰もが自分の生活を支えるためにしています。
言い換えると「お金を稼ぐため」に働いているということです。
しかし、生きていくために必要なもの、例えば、食べ物、着る物、寝具、文具、家電など生活をする上で最低限必要なものを買うために働いていることも確かです。また、少しゆとりが出てくると、趣味や娯楽のために使うお金、車や海外旅行、ブランド品など欲しい物を買いたいと思います。ただ単に、この様なものを買い、貯金をして、目標は結婚する事、なとど言っていたら、長い人生を考えた場合、いかがなものなのでしょうか?
結婚が悪いといっているのではありません。
結婚に夢をもって、結婚したらどうしたいのか? という目標を持つことが望ましいと申し上げているのです。
仕事をする目的が生活費のためであり、最終目標が結婚だったとしたら、結婚した後は辛さしか残っていない・・・となってしまうのではありませんか? 
せっかく生まれたこの一生を、後悔しないで済む様に思いっきり遊び、それを思いっきり楽しむ。
この様な生き方をしたら苦しい事が起きても乗り越える力が湧いてきます。
それを、ただお金を稼ぐためだけに働いていたら、殺伐とした精神状態になり、心の潤いがなくなってしまうのも道理です。
仕事は苦しいものという考え方は西洋の考え方です。
だから、西洋ではリタイア(定年)を迎えると「おめでとう」と言います。
日本でそんなことを言ったら落ち込んでしまいます。
日本では「まだまだ、あなたの力が必要なのに残念です」と言うと喜んでいただけます。
それでは、仕事とはどの様なものなのでしょうか。
一言で言うと仕事とは「遊びの一つ」です。仕事も遊びなのです。
サーフィンが趣味で仕事の合間に遊びに行く人がいますが、プロのサーファーやサーフィンの講師はサーフィンが仕事です。
映画を観に行く人はたくさんいます。
平素の疲れを癒すためだったり、ストレス発散だったり理由は色々ですが、映画評論家は映画を観ることが仕事です。
ヨガも、ピアノやギターも、趣味の人もいれば仕事の人もいます。
つまり、仕事と遊びの境目は「誰よりも上手になるくらい努力したか、適当にしたか」なのです。
今皆さんは仕事をしています。そ
れは、他の誰よりも一生懸命努力したことが仕事になっているはずです。
そんな努力をしてこなかった・・・とおっしゃる方は、人生も何となく過ごしてきてしまったはずです。
資格のない事務員だから命がけでやるほどではないと思う人、それは間違いです。
どんな雑用でも一生懸命取り組めば、生き方も評判も変わってきます。
事務の仕事が雑用ばかりだったら、誰よりも上手にコピーを撮ったり、どんな美味しい喫茶店にも引けを取らないくらい上手にお茶を入れたりすれば、それがまた新たな仕事になります。
この様に、仕事とは誰よりもその事について努力した結果なのです。
だから、遊びの延長線上にあると思ってよいわけです。
それならば、今与えられた事を、誰よりも一生懸命に、誰よりも真剣に、誰よりも工夫したら、今後どの様な結果があなたを待ち受けているでしょうか? 
想像してみてください。
楽しくて仕方なくなるはずです。
努力は中途半端にしていると苦痛になります。
真剣にならずにいい加減にしていると嫌気がさしてきます。
工夫もしないでただ毎日同じ事を繰返していたら飽きがきてつまらなくなります。
仕事とは、当たり前のことを誰よりも一生懸命取り組み、夢中になって努力をし、真剣に工夫をすれば、何よりも楽しい遊びなのです。

「徒党を組む・取り巻きを連れる」

2010年8月1日

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19回目のテーマは「徒党を組む・取り巻きを連れる」
自分に自信のない人ほど徒党を組みます。
“取り巻き”も“徒党を組む”のは似たり寄ったりで、かわりはありません。
つまり一人で何かをすることが苦手で、いつも誰かを連れていなければ何もできない人なのです。
本人はそれを対外的には認めませんが、よくよく考えれば心の中で納得するはずです。
同じ部下を連れて歩くのでも、秘書を連れて歩くのと、取り巻きを連れて歩くのは全く違います。
取り巻きはお世辞が上手ですし、絶対に逆らいません。
秘書は意見を言います。言わないような秘書は秘書として役に立ちません。
とりまきが必要な人は権威志向が強かったり、一人で交渉したり、一人で成し遂げたりする自信がない人でしょう。
取り巻きを連れている人は、たいてい弱い人を一人攻撃します。
そして、異性には弱く、権力に弱いから、力のある人にはペコペコしているのが特徴です。
それでは、逆に一匹狼を豪語する人、この人はコミュニケーション能力が不足している人です。
我慢や譲歩、和を保つ事が苦手な人です。
一人でやっていれば調和を図る必要はなく、総てお金で解決できます。
でも人間は、他者の力借りずには何もできません。
本物のジャングルで一匹狼ならすごいと思いますが、都会のジャングルではたかが知れています。
つまり、自給自足ができずに一匹狼などと言うのは、感謝ができないということですから恥ずかしい事です。
都会でも自給自足をしていると言う人は、苗も、種も、買って調達することがあってはなりません。
お金を全く使わないで生活する事が人との接点を絶った自給自足になります。
もう其の時点で他人の力を借りていることになるからです。
人との接点を絶って自分の働きで生きていることは自立(経済的)とは言わず、自己のわがままを認識できていない結果といえるでしょう。
それほどまでに、人間は自分以外の生き物により支えられているのです。
それを理解して、感謝して、恩返しをしたいと思うことが、人間として自力本願であり自律(精神的)しているといえます。
つまり、両極端にはすることは、どちらも良い事ではなくなってしまうという事です。
徒党を組まず、取り巻きを連れず、かといって一匹狼でもなく、みんなと仲良く和を保ちながら一人で何でもできる人。
これが中道を行っていますから、自立も自律もしている人と言えましょう。
是非、総てのことを人を頼らずに一人でやろうと決心してみてください。
そして、コミュニケーションを充分とっても他者に頼らず、総てを一人でやろうと思ってください。
そうすると、何かを一つでもしてもらったら嬉しさがこみ上げてきます。
その時は素直に「ありがとうございます」と言いましょう。
感謝のできる人は、最高のコミュニケーション能力を身につけています。
取り巻きを連れていたり、徒党を組んでいると、どうしても他力本願になります。
そうなるとやってもらえないと文句を言うようになります。
自信がつけば、総てを一人でやろうという気持ちが湧いてきます。
自信は他者に親切をして、ありがとうといわれる事が多くなれば自然と自信がつきます。
自信がないのは自分の事ばかり大切にしているからです。
自分のことを大切にするという中には、良く思われたくて我慢しているのも自分のためですから、入るのです。
同じ我慢も他者のためにしなければなりません。
ぜひもう一度考えてみて、和を尊び、感謝を忘れない生き方をしてください。
それが武士道です。

「迷い」

2010年7月10日

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18回目のテーマは「迷い」
迷う時はどのようなときでしょう。
私のところには、よく相談がきます。
その時、どうしようか迷っていますという質問や相談もかなり多くあります。
よくよく考えてみると、損得勘定で選択しようとしている時に迷うように感じます。
損か得か?
これは一か八かの勝負になってしまいます。
まさに丁か半か!!
損得で考えているから、足許を見られてかえって損をしたり、自分の欲を満たしたいが故に、詐欺に遭ってしまったりするんです。
だから、損得勘定で判断しなければ、意外と詐欺にも遭わないかもしれませんね。
それではここで、私が以前迷った時の苦い話をしましょう。
今から何年か前に、ある女性参議院議員の秘書の一団から、バーチャルでの土地の売買をしないかと声がかかりました。
その時はかなり有名になった方だったので、とても信憑性があり、直ぐにでもやりたいと思いました。
だから申込書まで書いてしまいました。
私はよい話は直ぐに知り合いに教えたくなる方なので、数人の男性に声をかけました。
すると一人の方から「これはインチキだ。絶対に将来何億円単位の訴訟問題になる。あなたは武士道を志しているのではないのですか?」と厳しい言葉を戴きました。
私は「武士道を一番伝えたい所に伝えるチャンスだからですよ」と心で思っていました。
私は、バーチャルの世界で土地と店を買い、そこで“寺小屋武士道”をやろうと思ったのです。
欝や引きこもりの人に、武士道を伝える事で、辛い毎日から脱却してもらえるのではないか?と期待をしたのです。
欝や引きこもりになってしまうと、家からどころか部屋からすら出ないから、外で講習会をしても無理だと思ったのです。
だから、もってこいの話しだと思いました。
丁度その頃、外国産のバーチャル版に大手企業が続々と出展するという時期でした。
厳しい言葉を戴いても、まだ超有名になった女性参議院議員さんも申込書をかいていたのに・・・と信じられず迷っていました。
その時偶然バーチャルの話を普通の主婦の方がしているのが耳に入りました。
「このバーチャルの土地をかうのって、ねずみ講と一緒でしょ? 楽してお金が入るって奴ね」
この最後の一言に私はのけ反ってしまいました。
私が一番やりたくない事、私の信念に反する事と思っていたことではないですか!!
武士道を目指す人は、鍵山秀三郎先生のように汗を流して、自ら身体を使って働き、大きな努力で小さな成果を望む。
これが私の生きる目標と決めていたからです。
一気に目が覚めたというか、いけない!!いけない!! これでは何の為に寺子屋武士道を開こうとしているのか分かったものではない。
そこで、厳しいお言葉を戴いたことを正直に伝えて、お断りさせて頂いたという経験がありました。
それがここ最近、訴訟問題となりマスコミを賑わせていました。
あの時、自分の希望(欲)だけで決めず、信念に照らし合わせて決断をして良かったと改めて思った次第でした。
この様に、武士道を広めたいという、一見社会貢献ではあるのですが、その裏には私の欲が隠されていました。
早く広めたい、これで結果が出れば広まれば武士道を毛嫌いしている人たちも認めてくれるだろう。
こういう思いがありました。
純粋に人を助けたい、という思いだけではなく、自分の進む道が早く開けるようにという願いが大きくありました。
これは正に欲以外の何ものでもありません。
あえて私の恥ずかしい経験を掲載したのは、相談に乗る側の私だって、ダメな人間の経験も沢山している事を分かってもらった方が良いと思ったからです。
この日から、私は判断を迫られた時は、欲が有るか無いか? そこを先ずチェックします。
それから、欲(損得勘定)がない状態になってから、まず恩を仇で返すようなことはないだろうか? と考えます。
そして、話を持ってきた人の損得も考えます。
また、これは自分にとって好きなことで夢中になれることだろうか? と考えます。
最後に、これをする事でどのような社会貢献ができるのだろうか? 誰かを喜ばすことはできるのだろうか? と考えます。
これだけの判断材料を集めてから、判断を下すようにしています。
だから、最近は決断をした後で後悔するようなことが少なくなってきました。
迷いは損得勘定だxからです。
損得勘定はお金だけでなく、名誉、評判、手柄、なども入ります。
良く思われたいが故に『NO』が言えなくて苦しい思いをした、なんていうのも正に損得勘定で判断していると思いませんか?

信念と凝固

2010年7月8日

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武士道ワンポイントレッスン
17回目のテーマは「信念と凝固」
真面目で正義感の強い人が勘違いをしやすいことが以下のことです。
信念を持つ” VS “自分の考えに凝り固る
この違いは大きいのですが、意外と勘違いしやすく、混同してしまうことが往々にしてあります。
信念は自分の生きて行く上での判断基準であり、生き方そのものといえるでしょう。
自分の考えに凝り固まっているのは、世の中をを画一化しようとしているのと同じです。
しかし、自分の信念を貫く気持ちが強過ぎてしまい、他者にまでそれを強制しているのに気がついていない人がいます。

それは、自分の考えを押し付けているという事に気づかなければ、物事がスムーズに進まなくなってしまいます。
ここで、自分は違うと即座に思った人は一番危ないです(笑)
武士道を志している場合、老若男女問わずこの勘違いをしてしまう真面目で正義感の強い方によくお目にかかります。
この場合、話し合いができなくなってしまう、話がまとまらなくなってしまうという結果が起きます。
真面目で正義感が強いということは、言い方を換えると「柔軟性が足りなく、融通がきかない堅物」ともいえます。
と申しますのは、行為行動の総ての事に、『+』の面と『-』 の面の両方があって、つまみの調節次第で決まります。
活発でいつも動きまわっている子が、常時同じ行為行動をしていたとします。
すると、体育の時間は『+』に出て『元気で頑張っている』という好評価になりますが、国語の授業では『-』に出てしまい『落ち着きがなく、おしゃべりが多い』と悪評価になってしまうようなものです。
だから、時と場合によって言い方や対応を変えないと、信念を貫いているつもりが、他者に自分の考えを押し付けている状態になってしまうということです。
人間が集まると、その人の数だけ考え方も生き方も違います。
たとえ親子であっても全く違うものです。
ましてや時代が違えば受け取り方が違って当たり前です。
今の様に、時代の変化が著しく、携帯電話もパソコンもゲームなどがふんだんに出回って自然がなくなってしまった現在では、祖父母と孫では全く違う環境で人間形成をしてきました。
これでは考え方もマナーも生き方も変わってきて当然です。
それなのに、それぞれが自分の育った環境で身についた考え方を、信念だと思い込んで意見が違った時に譲らないとなったら、周囲は混乱してしまうでしょう。
また、時代が変化してきたから、昔の話は合わないと言い切ってしまうことも、あってはならないことです。
昔の良い所を残し、そこに新しい良い事を取り入れながら改善していくのが人間だからです。
停滞も切り捨ても総て限度があるのです。
信念とは自分の生き方です。
だから、他者と違っていて当たり前で、お互いに尊重し合えれば上手くいくようになっています。
その調整能力を身につけるのも、人生における成長のための大切な学びです

相手も相手なりに信念を貫く自由があり、自分も自分の信念を貫く自由があります。
信念を貫く事と、自分の考えに凝り固まってしまう事の区別をつけるよう、柔軟性と素直さをもって接していきましょう。
きっと、真面目で正義感がある人はそこをより評価されて、信用と信頼の度合いが増していくことでしょう。
また、人に合わせてばかりいる人は、ここらで信念を持ってみましょう。
きっと人生が楽しく感じます。

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