武士道ワンポイントレッスン

幸せ

2010年6月6日

武士道ワンポイントレッスン
六回目のテーマは「幸せ」
幸せとは、嬉しいと思うこと、苦労して目標が達成できた時の感情などを言います。
大きな成果を得られたことにだけ幸せを感じる人は、鈍感な人といえるでしょう。
日常生活の中にあって、日常生活の中にあって、些細な幸せを感じられる様になること、幸せを感じられる様になること、これが本当に幸せになるということです。
だから、大きな成果が出たときに、誰からも恨まれないでみんなに祝福をしてもらえて、大きな幸せを得られるのです。
些細な事って気がつかないじゃないですか。
だからこそ、小さな小さな気遣いをしていただいたことに気づいて、ありがたいなと思う気持ち。
これが幸せの始まりなんです。
人の好意を素直に感じる心を持てることが、一番幸せの近道なんです。
幸せって、一人一人違うって聞くでしょう?
でも、誰でも誰かから自分を思ってもらっていると本当は嬉しいですよね。
でもね、それを「うっとうしい」とか「うるさい」とか、ついつい思ってしまうんです。
そう思わずに、『こんなに一生懸命私のことを考えてくれているんだ』 ととらえるのです。
そして、これ以上は口をはさまないで欲しいと思ったときには、はっきりと相手の立場や面子を考えながら自分の気持ちを伝えます。ここで気持ちを伝える時に、相手の面子や立場を考えないで、自分の視点だけでものを言うからもめてしまうんですね。
このように幸せを得るということは、工夫も配慮も必要なのです。
工夫も配慮もなく、ただただ幸せが転がり込んでくるなどありえません。
でも、みんな楽をして幸せを得たいと思っていませんか?
そうなると、幸せを得るための準備段階(=辛い時)で、先に進めなくなって結局幸せを逃してしまうんです。
幸せって、考えるほど大変ではなく、嫌な事も辛い事も、みんな『ありがたい勉強をさせて戴いている』と思っていると、不思議と後ろからポンポンと肩を叩いてくれているものです。
あっそうそう、会社の肩叩きではありません(笑) 会社の肩叩きは強烈でしょう?
でも幸せのたたき方ってね、サラサラっとして爽やかだから、些細な事にも感謝しているような人でないと気がつかないんですよ。
欲張っていると【欲】という鎧を着ているのと同じで、身体が鉄の鎧を着ている様になっているから、ぶっ飛ばされるくらいでないと気がつきにくくなるんですね。
だから、悪い欲は怖いですよ。(⇒欲については、改めて書きます)
幸せになりたければ、小さな細やかな他人の親切に気づきましょう。ありがたい、ありがたい、って言って暮らしていると、福の神が寄ってくるんです。
そして、欲や見得をすてて鎧を脱ぎ捨てましょう。
すぐに幸せが近寄ってきてくれますよ。
楽に幸せに生きるには
①許すこと
②こだわらないこと
③人目を気にしないこと
④人と自分を比較しないこと
⑤親孝行をすること
⑥感謝はずっとし続ける事
⑦相手の立場を理解すること
⑧思い通りにならないのが人生だと思うこと
⑨必要以上の物欲を捨てること
⑩心の成長を心掛けること
⑪マイナスな意味の言葉を使わないで言い換える癖をつけること
これに徹していたら、まずは悩みません。
許すこと大変なことだけど、許すと自分が楽になるんです。
人の事など気にしないというのは、このようなときに使うものなんです。
自分にひどい事をした人のことを考えているなんて、エネルギーの無駄遣い。
だから、人の事など関係ないから気にしないという気持ちになれるといいですね。
さあ、今から幸せが肩をトントン叩いてくれたのを気づける人になりましょう。

我慢・こらえる

武士道ワンポイントレッスン
五回目のテーマは「我慢・こらえる」
今辛い、理不尽だと思う人に読んでもらいたいです・・・
『なりたくない自分にならなくていい』
こんな標語が目につきました。
つまり、やりたくないことはしないでいいって事なのでしょうか。
それとも無理はしないでいいということなのでしょうか。
本当にそうなのかしら?
時として我慢をして、無理をしてでも乗り越える経験は、生きていく上で絶対に必要な力です。
これを人間力といってもいいくらいです。
何かが起きた時「嫌だ嫌だ」と思うだけで、発想の転換をしなければ、それが成長のための大切な学びであり経験であることも解らずに、嫌なことが繰り返されていきます。
小さいときから我慢の経験がなければ我慢の後に、しばらくして忘れた頃に、ご褒美が来ることも知らずに終わってしまいます。
これこそ!アフリカのワンガリ・マータイ女史ですっかり有名になった『もったいない』です。
せっかく生まれてきて、心を強くできるチャンスを逃してしまうのですから、もったいないというしかないじゃないですか。
ワンガリ・マータイ女史だって、ある日夫が荷物を整理して出て行ってしまいました。
その上、離婚の裁判中に悪い事もしていないのにイジメで刑務所に入れられたりしました。
それでも頑張って子供を独りで育てながら働きました。
そんな苦しい時をこらえて乗り越えたから、今のワンガリ・マータイ女史があるんですね。
他の人が「もったいない」と唱えても、これほど有名にはならないでしょう。
誰もが不幸を感じる時は、みんな自分だけが不幸だと思えてしまいますね。
でも、世の中にはけっこう不幸仲間が沢山いるもんなんですよ。
そうでなければ年間3万人もの自殺者がいるわけないのですから・・・本当にもったいないです。
そして、工夫をすれば、必ず乗り越えられるように仕組まれているんです。
負の体験によって得えられる事や学べる事は何か?一生懸命考えましょう。
そうすれば、必ず日が差して、問題は解決されます。
神様は必ず乗り越えたらご褒美をくださるんです。
私のいう神様って、なんか、「お天道様」って感じで言っています。
私たちをいつも温かく照らしてくれて、雨の日だって雲の上ではお天道様が照らして見守ってくれている。
お天道様は総てお見通しだから嘘がつけない。
一生懸命生きていたら、努力していたら、誰もわからなくてもお天道様だけは解ってくれている。
そんな感じに私は神様と言っています。
いま苦しい人、本当に絶対大丈夫です! 絶対に我慢したら良いことが待ってますから、こらえる喜びを感じてみませんか?
こらえきれないで自分で自分の命を絶ってしまう人、逃げてしまう人、本当にもったいないです。
お母様はお産の辛さを乗り越えて生んでくれたのではないですか。
それが無になるだけでなく、その母親に悲しみと苦しみを味あわせてしまうのです。
自分の辛さを誰かに引き継がせてしまうのですから、必ず何とかなると思って自分を責めないで、コメディ映画でも観ましょう。
逆にこらえる事に成功したら、それをまだ経験していない人に伝えて行きましょう。
少しずつ人の役に立っていることを感じて、過去の自分と同じように苦しんでいる人に貢献していると自覚していく内に、自信がつき毎日が楽になります。
間違いなく本当です。
頑張りましょうよ、私と一緒に…ね。
こらえる方法は、つまり上手く我慢して乗り切るには、先程も書きましたが『発想の転換』です。
視点を変えるのです。
『もう嫌だ! 何で私ばかりがこんな目に遭うの?』 という言い回しから
『私って力があるって神様が認めてるんだ、どうしたらいいんだろう?』
に変えましょう、また、
『もう無理』 という代わりに
『あと一歩足りないのか!』 といった具合に自分で自分を助けながら生きるんです。
負の体験をすることは、恥ずかしいことでも、みっともないことでもありません。
力があるからこそ選ばれた人の証だと、胸を張って鏡の前で泣きながらでいいから
『私、頑張れるもん。私は私が大好き、ぜったい乗り切ってみせる』
と何も考えずに何回も何回も言ってみて下さい。

鏡はそれを吸い込んでくれるんです、そして、
『私頑張れたよ。我慢して本当に良かった』と笑顔でと言える日を、必ずプレゼントしてくれるんです。
これは私の経験です。
鏡は神様につながっているって聞いた事があって、それで辛い時は必ずやっている“おまじない”です。
不思議と元気になります。
あ、そうそう、ご褒美のプレゼントは早くても半年以上先になりますから、焦って請求したりしないでくださいね。
ゆったりとした気分で気長にご褒美を待ちましょう。
沢山待った方が、有り難味も湧きますから・・・。
一緒に歩いていきましょう。
武士道ってまさに心の支えです。

食べ物

2010年5月21日

武士道ワンポイントレッスン
四回目のテーマは「食べ物」
地球に人類しか存在しなかったらどうなるの? 
こんな事を考えたことはありますか?
地球上に人類しか存在しなかったら、間違いなく人間は共食いをするしかありません。
それこそ弱肉強食です。
弱い者はいつも恐怖に怯えて、命からがら逃げ惑うしかありません。
我々の食べ物は何なのか? 考えたことはありますか?
食べ物は全て生きとし生けるものの命です。
生ある他の生き物の尊い命を食べ物として頂戴し、人間も動物も魚も生きているのです。
自然に従って生きている動物たちは貯蔵をしません。
アフリカの炎天下に住んでいても、冷蔵庫も冷凍庫も持ち合わせません。
だから、たった今、その場で必要な分だけの命を頂きます。
残った物は、ハイエナや他の生き物に上げて、捨てはしません。
てんとう虫とアブラムシの関係だって、てんとう虫はアブラムシを苦しませずに殺し、その後はみんなで仲良く分け合って食べて、何一つとして無駄を出しません。
人間は自然に逆らって生きています。
だから、自己の安全と安心の為に貯蔵をします。
そして、余分だと思うと、生き物を殺している事を忘れて、平気で捨て去ります。
これは、他の生き物の命を軽視しているということです。
だから、自分の命も粗末に扱って、自殺をするのです。
自殺をするのは人間だけでしょう。
犬や猫が自殺したなんて聞いたことがありません。
そして、人間を天敵とする生き物がいません。
人間は走るのも、噛み付くのも、引っかくのも、泳ぐのも、飛ぶのも、それぞれの動物と比べてみても秀でているものがない、肉体的には弱い生き物だからです。
その弱い生き物が生きていけるように、智恵を授かっています。
だから、その智恵は自然界を融和させて調和を図るために使うことが、与えられたものの使命であると思います。
しかし、現代の人間は智恵を自分たちのためだけに使っています。
自然界で天敵に狙われるた生き物は、安楽死ができる自然の仕組みがあります。
蛇ににらまれた蛙は気絶してしまい、飲み込まれたときは苦しくありません。
鷹に襲われた狐は、急所を爪でつかれるから痛みも苦しみもなく即死できます。
ライオンに襲われたシマウマが、飛びつかれてから苦しい顔をして逃げ惑うことはなく、飛びつかれたと同時に気絶してしまいます。
でも、人間の食べ物となる牛も豚も鶏も、殺されるときは悲鳴を上げて嫌がり苦しみます。
それなのに、人間はその肉を平気で捨てています。
人間はもっと自然と融和する事を考えて、自然の摂理に則った謙虚な生き方をすべき時がきているのではないでしょうか?
生きとし生けるものの命を大切にすることが、結果的に自分の命も大切にするということになり、自殺撲滅につながると思えませんか?
自殺をする人は、産んでくださったお母様に感謝をするのをわすれていると思います。
生みの苦しみ、育てる大変さ、税金を使って学問を身につけ、多くの人の親切で大人になります。
母親に感謝がないから、人間には命を投げ出してくれている生き物に対しても感謝がありません。
感謝があればむげに捨てたりはしなくなります。
でも、魚が切り身でテーブルに出ていると、命あるものだったという意識がまったく起きないのも確かです。
ましてやミンチされて、お団子にでもなっていたら、小さい子供の誰が、元が海老だったとか、鶏だったとか・・・想像つくでしょうか?
嫌なことがあると、生命の大切さが解らないから命を捨てることを考えてしまうでしょう。
命の大切さは親が教えたり学校で教えなければ、気が付かないまま大人になってしまいます。
微分積分や難しい方程式は解けるのに、命の大切さに気が付かない大人になってしまうのです。
生命とは何なのか?
もう一度考える必要があると思います。
そして、生命とは何か? 
ここを意識をすることで、物を大切にしたり、親孝行をしたり、生き物を大切にする、無駄をしない、などという考えが育つのではないでしょうか。
日本の宗教である神道というものは、自然を讃え、自然を敬い、自然と融和するための方法だったと思います。
雷を畏怖し、雨を畏怖し、お天道様に感謝して、自然と共に生きてきました。
でも戦後は高度成長のもと、宗教に対する間違った認識を植え込まれ、感謝を忘れて命を粗末に生きてきたように思えます。
そこへおかしな新興宗教が犯罪をおかしたから、たまったものではありません。
故に、自殺者が年間3万人を超えてしまうという、残念な結果が今あるように思います。
自殺者をなくすために、相談所を作るのと同時に、もう一度、生命について考えて、自然の中で生きている事を思い出すことからはじめてはいかがでしょう。
武士道はこういうところにも生きています。
By 本多百代・人間力向上セミナーより

「ゆとり」

2010年5月20日

武士道ワンポイントレッスン
三回目のテーマは「ゆとり」
ゆとり教育が失敗だったことは周知の如く。
でも、良く聞く言葉ですが、「ゆとりを持って仕事をしたい」とか「ゆとりが欲しい」と言う人が多くいらっしゃいます。
それでは、ゆとりってなあに?
―――余分に時間を取っておくこではないでしょうか?
それって時間の無駄遣いではありませんか?
―――うう~ん・・・それじゃ・・・少し多く予備を取っておき、失敗しても良いようにすること?
それって資源の無駄とは思いませんか?
―――私、難しいことはあまりよくわからないのですが!!!ブチ (ああ・・・切れちゃった)
このように「ゆとり」って言葉を曖昧にしか理解していないのに、あたかも解っているような錯覚で使っているように感じますね。
それでは
武士道 “ゆとり” の定義
「誰よりも一生懸命努力して、工夫して、危機管理もして、シャカリキに頑張った結果、前より速くできるようになったり、前より緊張しないでできるようになることで、時間や気持ちに余裕が生まれる事」
つまり、努力の結果に生まれた時間や気持ちの余裕を指すのであって、無駄に時間を確保しておくことではありません。
この無駄に時間を確保したことから、怠けたり、緊張感がなくなり失敗をしたりすることが多くなり、ますます自信をなくす結果を導いてしまいました。
よって、ゆとり教育が失敗したのは、ゆとりを楽をすること、辛い努力はなくすことという方向に解釈したからといえます。
遊ぶ時間を余分に取って楽をさせたのでは、学力が低下します。
それは、知識の欠乏を意味しますから、判断力が低下し、犯罪が増加、意欲は低下、よって自己中になってしまうわけです。
正しい“ゆとり教育”をするなら、
・少数精鋭授業にする
・子供達のわからないところを放課後たや日祭日も補講授業をして解るまで教える
・それらの補講の為に、補講専任講師を正規で採用する(補講専任講師の出勤時間をずらして午後13時~21時にするなど工夫する)
・現代はクーラーもヒーターも空調設備が整っているのだから、学力が追いつかない子は夏休みを減らして2週間くらいにして、他の日には補講を入れる
・春休みも、正規の教諭は補講に携わらなくて良いのだから、先生は新学年の準備に集中でき、子供は補講を受けることで取りこぼしがなくなる。
この様にすれば、雇用促進という社会貢献をしつつ、子供達はIQも学力も上がり、勉強をする気持ちにゆとりが生じる一石二鳥の優れた結果を得られることでしょう。
偏差値をなくして、学力テストを廃止しても、子供達の心にゆとりは生まれませんでした。
ゆとりは心に生まれなければ意味がありません。
時間のゆとりとは、言い換えれば暇なんですから。
それこそ暇をもてあましているから、細かいことに気がいき、人のことが気になっておせっかいになったり、過干渉になったり、それがイジメにだって発展するのですから。
忙しければ悩む暇だってありません。
時間ではなく心にゆとりを持つには、自信が付かなければなりません。
努力の末に勝ち取った自信から「ゆとり」は生まれるのです。
ゆとりとは、極めることにより湧き出る自信の産物であり、自信に伴うその人の風格に値するともいえます。
だから、失敗もなくなるから、ますますゆとりが生まれ、逆境にも挑む心の強さや勇気が育つのです。
ゆとりを得るには、必死になって努力することが条件であることを忘れてはなりません。
By 本多百代・人間力向上セミナーより

競争

2010年5月17日

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武士道ワンポイントレッスン
二回目のテーマは「競争」
競争をするのは悪いことなんでしょうか?
きっと競争の正しい意味を勘違いして覚えてしまった先生がいたのでしょうね。
だから、徒競走を全員で手をつないでゴールインなんておかしな事を思いついてしまったのでしょう。
物事悪い面だけを強調すると、真意をつかめないで失敗してしまいます。
良い面にもスポットライトを当てて、考えてみることが大切ですよね。
競争とは、
『同じ目標に向かって、同じ目的意識を持って、少しでも早く、少しでも良く、少しでも役に立つように、競い合うこと』
なんですから、世の中の発展のために良いことなんです。
人間は自分が世の中の役に立っていると自覚できたら、絶対自殺なんかしません。
自分が世の中にとって不要な存在だと思うから、自殺したくなるんですよ。
競争をしている時は確かに苦しいです。
でも競争を終えたとき、或いは途中で一息入れたとき、それが結果的に負けたとしても、大きく成長している自分を見出すことができるはずです。
今回のオリンピックのフィギュアスケートで真央ちゃんとキムヨナさんの戦いがありました。
私は負けた真央ちゃんの方が、将来を考えたら大きく成長したと思っています。
キムヨナさんのように、審査員の目を計算に入れて、オリンピックに勝つ事を目標としていたのと、真央ちゃんのようにヤグディンさんに憧れて曲を選び、自己ベストを目標としていたのと、どちらが自己成長になったのか? と考えたら、それは胸を張って真央ちゃんと私は言えると思います。
結果はもちろん審査員受けを狙った方が勝つのが当たり前と言えば当たり前でしょう。
また、競争によって技術が高まるのも確かだけど、それ以上に大切で貴重な成果は『心が強くなること、許容量が増すこと』です。
精神力が高まれば、逆境に遭遇してもあまり不幸と感じなくなり、全てを学びとして受け入れることができるようになります。
競争をすることから逃げる人ほど、競争心が強いともいえます。
負けるのが嫌だから、最初から競争をしないという選択をしているのです。
逃げてしまったら、成長するチャンスも逃してしまいます。
もったいないですよぉ~
競争を楽しんで、負けてもプライドなんか気にしないで、、学びになったことを喜びましょう。
プライドは人目です。人目を気にしていると自分の心をないがしろにしてしまいます。
人目より将来的な自己成長に目を向けましょう。
そして、勝つためにはどうしたら良いのかを、もっともっと真剣に、事前に工夫をして、必死に考えて取り組んでみましょう。
最初から負けてもいいや・・・なんて捨て鉢な気分で競争をしても、なんのプラスにもなりません。
精神的に強くなるわけでもなく、負けた汚名だけが残っているのに、自分の独りよがりで『最初から勝とうと思ってなかったんだよ』なんて負け惜しみを言ってもカッコ悪いってことを理解しておきましょうね。
競争することで社会を良くすることができるんだから、負けても世の中の役に立っているんです。
たとえば、少しでも良い商品を、安価で、提供するために、パナソニックとソニーと日立と・・・競争してくれているから、私たち便利に安く良い電化製品を使わせて頂いているではないですか。
今から意識を変えて、社会貢献をするために得意な分野で競争して、絶対勝とうと挑んで、負けても自分を褒めることができるくらいに真剣に取り組んでいきましょう。
By 本多百代・人間力向上セミナーより

責任を取る

2010年4月9日

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武士道ワンポイントレッスン
第一回目のテーマは「責任を取る」
「責任を取る」という言葉は仕事にも生活にもつき物ですね。
でも責任を取るとはどういうことなんでしょう。
大切な古伊万里のお皿を割ってしまった!! 果たしてどうやって責任を取ればいいんだろう。
殿様の古伊万里を割ったら、江戸時代なら切腹では?
でも今の時代なら、謝る、弁償する、といってももう同じものは無いし、買うお金も足りないかも・・・。
困りましたね。それでは、責任について考えてみましょう。
責任を取るとは失敗の後始末を言うだけではないのですね。
事後処理の責任を取らなくても済ませるには、事前に責任を果たしておくのですよ。
役目を無事に終えるには、行き当たりばったりでは無理でしょう。
無事に終えるには「何も事が無く済ます」ということですね。
だから、何もしないで安穏としていて、行き当たりばったりでは何も事が無く済ませることなど到底できっこないわけです。
必死に全力投球して、ありとあらゆる事をし尽くして努力をしないと、無事には済まない。
つまり、事に当たる前に入念に下調べをしたり、準備をしたり、打ち合わせをしたり、一つとして抜かりがないよう、用意周到にしてから取り掛かるんですね。
 
責任をきちんと果たすには、人の知らない陰の部分で、智恵の限りを尽くし、危機管理を徹底し、全力で挑むことが求めらているということ。
事に当たる前の準備は、事に当たっているときの何倍もの時間や努力がいります。
責任を取ると言葉で言うのは簡単だけど、実際取り組んでみたら試練だ!!ということになるわけですね。
だから尊いのでしょうね。
事後処理で責任を取ったと思っても、元通りになることはあまりないでしょう。
百均で買ったものなら、買って返せば済むかもしれないけど、それだって信用はなくしていますよ。
あの人に任せられない、危ない、なんてね。
それに、「ごめんね」と謝っている方も辛いかもしれないけど、謝られている方は諦めることと我慢する事を強いられているということも忘れないでおきましょうね。
このポイントを抑えておけば、あなたは責任感の強い信用度の高い人という評判を手に入れられます。
あっ!!でもね、信用はすぐにはつかないから、気長にいきましょう。
 By 本多百代・人間力向上セミナーより

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