自分の心を思い通りに操れる人はどの位いるでしょう。
「ここで腹を立てたらいけない」と思いつつ、子供を怒鳴りつけてしまった。
誰でも失敗はするはずなのに、なぜ寛大になれなかったのか、と自責の念に駆られたり。
親に口応えしてはいけないと思いながら、生意気な口をきいてしまったり。
ダイエットしようと思うと余計にお腹がすいたてしまい、誘惑に負けて食べてしまったり。
この誘惑こそ、自分の心でしかありませんね。
どうやって誘惑に勝つか? それが武士道精神を鍛えるところなのです。
武士道と聞くと、とても厳つい特別な生き方のように感じる人が多いと思いますが、実際は平素の生活の中で誰もが穏やかに暮らすための方法なのです。
言葉を大切にすることは、そのまま人間関係をよくすることにつながります。言葉には言霊があります。口から出た言葉が、そのまま相手の心を刺し殺してしまう事もあります。また、死にたいと思っていた人の心に、勇気と望を与えて復活させることも出来ましょう。
言葉は思ったまま口にするよりも、その言葉を受け取った人の気持ちを考えて発する方が、思いやりがある行為といえます。心がいつも清らかで明るくても、使う言葉が乱暴であったら、周囲からは清らかとは思っていただけません。言葉はその人の品位を表すというのは、マイフェアレディの映画でも良く分かります。品位を上げ、人様の気持ちをかき乱さないためにも、言葉は選び、いつも美しい言葉を使う癖をつけましょう。
和歌
明治天皇御製
17日 さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきはこころなりけり
(こころはいつも清く明るくもちましょう)
昭建皇太后御歌
18日 すぎたるは及ばざりけりかりそめの言葉もあだにちらさざらなむ
(言葉づかいに気をつけましょう)
人間は評判の良い人よりも、評判の悪い人の方が誠実ですね。
とても評判の良い人は、誠実であろうとする前に、自分が悪くおもわれないように色々思いめぐらして行動する様に思います。本当は評判も良く、誠実な人が一番いいのですが、なかなか難しいようです。ちょっと自分を優先しようとすると、どうしても誠実ではない態度をとらざるを得なくなります。評判を上げるより、誠実である事が生きる上で大切で必要な事なのですね。
そして、何事も苦難を乗り越え、努力をしなければ、力を発揮する場に躍り出る事すら叶わないということなのでしょう。人間が光り輝く状態は、自分が世の中の役に立っていると確信できたとき、内から光るものが湧き出てくるように思います。それには、バランスをとりながら、ひたすら努力をして、ひたむきで謙虚な態度が必要なのですね。
和歌には言霊があります。何度も読み上げていると、自然とその生き方に近づけるように感じます。声に出して読むことが大切なのでしょう。
和歌
明治天皇御製
15日 いかならむ時にあふとも人はみなまことの道をふめとをしへよ
(誠の心こそ人生の基です)
昭建皇太后御歌
16日 みがかずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし
(磨かなければひかりません)
なんと心に響く言葉なのでしょう。
「我慢をする」というと、「嫌々」とか「抑え付ける」というイメージがありますが「忍ぶ」というと、自発的に耐える、心の強さのようなイメージがあります。最近は死後になりつつありますね。
私も「耐える」「我慢する」は常用後になっていますが「忍ぶ」は文語での扱いになっていることが多いです。これから、日本古来の音を大切にした素晴らしい言葉を使って行きたいとおもう和歌に出会いました。
そして、油断は「心のおごり」「無責任」などから起こります。
油断をするということは、見下しているということもあり、それは最も気をつけなければいけないことではないでしょうか。一寸法師の昔話でも分かるように、鬼は小さい一寸法師を馬鹿にして飲み込みました。それによって腹痛が置き負けたのです。
一見弱そうに、出来なさそうに見える人が、内面が強かったり、営業で日本一だったりすることは良く聞く話です。常に相手を尊重して、たとえ相手が年下でも『人間』に対して敬う気持ちを持っていれば、油断はしないでしょう。油断する事を注意するときに、この様な和歌で注意をされたら、素直に聞けるとおもうお歌ですね。
和歌
明治天皇御製
13日 しのびてもあるべき時にともすればあやまつものは心なりけり
(忍の一字に徹しましょう)
昭建皇太后御歌
14日 あやまたむことをおもへばかりそめのことにもものはつつしまれつつ
(油断は大敵です)
和歌
明治天皇御製
11日 たらちねの親につかへてまめなるが人のまことの始なりけり
(孝は人の行いの基本です)
昭建皇太后御歌
12日 朝ごとにむかふかがみのくもりなくあらまほしきは心なりけり
(心の鏡をいつも清く明らかにしましょう)
親孝行とマザコンと区別がついていない人を多く見かけます。それは、男性にも女性にも言えます。でも男性はほぼ全員に近くが母親をいつまでも愛おしく思っています。たとえ「くそばばぁ」と悪たれついていても、母親には特別の感情があるようです。それに対してすぐに「マザコン」といってしまっては、親孝行をするのに勇気がなくてはできなくなってしまいます。
私は親孝行をにできる環境なら素晴らしい平和な世の中になると思っています。老若男女関係なく、父親であっても親孝行をしてもらいたいと思うのが当たり前なのではないでしょうか。親孝行とマザコンは大いに違いがあります。志を持ち、信念を持って親の喜ぶことを一生懸命するのが親孝行であり、親に自分の事を決めてもらって自己責任のない人がマザコンでしょう。
子は親の背を見て育つとは的を射た言葉。
① 親が金銭至上主義ならば、子供は親にお金があるときだけ近寄ってくるでしょう。
② 親が精神的に自律ができていなければ、子供はいつまでたっても親離れせずに、親にしがみついて脛をかじり続けることが親孝行と思うでしょう。
③ 親が他者の喜ぶことをして、他者の喜ぶ姿に喜びを感じているような人ならば、子供も自然と社会貢献をすることを良しとし、いつの日か「お宅のお子さんには助けられています。素晴らしいお子さんですね」という言葉が親に寄せられるでしょう。
親孝行には3段階あると言います。
一段階目…親にお金でプレゼントを買ってあげる
二段階目…肩もみ、旅行のお供、買い物の代わりなどをする
三段階目…最高の親孝行は、他人様から「素晴らしいお子さんですね」と褒められることです。
親の生き方は親孝行にまで影響しているようですね。
責任を取るということは、覚悟を決めることと言い切れるのではないでしょうか。武士の時代のように切腹をして、責任を形にして表すことを良しとしない現代で、責任を取るというのは、その覚悟を決めるのが最重要なことです。お金を使い弁償をする、慰謝料を払う、などいろいろな責任の取り方がありますが。それでも覚悟をした人としていない人では、相手が許せるか許せないか、という一番肝心なところに影響を与えるものです。
覚悟とは、責任を取ろうと決めることです。
和歌
明治天皇御製
9日 世の中の人におくれをとりぬべしすすまぬ時にすすまざりせば
(責任あることは必ず為しとげましょう)
昭建皇太后御歌
10日 人ごとのよきもあしきもこころしてきけばわが身のためとこそなれ
(人々の言葉に注意して、わが身のためと聞きましょう)
生きていく上で一番辛いことは、役に立たない人間になった時ではないでしょうか。認めてもらいたいという気持ちが満たされるときは、他者から感謝されたり、気持ちをわかってもらえた時でしょう。だから、誰もが誰かの役に立っている時に、自分の存在価値を見出すことができると言っても過言ではないでしょう。
それには努力と反省が欠かせません。努力をして、方向性が合っていたのか? 本当に望まれていることに応えられたのか?など考えて方向を正したりするために必要なことが反省です。努力は「ひたすらに」という言葉が一番ピンとくるかもしれません。
努力を途中でやめてしまう時は、結果が見えないとき、他者に認められないときなどがほとんどではないでしょうか。努力と反省を繰り返していると、自然と謙虚にもなれますね。
和歌
明治天皇御製
7日 さまざまのうきふしを徑へ呉竹のよにすぐれたる人とこそなれ
(努力なくして成功はありません)
昭建皇太后御歌
8日 日にみたび身をかへりみし古の人のこころにならひてしがな
(常に自らを反省した昔の人に習いたいものです)
和とは、和む(なごむ)という意味を持っています。コミュニケーションを良くするということですね。つまり和歌は和む歌、大和の国の歌、コミュニケーションの手段となる歌という解釈ができます。御製を読んでいると、まさにその通りだと思います。自信を持ち責任を全うすることは、「和」そのものだと思います。素晴らしい人間関係を構築するための手段ともなります。和歌の素晴らしさを子供たちに教えたいですね。
三笠宮様が顧問をなさっているカレッジで今度ある会が催されるそうです。そこで、歌う歌が大正時代の小学唱歌なのですが、それを今の20代の若者は学校で習っていないのです。だから馴染みがなく、歌を口ずさめないという状況です。つまり、学校でガンダムの歌は習っても、小学唱歌は学校で教えてもらえなかったというわけなのです。
それを知った時、歴史や文化が分断されてしまう・・・という恐怖を感じました。国民みんなが母国を大切に思う為には、文化と歴史の継承が必要不可欠ではないでしょうか。
和歌
明治天皇御製
5日 萬代の國のしづめと大空にあふぐは富士のたかねなりけり
(国民の自覚を強くし責任を重んじましょう)
昭建皇太后御歌
6日 むらぎもの心にとひてはぢざらば世の人はいかにありとも
(自信を強く持つことです)
発行 明治神宮社務所
素直であること、人を見下さないこと、謙虚であること、和を保ち批判否定をしないこと。そして、傲慢になる己の心を戒め、世のため人のためになることを考え、怠けず働くこと。本当に難しいことですが、清々しく美しい姿です。私も早く武士道精神を身につけて心穏やかに清々しい毎日を送れるよう努力し続けます。
和歌
明治天皇御製
3日 かたしとて思ひたゆまばなにごともなることあらじ人の世の中
(七ころび八起きの決心で励みましょう)
昭建皇太后御歌
4日 人はただすなほならなむ呉竹の世にたちこえむふしはなくとも
(まず第一に心は素直であることが大切です)
発行明治神宮社務所
戦争と平和が一心同体と思っていらっしゃるようですが、私の考えをお聞きになりたいとの事ですのでここに書かせて頂きます。
投稿者の方だけでなく、多くの方がいつもこのように戦争と平和は一心同体と思っていらっしゃるのでしょうか?平和は誰もが望んでいるものではないのでしょうか?そして、武士道は右翼でも左翼でもありません。左翼とか右翼とか、そういう区別をするような考えを私はしていないと言った方が正しいと思います。
中道、中庸が一番良いと思っております。
平和は中廉の状態であり、中道を行くものだと思っています。努力をしなければ保てないものが平和や安穏だと思います。人間一人一人が、自分の事だけでなく周囲とのバランスを考えて暮らさないと、平和を維持できないように思います。天地平和、人類和楽、真道即生、祖国安穏、天命完遂、そして、全てに感謝をすること。これを毎日肝に銘じて生活をしております。
戦争をするから平和が訪れるのではなく、平和を保つ努力がなされないから戦争になるのです。一心同体ではなく、戦争は欲と我の強さとがもたらした不幸としか言いようがありません。戦争と一心同体なのは不幸ではないでしょうか。戦争をしないで済むために、つまり、喧嘩をしないで済むような生き方を示していきたいのが武士道協会なのです。
攻めてこられたら攻め返さなければならない。攻められない様に軍備を整えなければならない。こういうことは、武士道協会が考えることでも努力することでもないと思っています。国が考えることで、今は民主党の方々に特に一生懸命考えてもらいたいことだと思っております。武士道協会では、人の心の在り方に焦点を当てております。
武士道は戦争に使うものではありません。精神的に辛い時に、道を外さずに、人間らしく生きるための、心の支えのようなものです。新渡戸武士道だけが武士道ではなく、新渡戸武士道は新渡戸稲造氏の考えをまとめたもので、それだけを武士道と言いきれるものではないと思っております。武士道は日本に口伝で伝えられてきたから、それまでに武士道という定義書などありませんでした。それぞれ家庭内や藩内での教育です。
だから、大まかなところは同じでも、細かいところを言い出したら家柄などによって違ってきて当然です。その時代、その環境により、違いが出てきて当然です。武士道を型にはめて、法律の様にマニュアル化することは意味のないことと思っています。
第5代会津若松藩主の書いた「武士道の教科書」(PHP研究所刊・松平容宣著)を読んでみてください。会津若松の什の掟を読んでも分かることです。親孝行の事がとても多く出ています。また兄弟での譲り合いのこと、勤勉なことなどが書かれてあって、戦いに強いことが書かれているわけではありません。葉隠も同じで、心の持ち方が書かれています。
新渡戸稲造氏も山本定朝氏も高い身分の武士ではなく、松平容宣氏は藩主で徳川家の血縁ですから立場は違うと思います。でも、書いてあることは心の持ちよう、生き方を書いてあるところは同じだと思います。
私は日本が大好きです。だから世界の他の国も同じくらい大切にしたいと思っています。君が代も、日の丸も大好きで、自慢したいものです。どこの国よりも素敵な旗だし歌だと思っています。君が代を和歌としてとらえたとき、歌うと涙が出るほど感動もします。
でも、旗に敬礼したり、講演の前に掲げたり唱和したりするのは、不届き者かもしれませんが、まだ違和感を感じてしまいます。つまり、得意ではなく苦手意識が先立ってしまいます。でも、とても平和を望み、地球全体で平和になるために何かをしたいと思っています。そして、個性を大切に、且つ、地球上で生きる人間同士、仲よく暮らしたいと思っています。これが私の正直な気持ちです。
だからこそ右翼でも左翼でもありません。冒頭でも書きましたが、左翼とか右翼とか、そういう区別をしておりません。常にバランスをとって、和を保ち、心を穏やかに、暮らしていきたいと思っています。でも、それは私にとって喧嘩をするよりも難しいことなんです。極端かた極端に走ってしまった方が、私には楽です。喧嘩をするのは、自分の意見が正しいからこれを押し通したいと思った時か、自分の方が得をしたいと思った時、自分の言い分を周囲に理解させたいと思った時ではないでしょうか。その対象者は、自分に対して反対意見を唱える者か、自分に対して不利益をもたらすものではないでしょうか。
だから、思いっきり喧嘩をしてしまった方が、その場はすっきりするし、正しいことをした気持ちになりました。でも、しばらくたつと、喧嘩は本当に空しいものだと感じるんです。喧嘩までしなくても、揉めて不快な気分を表現して相手に伝えてしまった後も同じで、たとえ自分の言い分が通っても後味の悪いものでした。
それでも争い事や不快さが絶えないのは、日常生活では日常茶飯事です。日常生活の些細な喧嘩が大きくなったものが、殴り合いの喧嘩で、それがもっと大きくなったのが国と国で争う戦争だと思っています。だから、武士道を学ぶことで、喧嘩をしないで済む方法、器を大きくする方法、人の命、生きとし生けるものの命の尊さを考えることをしていきたいと思ったのです。一番端末の草の根運動のところです。だからこそ、山谷えり子先生に副理事長になっていただき、学校教育に武士道(道徳)を入れて頂く様にお願いしております。
幸せを考えたとき、どうやったら気持ちを落ち着かせ、幸せをえられるのだろうか? と考えました。それには他者の立場を理解する(認めることではありません)ことで、自分の心の中に起きる怒りの気持ちを抑えて冷静さを取り戻すことだと思いました。そうすることで、対策を立てやすくなることも確かですから、危機管理もしやすくなります。危機管理は今の日本においても必要だと思いますし、足りない最たるものだとも思っています。
ただ、か弱い子供やお年寄りも、安心して暮らせる国にするために、私ができることは軍備だとか戦争だとかと言うことを考えるのではなく、まずは心が広く、穏やかで、自分も他者も同じように大切にする心を育てるところに焦点を当てたいと思ったのです。常に誰かと或いはどこかの国と戦々恐々とした状態にいることは幸せとは言えません。だから武士道を学ぶことで、礼儀を学び、信念を持ち、心から信頼される人になるための生き方を学ぶ機会を提供する組織が欲しいと思ったのです。
武士道は武士の再現でもなく、戦争の再現でもありません。武士道は人間が、人間らしく幸せに生きるための心の支えです。闘争心を支える物ではなく、戦争を起こさなくて済むように、譲り合いの精神(江戸しぐさともいえましょう)を育む教育ともいえると思っています。
それが武士の時代には、いつも命が危険にさらされていることから、その心構えもあったでしょう。戦争中は、それを悪利用されたこともあるでしょう。それなら、今、日本人の心として武士道を考えたとき、今の時代に即した幸せを感じるための心の支えとしていくことが、望ましいと武士道協会では判断しているのです。
私は国を動かすほどの人間ではありません。たいしたことも出来ないまま、普通に今まで生きてきました。ただ、色々辛いことも経験しました。だからこそ、少しでも今悩みを抱えている人達が、自殺をせずに生きる希望を持って下さったらいいなと思って、このブログも開きました。
私の考えが間違っていると思う方々にはどう伝えたら良いのか?と考えたとき、その場合はその方々がこのブログを読まなければいいわけだと思いました。報道の自由があるように、誰もが何を考えても良くそれが多数決で決まるのが民主主義だから、思ったことを書いて良いと思ったのです。
ブログを読んで少しは悩みの解決になるという人がいたら嬉しいと思っています。だから強制をすることは良くないですが、自分の意見を言うことは良いと思って、表現しています。だからこそ、私は他の考え方をしている人に、それは間違えていると言うつもりもありません。それぞれの考えがあるのが、個性であり、生き方なのですから。
そして、民主主義は多数決できまるのだから、マイノリティの立場の時は、粛々と自分の信念に照らし合わせながら、他者の幸福の邪魔をしない様に生きていきたいと思っております。ただ私が生きてきた今までの中で味わった悲しみや辛さは、もう起きないでほしいと思っていることも確かです。たいしたことではありませんが、些細な不幸でも当事者には辛いものです。これだけ自殺やネグレストによる殺人が増えている昨今、少しでもお役に立てればと思って活動しております。
武士道とは、惻隠の情、大和心だと塩川正十郎先生に初めてお会いした時に教えて頂きました。惻隠とはかわいそうともう心だと辞書には出ています。大和心は大きな和をもつ心と書きますように、和=コミュニケーション、融和、調和、平和と色々表現できます。つまり、仁義礼智信と漢字で表現するように、心の在り方の指針となるものではないでしょうか。
このような返事ではまだ説明不足でしょうか。誰とでも仲良くしたいといっているのではなく、信念を持って生き、それが世の中の役に立つことで有りたいと願っているのです。悪党はすぐに徒党を組むけれど、良いことをしている人たちは、それぞれでなかなか徒党を組まないと言われます。
きっと私のブログを読んでくださっている方たちは、純粋な素晴らしい方々だと思っています。だからこそ、ほんの少し表現が違うだけで、違和感を感じさせてしまうのかもしれません。心を割って話し合ったら、祖国日本を大切に思う気持ちが、少しも変りがないことが理解し合えるような気がします。
このような提議を頂けたことで、私も新ためて武士道について考える機会を頂きました。ありがとうございます。日本を末永く誇れる国として子子孫孫に残していきたいですね。
よろしければ、明日28日の武士道協会の観劇とトークにいらっしゃいませんか?武士道協会のことがよりお分かり頂けると思います。