礼儀作法というと、きれいなお辞儀が出来る、挨拶が上手にできる、などと思うのではないでしょうか。でも、本当の礼儀作法とは、他人の嫌がることはしない、他人に迷惑をかけない、恥となることはしない、といういうことです。
つまり、付け焼刃で格好をつけない、振りをしない、誠実にいつも変わらず不動の心で人に接すること。
非常に難しい。簡単にできることではありません。
だから、「せめて形から入って中身を徐々に整える」という考えと、「心がきれいになれば名は体を表すの如く自然と礼儀作法が行き届く」という考えが出てきているのでしょう。
それでは、美しい挙措動作の人が美しい心の持ち主か? というと、正直甚だ疑問点は大きいのではないでしょうか。
目標値を定め、目的をはっきとさせ、美しい心を表現するための作法があることを認識しながら、作法を覚えるのが良いのでしょうね。
皆さんはどう思いますか?
都議会での野次。なんの深い意味も悪意もなく、いつもの習慣でヤジを飛ばした議員さんたち。
でも、言われた女性には、一生心に残ってしまうほどの傷を与えてしまった。
切れると思わないで振り回していた日本刀で、気が付いたら傷を負わせてしまっていた。
これと、どのくらいの違いがあるのでしょう。
私も似たような経験があります。きっと同じようなことをしてしまった経験もあるかもしれません。
でも、この場合傷を負わせた人は、よほどでない限り今回のように罰を受けずにすんでしまっているのです。
武士道は惻隠の情。
相手の立場を思うことが大前提。
時間を守る人、時間を守らないと怒る人はたくさんいます。
でも、言ったことを守る人は意外と少ないですね。
そして、言ったことを守らなくても、言葉で取り繕って逃げてしまう人が多いのも事実です。
約束とは、証文を交わさずとも、指切りげんまんをしなくても、言ったことを守るということ。
自分の口から出た言葉の責任を負うということ。
ヤジもそう思ったら、簡単には口から出せなくなるはずです。
口から出した言葉は最後まで責任を持ち、約束を守りましょう。
産めないのかといった議員の男性。ご自身だって産めないじゃないですか。
自分にできないことを他者に強要することははしたないと思ったら、きっと言わなかったでしょう。
常に、
約束は守る、
言ったことは守る、
自分にできないことを他者に強要しない等、
人として守るべきことを当たり前に守っていたら、今回のような問題は起きなかったと言えるでしょう。
武士道とは、当たり前のことを当たり前にすることです。
つまり、空気や水、太陽や月に感謝をするようなことなのです。
だから、簡単そうでいてとても難しいのです。
それができるようになるため、武士道協会では毎月勉強会を開いているのです。
ぜひ、ご参加ください。お待ちしております。
愛することとと、恋することは違います。
愛することは、許せるということ。
そこには、利己や私欲がない状態です。
利他に生きること。
出来そうでなかなか出来ないのが利他。
束縛しない、嫉妬しない、怒らない、疑わない、拒まない。
信じる、認める、受け入れる、赦す、許す、望まない、というよりも・・・
信じ切る、認めきる、受け入れきる、赦し切る、許し切る、一切を望まない、誰に対しても同じ対応ができる。
これが愛すること。
誰もが、他者を愛することができるようになったら、地球には本当の平和が訪れるでしょう。
それが、武士道協会の存在する意義なのです。
みんなが神様と同じになること、みんなが太陽のように誰に対しても同じに照らし続ける存在でありたいですね。
許すってどういうことなのでしょう?
憎しまないこと、そして、恨まないこと。
許すとは、自分の心、つまり、自分の魂を高めること。
だから、許すのはひどいことをした人をの為ではなく、自分の為なのです。
許すということは、誰をも自分と同じと思い、自分だと思って対応すること。
そして、愛すること。
敵をも愛することができたら、かなりの精神修行ができるということ。
それが、武士道精神で生きるということであり、惻隠の情で生きること、とも言えるのではないでしょうか。
許すのか赦すのか?
武士道協会では、赦すようにしたいと思います。
恩赦という言葉がそれを表しているからです。