◎質問◎怒る事に意味はあるのでしょうか?

2010年8月16日

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相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第7回
《質問》
私の身近な人で、潔癖な嫌中韓の方がいます。
まだ続く韓流ブームや菅談話にも反応しています。
気持ちは分かるので怒りたくなるのは分かりますが…
怒る事に意味はあるのでしょうか?
匿名希望

【お答え】
この類の内容では、村山元総理を思い出しますね。
隠れてやらないで、正々堂々とやって!
とおっしゃっりたい気持ちは良く解ります。
また保守派政治家の方でも、この様なことに関する件で訴訟問題にまで発展している方もいらっしゃいます。
確かに、保守派政治家の方は正しいことをおっしゃっていますが、やり方が過激に感じることもあり、反対派に対する説得力が不足しているように思います。
ここが『気持ちはわかるけど……意味あるの?』と感じてしまうところではないでしょうか。
私も大東亜戦争や竹島問題、尖閣諸島問題に対する中国や韓国のやり方には全く賛成出来ませんし、日本の対応にも納得いきません。
この65年間に日本のお陰で良くなった所は公表せず感謝せず、でも66年以上前のしかも悪いところのみを挙げてやり込める。
竹島や尖閣諸島も無法な乗っ取り行為だと感じていることも確かです。
でも、私は中国人は大好きですし、親友と思える友人が二人もいます。
また中国漢方では本当に助かっています。
韓国人も同じく嫌いとは思ったことがなく、以前知らずに仲の良くなった友だちが韓国人で良い人でしたし、朝鮮人参やトウモロコシ茶は養生に役立っています。
もちろん、中国料理も韓国料理も大好きです。
だから反嫌中韓でも、賛嫌中韓でもありません。
“嫌”と言っている間は相手と同じ土俵で争っているだけですから、五十歩百歩だと思っています。
また自分を否定する相手の事を良く思えるわけがありませんから、決別するだけです。
そうなればいつまでも闘争が続いてしまいます。
もっと高い位置に自分がいくように努力をしないと、相手の考えを改善させられません。
高い位置とは、地球の平和と人類全ての幸せを考えて判断をする状態を指しています。
決してお金や権力や地位を指していません。
己の意に反することも否定せず認めて、且つ自分の意見を持ち続け、バランスをとりながら相手の考えを正していく忍耐力と持久力がないと、自分の思いは遂げられないものです。
これが“人の器”というもので、許容量とも言います。
つまり“寛容さ”があるから、指示を得られるのです。
寛容さがないと、各々が自分の都合を必死に主張しあいます。
結局、闘うしかなくなります。
初めは言い争い程度が、激昂して腕力に頼ることになり、最後には武力でケリをつけるようになってしまいます。
それが戦争です。
又手放しで言いなりになっていては植民地にされてしまいます。
笑い事では済まされません。
だからこそ、核爆弾を全世界の国々が持とうとするのです。
私は原子力大賛成ですが、原子爆弾(核爆弾)は大反対です。
今の日本は核爆弾だけでなく原子力エネルギーまで反対しています。
爆弾とエネルギーの区別がついていない発言が目につきます。
また、憲法9条も平和を守る良い法律でしょうが、日本だけが守ろうとしても役には立ちません。
憲法9条は日本国内ではなく、世界の憲法にするよう活動をすべきであると思います。
テポドンを日本上空を飛ばすような不届きな国の憲法でなければ意味がないのです。
日本の平和ボケと言われる所以です。
日本国内では、もっと愛国心を育む教育を立憲する活動をして頂きたいと思います。
でも私も今回の菅総理のやり方はよくなかったと思います。
菅総理は元々が社会運動家だったとお伺いしていますから、想像の内ではないですか。
でもそういう民主党を与党に選んだのは日本国民です。
日本を良くするために投票した人が何人いるでしょうか?
信念なく自分の生活を良くする為に投票をしているから、実態のない甘い言葉についつい魅せられてしまうのです。
個々人の幸せも大切ですが、それを中心に考えていれば、まとまりがなく誘惑に惑わされやすくなります。
今の政治に不服ならば、今後は判断を間違えない国民にするために、どうしたら良いかを考えるのが、正しいことをする人間のやることだと思います。
良い政治家がいないと嘆いているなら、自分が政治家になればいいですし、良いと思う人を推挙すればいいわけです。
それもいないなら、教育を徹底していけばいいわけです。
何もしないで文句を言っていては民主国家は上手く立ち行きません。
私はその対策は、武士道を世界に広めることだと確信しています。
だから、時間がかかっても焦ったり苛々したりしません。
やることが見えていますから、対策を考えるだけですので、夢があります。
この世界を真から平和で幸せにしたいし、いつまでも青く美しい地球であってほしいのです。
目には目をで対応するような低次元で破壊的では、相手と同レベルでしかありません。
腹を立てたら冷静さを欠きますから、失敗しやすくなります。
正しいことを言っているのなら、なおのこと是正の仕方を冷静に多角面からの視野を持って考えないといけないと思います。
改革といっても、人が交代して金と権力と地位が譲渡されただけでは世の中は決して良くなりません。
世の中を良くしたいなら、怒りなどのバランスを欠く思いは捨てて冷静に無我無私の境地にならなければなりません。
山岡鉄舟のようにお金も権力も命も名誉も要らないとならなければなりません。
西郷隆盛のように、敵の立場も認めて、大局で判断をする力を持たなければなりません。
そうでなければ、改革をなど容易に成し遂げられるものではないのです。
それには人の心を育む“徳育教育”と偉人の生き方を学ぶ“活学”が必要不可欠です。
学校教育に道徳と活学を中心とした日本史(国史)をとりもどさなければなりません。
世界史が必修科目で日本史が選択科目では話になりません。
西欧のトップに認められるには、相手国の歴史や文化よりも自国の歴史と文化を知っている事が大切なのです
サッチャー氏がイギリスを再興させたのも、母国を誇りと思えるような教育を施したからです。
今の政府官僚が8月15日に靖国神社へ参拝をしないでいる日本人の姿は、父親が自分の子供を守って人を殺めたら、我が子からお墓参りを拒否されたのと同じだと思います。
我が子を守るために人を殺めた父親が死刑になった時、その子供本人やその家族や親戚が
『お父さんは人殺しで犯罪者だから墓参りには行くのをやめよう。
私を守ってくれた父親よりも、喧嘩相手の遺族の言うことの方が大事だよ。
先祖の墓に父は入れてはいけないと喧嘩相手の遺族達が言っているのに、私たち家族は父を先祖の墓に入れてしまったから、これ以上もめると嫌だし悪く思われると困るから、みんんなで命日にもお盆にも墓参りに行くのは止めておこう』
などと信じられないことを言っているのと同じではないでしょうか。
やはり、もう一度考え直さなければ、日本に明るい将来はないと言えます。
それには、独立している他国の政治に、外国人が口を挟んだり圧迫することが非常識なことなのだということを、誤解している人たちに理解し納得てもらえるようにするにはどうしたらよいかを考える必要があります。
それには誤解している人たちに“嫌”などといっていてはいつまでたっても平行線ですし、その“嫌”を付けて呼んでいる人たちこそが、幸せになってくれなければ、理解などしてくれるわけがないのです。
だから、地球のみんなが幸せであるように、誰もが健康であるように、全員の大難が小難に、小難が無難になりますようにと念(おも)うことが必要なのではないでしょうか。
その上で対策を考えなければ答が見つからないと思います。
だからこそ、感情的になっていたり、憎しみや怒りに包まれていたら、対策が練れないし案も浮かばなくなってしまいます。
怒る必要があるかないか?
これで答えは出たと思います。

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