6月2010

◎相談◎自信を持って後輩を指導できない…

2010年6月30日

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相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第五回
【相談】
春から後輩が入り
最近の私の大きな課題になっています。
本当にあのフォローで良かったのか、
本当に本人のためになっているのか、身になっているのか?
…考え出すとどんどん自信がなくなってきます。
忙しければ忙しいほど
後輩は全く悪くないのに一人でイライラしてしまったりもします。
そもそも自信がないということは
やはり自分本位になってしまっているのかなと思います。
一人で考えていても
結局後輩にとって1番の答えが出てこないと思うので、
アドバイス頂けたらと思います。

【解答】
一生懸命考えて、言い方を工夫したり、理解してもらえるようにと努力していても、思ったような結果が出ていないと感じた時、「指導方法が悪かったんだ」と自責の念に駆られてしまうのは、だれでも経験していることです。
そして、考えれば考えるほど「なぜ分かってもらえないのだろう」「自分の指導は聞きたくないのだろうか」というような、責める思いが頭を占めてくることもあります。
この責める気持ちを鎮めるために、自分が間違えていたのではないか・・・と自分を責めて否定してしまう。
ましてや自分にも上司がいて、先輩がいて、何かを指示して失敗した時には上司や先輩に迷惑をかけてしまう、と思ったらなおのこと、自分を否定して押さえてしまうこともあります。
それは最終的に大きなストレスになって、動けなくなってしまうこともあります。
あなたは、部署全体のチームワークを考えて、後輩の仕事の仕方を指導しなければならない立場の様にお見受けします。
あなたが注意をしたこと、指導をしたことを、後輩は総て言いなりになっているでしょうか?
後輩は後輩なりに考えて、自分で良いと思ったようにやってはいませんか?
言いなりになっているのも、後輩なりに考えて変化を加えているのも、これはどちらも後輩が決定して実行したことです。
あなたは、自分の損得を抜きにして、チームワークを考えて注意を与えたなら、その後のことは後輩にバトンタッチしてはいかがですか?
後輩とて大人ですから、責任を取ることだってできるはず。
要は良くなろうとしてあなたの意見を受け入れるのも、変わろうと努力するのも後輩次第です。
つまり、あなたの言葉を聞いてどうするかを決めるの選択権は後輩にあるということです。
選択権があるということは、当然責任も負う必要があるのです。
あなたはあなたが考えた一番良いと思うことを伝えるときに、後輩が受け入れやすい言葉を選んだり、気持ち的に受け入れやすいタイミングを選ぶことに、気持ちを集 中した方がよいのではありませんか。
後輩が受け止めた後のことを、あれやこれや考えているよりも、伝える時にひと工夫した方が先が開けるというものです。
例えば後輩には
「こういうやり方もあるの知っていた?」と軽く聞いてみてはいかがでしょう?
「私(僕)の時、最初分からなくて先輩に教えてもらって分かったから、もしかしたらと思って声をかけてみたんだ」
というような言い方で、話を聞くか聞かないかを選択させてもらえるなら、後輩だってありがたいと思うはずです。
ここで 私(僕)は、としたのは、意外と 私(僕)も、といってしまがちだからです。
この「」を使うのは「できなかった私と後輩も同じ」と暗黙の内に伝えていることになります。
だから後輩に「先輩は自分のことをできないと思っているんだ」と思わせてしまうんです。
意識的に「」を使って、後輩は分かっているかもしれないけど、と肯定した言い方で語りかけていくと、後輩も素直になりやすいものです。
それでも後輩が機嫌を損ねたりしするようなら、それは後輩の性格が素直でないということ。
気にしないでやり過ごしてしまった方がいいです。
後輩にとってどれが一番良いかは、後輩自身が決めることです。
例えあなたの言いなりになって失敗したとしても、あなたの指導が悪いのではなく、そのやり方がその後輩には合っていなかった、或いは、総て言いなりではなく部分的に変えていたということも有り得ます。
それなら次は別のやり方をしてみようと、あなたは先輩としてもう一度一緒に考えてあげる、これが積極的思考ですし、また責任を果たしたことになるのではないでしょうか。
何度もやり直しながら進歩していくのが人間なのではないでしょうか。
後輩に指導をして、失敗していない内から後悔して、自分を責めて、ストレスになる。
これはマイナス思考だとおもいませんか? 
これでは自分は能力がないからと自己否定して、何も言わずに我慢するのが一番だと非自発的態度になってしまいます。
これでは会社が良くなりません。
後輩に指導して、それが失敗だったら直ぐに別のやり方を考える、その時後輩の性格や能力も考える、そして、後輩が不安にならないように応援しながら一緒に成果を喜ぶ、これならストレスは起きません。
誰でも最初から必ず成功する方法を知っているくらいなら、苦労もなければ人生という学びすら不要になってしまいます。
努力した結果なら失敗は大手を振って受け入れましょう。
そして、その苦い思いから学ぶことは沢山あるはずです。
後輩だって、先輩はまるで自分のことの様に考えてくれる人だ、と思ってくれるはずです。
ポイントは、損得勘定(悪く思われたくない、失敗したくないなど・・・)を抜いて、後輩のことを自分の家族の様に思ってください。
きっと後輩にとって必要なことを言えるはずです。
一般的に答えましたので、もし違うと思ったらもう一度質問してください。
納得いくまで一緒に考えましょう。

奈良の武士道子供教室

2010年6月27日

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6月27日
奈良の武士道子供教室については、開催できて本当に良かったと思っています。
沢山のお子様やお母様、お父様もご参加いただき、本当に嬉しく思いました。
小さい時から道徳教育は、絶対に必要だと思いました。
奥さん(右)、きっかけを頂きまして、ありがとうございました。
必要な事だと改めて実行して感じました。
色々と改訂を加える必要がありますが、それがまた楽しみになりました。
それらは改めて書きますのでもう少し待っていてくださいね。
会場を貸して頂きました大吉建設さん(吉信代表・左下)も武士道を地で行っている素晴らしい会社でした。
掃除を徹底しているし、社員教育が行き届いていました。
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格差 Part2

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第七回目のテーマは「格差 Part2」
朝日新聞社が「日本のいまとこれから」をテーマに郵送方式による全国世論調査を実施したところ、「いまの日本は自信を失っている」とみる人が74%に達し、9割以上の人がこれからの日本に不安を感じていることがわかった。一方で、回復する底力があるとみる人が半数以上おり、日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が7割を占めた。
とインターネットニュースにありました。
経済的な豊かさより格差の小さい国を求めるってどういうことなのでしょう?
どうも、徒競走で全員が手をつないで仲良くゴールするのと同じように感じるのは私だけでしょうか?
小さな考え方をする人が今の日本人には多いように感じます。
要は自分が貧乏であることより、他人がお金持ちでいることの方が許せないし嫌だ・・・ということですから、それでは共産主義です。
共産主義国家が繁栄したなんて見たことも聞いた事もありません。
一生懸命働く人も、遊んでいる人も、平等であるべきで、公平ではいけないということになります。
誰もが実力にも労力にも関係なく、同じに分配をして欲しいというのなら、一生懸命働く人の意欲がなくなります。
誰も働かなくなってしまったら、どうするつもりでしょう。
もしかすると、自分は一生懸命働いているのに、楽をしている人のほうが沢山収入を得ているから・・・と思っている人がいるのかもしれません。
遊んでいるように見えて、報道されない所や、フォーカスされない所で努力しているから楽をしているように見えているだけかもしれません。
運がいいだけではなく、自分を型にはめず、アイディアが豊富で、必死に考えているのかもしれません。
これはアイディアが豊富なのは特技ですから実力の内です。
26日土曜日の武士道協会開催人間力向上セミナーには参加者が20人でした。
ブレーンストーミングで話し合った結果、格差を感じるのも総て気持ちのあり方次第ではないか?という結論も出てきました。
みんな結果だけをみて格差と言っているとしたら、それは大きな間違いです。
正社員と非正規社員の差をなくすと言いますが、正社員になっている人は学校での勉強も努力して、就職活動も一生懸命努力して、試験で良い成績を収めたのだと思います。
確かに非正規社員の方が、すこぶる悪条件で仕事を強制されているのなら改善の必要があります。
でも正社員と差をなくした場合、正社員の立場から、努力をしてもしなくても同じという気持ちにはならないでしょうか?
学校時代に真面目に一生懸命にやってきた、親の力を借りた、色々とあると思います。
でも総てが今までの努力の結果でもあるわけです。
立ち場の弱い人を助けることはいい事ですが、それにばかり視点が行ってはバランスが崩れます。
強い人はやって当たり前で弱い人は助けてもらって当たり前となってしまうと、感謝がなくなり強い人は馬鹿らしくなります。
これは大変危険でよろしくないことです。
もっと深く考えてみませんか?

安心感

2010年6月25日

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武士道ワンポイントレッスン
14回目のテーマは「安心感」
今の日本という国は安心できますか?
不安だと思う人は、何故不安なのでしょうか?
政治家が色々上手に言葉でゲームをして、公約を守らないからでしょうか?
良く考えてみたら、国民として、国に守ってもらえるという確信が持てないからではないでしょうか?
国民にとって国、従業員にとって会社、子供にとって親、この関係は同じものなのです。
国を強くしたければ、強い国民を育てなければなりません。
会社を大きくしたければ、良い社員を育てなければなりません。
家を立派に立ち行かせるには、立派な人間(子供)に育てなければなりません。
だから、立派な人間に育てば、その人を入れた会社もよくなり、国も強くなります。
松下幸之助さんの「良い物を作るには良い人を作る」といった考え方です。
子供の頃、母親が父親が自分に何かがあったときに必ず助けてくれると思えたら、とても安心できたと思います。
自分が守られていると確信できることが安心感につながっていました。
自分を守ってくれる親の存在は、一言で言うと
『何が起きても動じない大きな山のような存在』
であったはずです。
例えどの様な事があっても、親になったら動じないような心でいられるように、心がけなければなりません。
生身の人間であり、感情の生き物だからこそ難しいことなのですが、演技をしてでも子供の前では不動の姿を見せることが望ましいでしょう。
以心伝心、心は見えないからこそ余計に伝わりやすいものなのかもしれません。
最近は友達親子といって、親しみやすい並列関係の親子が良しとされているケースが多々ありますが、やはり、縦社会で学ぶことの大切さは計り知れぬ大きなものです。
人を敬う、ならぬものはならぬで意に反してでも従わなければならない時もあること、先輩や上司に対する礼儀なども全てが、家庭での縦の人間関係から学んでいきます。
これが機能していないと、親から離れた時や社会に出た時に、知らないが故に失礼な振る舞いをしてしまい、結果的に辛い思いをすることにもなるのです。
友達親子では気軽に話はできても、守られているという安心感は薄くなります。
大きなものにすっぽりと包まれる安堵感、これは縦の関係でしか生まれません。
この安堵感(安心感)を得て育った子ほど、自立心も旺盛で自発性と自主性に富んでいるといえましょう。
確かに親も並列の関係の方が楽です。
否が応でも責任が薄くなります。
日本人が強くて、有色人種の中で唯一植民地にならなかったのは、この縦社会で心を育んだことも関係がないとは言えないと思います。
周囲に安心感を与えるには、周囲から信用を得ていること条件です。
責任を果たさなければ信用は付きません。
想像力の豊かな広い心を持った国民を育てるためにも、縦社会の良さを生かした生活を心がけたらいかがでしょうか。
責任を果たし、ものごとに動じず、心の広い人が安心感を与えるます。
安心感を与えられて育った子も、同じように他の人に安心感を与えるようになるものです。

思い込み

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武士道ワンポイントレッスン
13回目のテーマは「思い込み」
武士道協会を設立したばかりの頃、当時専務理事でらした元衆議院議員の小野晋也先生と市ヶ谷駅前で街頭演説をしました。
慣れない私はマイクを持たされて演説を始めたところ、近くに立っていた営業マンに
「もっとスピーカーを大きくしなければ聞こえないぞ」
と教えて頂きました。慌ててスピーカーを見たらマックス!!
小野先生の時はものすごく大きな声だったのに・・・改めて自分の声の小ささと通らない声をしていることに愕然・・・。
そんな思い出がふと頭に浮かんできました。
そして、それから2年経ったとき、私は肺炎になってしまいました。
病院に通っていたのに無熱性肺炎を発見されず、日々苦しくなりだんだん声が弱々しく小さくなりました。
その様な状態でタクシーに乗ったら運転手さんに
「お客さん、しっとりとした良い声してますね。朝からキャンキャンやられるとイライラするけど本当に良いですわ」
と誉められてタクシー代をまけてあげると言われました。
なんと複雑な二つの体験でしょう。
研修講師をしている私は声が命。声が出なくなったら仕事ができません。
それなのに、私は体調を崩すと必ず咽喉からやられて、声が出なくなります。
だから体調には細心の注意を払い、自分の身体には敏感であるように注意をしているつもりです。
その声で、最初は一生懸命声を出していたのに打ちのめされ、次は声が出なくて情けないとへこんでいたら誉められて・・・解らないものですね。
この様に、自分で思っている事実と、実際に外に発信されて受け止められている事実とかなり差があるということなのです。
『思い込み』は怖いですね。
人は誰でも思い込みがあります。
でも素直ならば、この思い込みも少しうしろに下げて冷静に見ることができます。
傲慢だったり、頑固だったりすると、この思い込みによって自分自身が痛い目にあったり、他者を傷つけたりすることになります。
正しいと思っても、全てのことは時の流れによって風化したり変化するのが世の常だから、もう一度考え直す柔軟さが欲しいですね。
でも、思い込みも悪いことばかりではなく、思い込んでいたために、恐怖を感じずにやってのけたなどということもあります。
後で聞いて背中から汗がたら~り・・・などという話も良く聞きます。
私の尊敬する先生が蝮(まむし)の出る山を下山した時、村の人に良く蝮の産卵の時期に山を一人で降りて無事だったと驚かれたそうです。
こんなことも大丈夫という思いがあるからこそ出来た業で、初めから真実を知っていたらできなかったことでしょう。
でも、運が良かっただけともいえるので、やはり思い込みは危険が伴います。
素直で自分を振り返る力を育てること、それは許容量を広げること、つまり器が大きくなることです。
武士道を志す人みんなで力を合わせて自己成長しましょう。

見守る

2010年6月24日

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武士道ワンポイントレッスン
12回目のテーマは「見守る」
陰で見守る、裏で見守る
この言葉を、見守る側と見守られる側で捉え方が違う時が往々にしてあります。
見守る側が見守るという時に起こしやすい過ちは、
『指図をするだけで、責任を取らないでいい立場にいる』 
のに
『陰で見守っている』
と勘違いしている場合です。
自分では陰で助けて、手柄を与えていると思ってしまうのですね。
人は自分で考えて思いついた事をしている時は、不安であっても楽しいものです。
それで失敗して責任を負わされても納得がいきますから、我慢ができます。
しかし、陰で指図され、言うとおりにしないとガンガン言い負かされ、仕方ないから言いなりになったところ失敗してしまった。
この時、陰で見守っているはずの人は、絶対に責任を取らずに、言ったとおりに全てしなかったからだと必ず言います。
これでは、失敗した方は浮かばれません。
 
また追い討ちをかけて困ったことに、見守っているはずの人は、自分の犯している過ちに気づいてないということです。
ガンガン言い負かされという表現を使ったのも、言われる側はこの様に取れているという比喩です。
見守るのと指図するのと勘違いしてごちゃ混ぜ状態になっているのですね。
これは以外と性格的に自分の意見が正しいと思い込んでいる方に多い現象です。
特に現役時代に役職についていらした方は、一度振り返ってみるのも将来を豊かにすることになると思います。
意見を出す人は責任も取る という事を鉄則と心得ること。
そうすれば、陰で意見を出して表に出ないという卑怯な行為は自ずと減ってくると思います。
武士道というと信念が確立されていること、自分の意見を持っていること、信念を曲げないことなどと思っている方が多く感じられます。
確かに必要で素晴らしいことですが、その信念や意見も、今までの生きてきた環境から生まれたものです。
だから、環境が違い、時代が違い、育てた親の考え方が違えば、同じ意見を持っている人の方が少なくて当たり前です。
そのように柔軟に捉えて、相手の意見も尊重する、そして、すり合わせていく行為を忘れないようにすることが良い人間関係を構築していきます。
武士道では、自分の意見と同じくらい相手の意見も尊重する ことが求められています。
さて、話は戻りますが、『陰で見守る』 という行為は、困った時や相談に乗られた時に親身に相手をするということです。
そして、相談に乗り、助け舟で意見を出したのに、それが採用されなかったとしても、それは自分の決定範疇ではないと思い知らぬ振りをしなくてはならないのです。
相談した人は、誰かに困っている事を話して、聞いてもらうだけでオートクラインが起きて、自分なりの案が思いついたりするものなのです。
オートクラインはコーチングでも立派なスキルとされています。
話すことによって自分の中に眠っている考えが呼び起こされて案が思いつくといった現象です。
陰で見守る、つまり、目をかけても手は出さない、これに徹することが出来た人は、子育ても上手です。
子供が夢を現実にするために必要な、想像力と創造力が育つからです。
部下にも同じことが言えます。
指図はマニュアルと同じです。
つまり、見守る側には忍耐が必要だということです。
だから、見守る側も学びをさせられているということなのです。
人生って全て学ぶことに徹しているのかもしれません。

武士道協会からのお知らせ

6月26日土曜日午前10時15分~13時まで
京都PHP研究所にて、武士道協会主催の武士道人間力向上セミナーを開催します。
参加ご希望の方は
http://www.bushido.or.jp/activity_plan.html
からお申し込み下さい。
素晴らしい仲間ができます。
セミナー後に特賛委員会も開かれます。
特賛委員にご興味のある方は見学もできます。
たくさんの方のご参加を楽しみにお待ちしております。

諦めない

2010年6月23日

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武士道ワンポイントレッスン
11回目のテーマは「諦めない」
諦めないというけど、どうしたら諦めずに挑めるのでしょう?
具体性がないと、どうも第一歩が踏み出せませんよね。
そこで、諦めない心とはどういうものか以下に書き出してみました。
【諦めない心】
①工夫をする
②考える
③夢を抱く (想像する)
④夢を実現させる (創造する)
⑤ブラス思考になる (必ず何とかなると思う)
⑥視点を多く持つ (視点を変える)
⑦自信を持つ (みんなの役に立てると思う)
⑧覚悟を決める (一人でもやり抜こうと思う)
⑨謙虚になる (まだ足りないと思う)
⑩肯定する (否定をしない)
諦めないということは、逃げないという言葉に言い換えられます。
諦めずに食い下がり、後一歩、後一歩と思っているうちに、気が付いたら目標を達成していたということは、よくあることです。
責任をとるということは、最後まで諦めずに工夫をし続けることです。
私が鍵山秀三郎先生に武士道協会の先行きの不安をご相談させていただいたときのことです。
武士道協会の理事で退任する方が出てきたり、会員さんで継続をしてくださらない会員さんが出てきたりで、不安になってしまったのです。
すると鍵山先生が「最後は一人になってもやり抜こうと覚悟をしていますか? 私は掃除の時に一人でもやり抜こうと覚悟を決めました。覚悟ができたら大丈夫ですよ」とおっしゃったのです。 
今までのどの言葉より重く、そして、爽やかな響きを感じました。
だから、私は人間力向上セミナーで参加者が一人だと言われたときも、開催しますと自信を持って言えました。
一人でも参加してくださるなら、私と二人になるではないですか。
一人でもやり抜こうと決心していたら、一人の参加者は素晴らしい味方が現れたということです。
お蔭様で、先週の人間力向上セミナーは私を含めて27名でした。
諦めないで続けてきて良かった・・・!!
本当に、涙が出るほど感動しました。
諦めない、へこたれない、悩まない、不安にならない、悪い方へ考えない・・・
こうしているうちに、必ず幸運の女神様が近づいてくださいます。
ウサギと亀ではないですが、人生何が起こるかわかりません。
最後まで諦めずに挑むことで、たった一度の人生を最良のものにすることができるのですから!!
素敵でしょ。

運が良い人と悪い人

2010年6月22日

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6月22日の日記
桶狭間古戦場跡付近にて研修をしました。
大高城址近くに今は、大高のイオンができました。
そのお陰で電車の駅まで作られました。
小さな商店が立ち行かなくなるのもわかりますね。
桶狭間の戦いは、駿河の今川義元対尾張の織田信長の戦です。
兵の数は10:1 で信長が圧倒的に不利。
しかし、信長の親衛隊・服部一忠が一番槍をつけました。
でも服部一忠は義元に膝を切られて負傷したため、首級を挙げたのは毛利新助でした。
この働きにより、信長は勝利を得て今川方は城代が岡崎城まで捨てて逃げたので、そこへ家康が入城した。
運が良い人と悪い人、はっきりと別れましたね。
実は人生は運が98%なのだそうだ。
運も努力の賜物といいますから、運が良くなるためにすべき事を心がけるようにすれば、思うとおりの人生があるということなのですね。
今私のいるところは、鳴海、大高、桶狭間と昔の名前がそのまま残っています。
桶狭間の戦いのあった頃は今から400年位前のことなのに、今はまるで別世界。
5万年前の人骨が出たなどとニュースで聞きますが、それから比べたら最近のことなんですね。
今日の研修は、お客様の気持ちを理解するにはというテーマで話しました。
お客様の気持ち(真意)を受け止めるには?
まずは自分を知ることなんですね。
みんな人の気持ちを知ろうとして必死に考えているけど、それはあくまで自分の考えでしかないということ。
勘を鋭くするには、まず自分が自分に鋭くなることですから。

格差

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第六回目のテーマは「格差」
最近、マスコミでがアンケートをとったところ、今、日本国民が一番望んでいることは『格差をなくして欲しい』ということだったそうです。
これはおそらく、一般庶民対象のアンケートだと思うのですが、私には良く理解できません。
つまり、どこに対して格差をなくして欲しいと国民が願っているのでしょうか?
自分より恵まれない方に対して、自分とその人との差額の半分を差し出そうと思ってのことなのでしょうか?
自分は毎月20万円と賞与年二回で30万円くらいの収入があり、週休も2日+祭日がある。
それに、社会保険にも入っているから、失業したときも3ヶ月くらいは手当がでるし、病気になっても3割負担でいい。
その上年を取ったら年金ももらえる。
こんなに恵まれているのだから、病気で働けなくて困っている人と差がないようにしてあげたいと言っているのでしょうか?
まさか、自分よりお金持ちに対して、取り過ぎだからずるいと言っているうのでは・・・・?
自分より貧乏で、自分より不幸なひととの格差をなくそうと努力することは素晴らしいことだと思います。
しかし、自分より富豪や幸せを得ている人との格差をなくして欲しいと訴えているのだとしたら、これはお門違いだと思わなければなりません。
もし日本から富豪がみんないなくなってしまったら?  大変です。税金が跳ね上がります。
こういうところも考えて発言していますか?
富豪がもっと税金の少ない国へ移り住もうと思うならば、富豪だからこそ移ることが簡単にできるのです。
だって、外国だって貧民が移ってくるより富豪が移り住んでくれた方が嬉しいに決まっています。
富豪が日本に留まってくれなければ、日本の税金は国民みんなで出し合っているのだから、ますます負担額が大きくなってしまうのです。
アンケートで格差をなくして欲しいと答えた人は、自分は健康に恵まれて働けるけど安月給だから辛い、同じに働いていて高額をとる人が許せないということなのでしょうか。
自分より健康で給料も高くて贅沢な生活をしている人に対して、格差だと思っているなら大きな間違いです。
このような思いは「嫉妬心」といって、平たく言えば「うらみ」「ねたみ」「そねみ」といった類のものです。
要は感謝がなく、人の幸福を阻害しようという性質であると言っても良いのではないでしょうか。
世の中に平等であるべきことは、生きる権利、挑む機会(チャンス)、自分の意思で決断すること、ではないでしょうか。
私は以前、ある新聞社の研修センターに勤めていました。
もちろん、社内でも格差は大きくありました。
私は大変低い賃金で労働をしていた部類に入ります。
でも、私はお金こそ得られず慎ましやかな生活をせねばならない状態でしたが、内面的にはこの会社で大変大きな収穫がありました。
金銭至上だと、どうしても得るものをお金でしか図りませんが、働くということで得られることはお金だけではなく、思考力、判断力など色々な力も得られるものに入ります。
だから、格差をなくして欲しいと多くの方が言っているとは、何をどのように格差をなくして欲しいといっているのか、もう少し詳しくアンケートをとってほしいものだと思いました。
私のこの考えに対して異を唱える方もいらっしゃると思います。
しかし、私は外を見て悪いところを直そうと提議するよりも、内を見て直すところを見つけたり、考え方を変える事によって楽に幸せに感じられるようにしていくことの方が、生きている意義を感じられるような気がするのです。
賃金が安く設定されている人からしたら、同じ人間なのだから一時間はだれもが同じ金額にするべきだという人もいるかもしれません。
しかし、同じ一時間を働いたとしても、人によってかなりレベルが違う仕事の仕方になることの方が多いように思います。
そういう能力の差は格差とは思わないのでしょうか。
外に対して文句をいうより、内を改善することに力を注いだ方が、最終的には良い結果が出ると私は確信しています。
アメリカはアメリカのお金の半分を4家族が所有しているといいます。
中国は中国のお金の40%を中国人の4%の人が所有しているといいます。
東南アジアの貧富の差は半端ではなく著しいです。
ゴミ山の上で暮らしている人々の一日の稼ぐ金額が、富豪が買う一粒のチョコレートの値段と同じだといいます。
日本は格差がない方です。
日本では、自分の環境を変えようと思えば、自らの努力で変えることができます。
その勇気がないとか、失敗を恐れるからできないというのは理由になりません。
でも、東南アジアやアフリカでは、いくら決意しても自分の努力や決意だけでは、どうすることもできない環境で暮らしている人たちもこの地球にはいるのです。
もっと、自分の生活に感謝をして、自分が世の中を良くするためにできることは何か、という視点をもって生きた方が幸せを感じる機会を多く得ることができるでしょう。
その考え方の礎となるものが武士道なのです。

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