7月11日の日記
選挙でした。
私は期日前投票をしてきてありました。
投票をしに行って、とても感じの悪い選挙管理委員会の女性がいたんです。
まるで牢獄の中で悪さをしないかチェックしているようで、言い方もきつくて選挙に悪いイメージが・・・。
たとえ不正がないかチェックをしているとしても、笑顔で接することはできるとおもうのですが無理なのでしょうかね・・・・
悪いことをするのではないか?という気持ちでチェックしている人は、人相が悪くなってしまうということ?
ということは普段でも、人のことは疑ったり、悪く思ったりしていると、人相が悪くなり言い方もきつくなってしまうのかもしれません。
人の振り見て我が振り直せ!!ですね。気をつけないと。
これからは、誰かを疑ってかかるのではなく、何でもよく解釈するようにしないと!!
嫌な思いはしたけれど、勉強になりました。
何でも学びなんですね・・・
2010年7月11日 11:32 PM | 日記 |
7月10日の日記
私は日記を書くのが下手だとわかりました。
ブログを振り返ってみて、日記が書けていません。
なぜかワンポイントレッスンや相談の返事の方が熱心です。
きっとその方が間違いなく好きなんです。
なにかボソボソと自分の一日を書いているより、
そこに人がいて、その人との交流の中に自分をおいておく方が楽しいんですね。
だから、パソコンは本当に苦手で、ツィッターがいまだ理解できていません。
きっといつかハーモニーさんのような親切な人が現れれば始められると思います。
このブログもハーモニーさんがいなかったら存在も継続もありませんでした。
これからは少しでも日記を書こうと思いました。
今、この生活の中から幸せを見つけられる人が幸せになれます。
今、不幸を嘆いていると、もっと不幸になってしまいます。
つまり『類は友を呼ぶ』です。
運の悪い人とは付き合ってはいけないとよく言われます。
運の良い人と付き合わないと、ツキが逃げてしまうそうです。
運の良い人とは、何でもよく捉えることができる人だそうです。
それがツキを呼ぶのだそうです。
ああ、私は幸せです。
ハーモニーさんありがとう。
塩川正十郎先生ありがとうございます。
そして、私の相棒でもあり、なくてはならない人財は西尾さんです。
いなくなったら本当に困ります。
そして、会員の皆様。
理事の先生方。
特に発会に沢山のお力添えを頂いた井筒八橋の津田会長は恩人です。
特賛委員の皆様
高垣関西特賛委員会会長には、先日10万円のご寄付を戴きました。
このご時世に本当に有りがたく感謝しております。
このような支えがあるから武士道協会が成り立っています。
本当に大切な人ばかりがこの世の中にいます。
ああ、あの世には母もいますから、この世の中だけではないみたいです。
全宇宙と言った方がいいですね。
みんな同じだけ大切です。
挙げれば切がないです。
感謝しています。
2010年7月10日 11:50 PM | 日記 |
武士道ワンポイントレッスン
18回目のテーマは「迷い」
迷う時はどのようなときでしょう。
私のところには、よく相談がきます。
その時、どうしようか迷っていますという質問や相談もかなり多くあります。
よくよく考えてみると、損得勘定で選択しようとしている時に迷うように感じます。
損か得か?
これは一か八かの勝負になってしまいます。
まさに丁か半か!!
損得で考えているから、足許を見られてかえって損をしたり、自分の欲を満たしたいが故に、詐欺に遭ってしまったりするんです。
だから、損得勘定で判断しなければ、意外と詐欺にも遭わないかもしれませんね。
それではここで、私が以前迷った時の苦い話をしましょう。
今から何年か前に、ある女性参議院議員の秘書の一団から、バーチャルでの土地の売買をしないかと声がかかりました。
その時はかなり有名になった方だったので、とても信憑性があり、直ぐにでもやりたいと思いました。
だから申込書まで書いてしまいました。
私はよい話は直ぐに知り合いに教えたくなる方なので、数人の男性に声をかけました。
すると一人の方から「これはインチキだ。絶対に将来何億円単位の訴訟問題になる。あなたは武士道を志しているのではないのですか?」と厳しい言葉を戴きました。
私は「武士道を一番伝えたい所に伝えるチャンスだからですよ」と心で思っていました。
私は、バーチャルの世界で土地と店を買い、そこで“寺小屋武士道”をやろうと思ったのです。
欝や引きこもりの人に、武士道を伝える事で、辛い毎日から脱却してもらえるのではないか?と期待をしたのです。
欝や引きこもりになってしまうと、家からどころか部屋からすら出ないから、外で講習会をしても無理だと思ったのです。
だから、もってこいの話しだと思いました。
丁度その頃、外国産のバーチャル版に大手企業が続々と出展するという時期でした。
厳しい言葉を戴いても、まだ超有名になった女性参議院議員さんも申込書をかいていたのに・・・と信じられず迷っていました。
その時偶然バーチャルの話を普通の主婦の方がしているのが耳に入りました。
「このバーチャルの土地をかうのって、ねずみ講と一緒でしょ? 楽してお金が入るって奴ね」
この最後の一言に私はのけ反ってしまいました。
私が一番やりたくない事、私の信念に反する事と思っていたことではないですか!!
武士道を目指す人は、鍵山秀三郎先生のように汗を流して、自ら身体を使って働き、大きな努力で小さな成果を望む。
これが私の生きる目標と決めていたからです。
一気に目が覚めたというか、いけない!!いけない!! これでは何の為に寺子屋武士道を開こうとしているのか分かったものではない。
そこで、厳しいお言葉を戴いたことを正直に伝えて、お断りさせて頂いたという経験がありました。
それがここ最近、訴訟問題となりマスコミを賑わせていました。
あの時、自分の希望(欲)だけで決めず、信念に照らし合わせて決断をして良かったと改めて思った次第でした。
この様に、武士道を広めたいという、一見社会貢献ではあるのですが、その裏には私の欲が隠されていました。
早く広めたい、これで結果が出れば広まれば武士道を毛嫌いしている人たちも認めてくれるだろう。
こういう思いがありました。
純粋に人を助けたい、という思いだけではなく、自分の進む道が早く開けるようにという願いが大きくありました。
これは正に欲以外の何ものでもありません。
あえて私の恥ずかしい経験を掲載したのは、相談に乗る側の私だって、ダメな人間の経験も沢山している事を分かってもらった方が良いと思ったからです。
この日から、私は判断を迫られた時は、欲が有るか無いか? そこを先ずチェックします。
それから、欲(損得勘定)がない状態になってから、まず恩を仇で返すようなことはないだろうか? と考えます。
そして、話を持ってきた人の損得も考えます。
また、これは自分にとって好きなことで夢中になれることだろうか? と考えます。
最後に、これをする事でどのような社会貢献ができるのだろうか? 誰かを喜ばすことはできるのだろうか? と考えます。
これだけの判断材料を集めてから、判断を下すようにしています。
だから、最近は決断をした後で後悔するようなことが少なくなってきました。
迷いは損得勘定だxからです。
損得勘定はお金だけでなく、名誉、評判、手柄、なども入ります。
良く思われたいが故に『NO』が言えなくて苦しい思いをした、なんていうのも正に損得勘定で判断していると思いませんか?
2010年7月10日 08:02 AM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第6回
【質問】
小学校PTA人権啓発委員企画の、人権啓発映画「袴田事件」を見てきました。
冤罪の映画で、正直、主婦が昼間見るには重すぎて後味はあまりよくありませんでした。
よく「人権啓発」は左翼的だと言いますが、こうして映画を見る活動も左翼的なのですか?
何が「左」なんだろう?と映画を見ている間ずっと考えていました。
神社や玉音放送、昭和天皇崩御の映像が織り交ぜられているのがいけないんだろうか?
死刑反対運動に繋がるのがいけないんだろうか?そもそも死刑反対は左翼的??
色々頭に浮かびましたが、よくわかりませんでした。
なにかご意見があったらお願いします。
【解答】
人権とは、字を見ただけで「人の権利」と直訳でき、もう少し意訳すると「人として生きる上での権利」と解釈できます。
私は「人権」を学ぶより「道徳」を学ぶ方が役に立つと思っています。
権利を主張するからには、責任が伴います。
しかし、今は責任転嫁や責任放棄が多く目に付く様になりました。
そして、直ぐに告訴すると言います。
以前私がまだ会社勤めをしていた時、チラシに飴玉をつけて配布したことがあります。
そこへ子供を自転車に乗せた若い父親が来ました。
細い道の小さな信号の所で止まっていたので、私が子供に「どうぞ」といって飴玉つきチラシをあげようとしたら
「何だ!危ないじゃないか!てめえ訴えるぞ」と言ったのです。
決して危険な目に遭わせてはいませんでした。
当時は今よりもっと人間ができていませんでしたから
「何を訴えるのですか? 告訴するならしてください」と言い返したかったです。
この程度の事で訴えるということが、自助努力もなにもする気のない人というイメージがあり、虚しい思いに駆られました。
西洋や近隣アジアの人の視点は常に外(他者)に向いていて、日本人の視点は常に内(自分の内面)に向いているように思います。
つまり、外に目が向いている人は、何かがあった時に他者の悪い所を指摘し、告訴する事で決着をつけることが多いようです。
だから弁護士の数も多いし、告訴の数も半端ではありません。
しかし、元来日本人は、先ず自分の悪いところを反省して、自分を変えることで問題を解決しようとするようです。
だから、告訴などあまり身近な事ではなかったし、少し前までは裁判で争っている事自体恥ずかしい事だというイメージがありました。
つまり、自分の権利の主張よりも、他者に不快感を与えない事を大切にしている国民だったからです。
左か右かというよりも、「人権」について改めて学ぶ必要があるのか? と私は思います。
いかなる人の事も「差別」はしてはならないことです。
日本人が近隣アジアの人を差別していると言いますが、地球上で差別は日常茶飯事ではありませんか?
ヨーロッパのアングロサクソン系の方々はアフリカ、アメリカ、アジア、を差別していたようですし、今も残っていると聞きます。
でも、その中で日本をこよなく愛してくださっている方々だって沢山いるのもまた事実です。
私も20代前半でアメリカにホームステイしていた時、差別されたという経験はありませんでした。
とても親切にしていただきました。
また武士道で著名な新渡戸稲造、世界的に有名な野口英世、各先生方の奥方様は白人です。
どちらの奥方様も肌の色の差別も、身体に不具合があることの差別もなさらず、夫に誠心誠意尽くし協力なさったようです。
このように考えたら、高らかに人権を騒ぎ立てるよりも、感謝をする心を育て、自信と誇りを持たせ、謙虚さを身につけさせた方が差別がなくなると思いませんか?
人権は「差別をしてはいけません」ということを教えるためですか?
それとも、差別されている人たちが、いじめられない様に強くなる方法を教えているのでしょうか?
差別をされる人に、自分を卑下している所があったなら、決して差別はなくなりません。
差別とイジメは全く同じ類のものです。
また、差別する人は、自分の立場が弱くなれば、差別をしていた人と仲良くしようとしますから、差別はしなくなります。
だから、差別される人が自信をもって強くなり、団結して差別を許さない体制を整えることの方が良いと思います。
人間は、限度をわきまえて、怒らなければならないときには怒る、折れなければいけない時は折れる、この調整能力があれば意外と被害に遭っても乗り越えられるものです。
人を動かして変化を起こすよりも、自分が変わることで難を逃れる道を選ぶ方が早いと思います。
今の日本であるならば、人権をわざわざ学ぶ必要があるのか?
考えてもよいと思います。
差別は絶対にいけないことであり、苛めも絶対にしてはならないことです。
人権があると教えるより、惻隠の情を教えた方が自発的に差別やイジメをしなくなるように思います。
そして、私は死刑というか、人の命を奪う行為は反対です。
でも左翼ではありませんし右翼でもありません。
死刑反対論者でもありません。
ただ、人の命は何人たりとも奪う権利はないという信念のもとに生きています。
私は、誰かを殺した人は絶対に恩赦がない終身刑にして、一生涯労働刑にした方がいいと思っています。
こういうところにお坊さんが行って説法をしてくるのが一番仏教の役割を突いているように思います。
一番の救いです。
この刑務所は病気になっても医者はいないし薬もないのです。
だけど、薬草は刑務所内にいっぱい植えてあります。
出来上がった食事など与えてもらえず、畑と田んぼが割り当てられていて、農作業は自由にできます。
自給自足で物々交換はOKです。
しかし、ここには電気の張り巡らされた塀の外にしか看守がいないから、殺人犯同士が何をしでかすか分かりません。
自分も殺人鬼なら、周囲も殺人鬼。
落ち着いて生活できるでしょうか?
死んだ方が楽だと思う囚人もでてくるのではないですか?
もちろん中の様子は隠しカメラなどで総て監視されています。
警察官が中へ入る時は、戦車で武装していきます。
これは恐怖のエリアになりますから、あそこに入るのは嫌だから殺人はやめようと思いたくもなるでしょう。
こんなことを考えていたら、右も左も関係なくなります。
だいたい自分の国を愛して、自分の国を誇りに思い、天皇陛下を敬うと右翼ですか?
じゃあ、左翼っていうのはその反対なのだろうから、自分の国を馬鹿にして、自分の権利ばかり主張して天皇陛下を馬鹿にしている人ということなのでしょうか?
同じ日本人としてあまりにもおかしな話ではないですか。
右だの左だの、総て人間がつけたものであって、そんなのに左右されている人がいるから蔓延すると私は思います。
それよりも、双方が協力して冤罪も死刑も起きない社会にするように努力すれば良いと思います。
それには犯罪をなくす方法を考えるのが一番手っ取り早いです。
犯罪をなくすためには、道徳心や公徳心を育て、修身教育を充実させるのが一番効果がでます。
つまり、左翼が訴えている事(冤罪、死刑、人権問題)を一掃させて無くすには、右翼が訴えている事(徳育教育を施す、愛国心を育てる、天皇陛下を敬う)をすれば望いが叶うということじゃないですか。考えれば考えるほど分からなくなることは、考えないのが一番。
それよりも左翼と右翼が協力し合えばいいと思いませんか?
右手と左手があるから便利だし、右足と左足があるから上手く歩けるのです。
右足と左足で、どっちが良いのか? どっちが大切か? などと言い合いをしていたって滑稽でしょう。
お互いに相手に感謝をすれば、上手く歩けますよ。
右だの左だのと考えているよりも、日本を母国とする子供にとって将来どうあったら良いのか?
何が必要なのか? という視点で考えた方が、惑わされないと思いますが、いかがでしょうか?
武士道ワンポイントレッスン
17回目のテーマは「信念と凝固」
真面目で正義感の強い人が勘違いをしやすいことが以下のことです。
“信念を持つ” VS “自分の考えに凝り固る”
この違いは大きいのですが、意外と勘違いしやすく、混同してしまうことが往々にしてあります。
信念は自分の生きて行く上での判断基準であり、生き方そのものといえるでしょう。
自分の考えに凝り固まっているのは、世の中をを画一化しようとしているのと同じです。
しかし、自分の信念を貫く気持ちが強過ぎてしまい、他者にまでそれを強制しているのに気がついていない人がいます。
それは、自分の考えを押し付けているという事に気づかなければ、物事がスムーズに進まなくなってしまいます。
ここで、自分は違うと即座に思った人は一番危ないです(笑)
武士道を志している場合、老若男女問わずこの勘違いをしてしまう真面目で正義感の強い方によくお目にかかります。
この場合、話し合いができなくなってしまう、話がまとまらなくなってしまうという結果が起きます。
真面目で正義感が強いということは、言い方を換えると「柔軟性が足りなく、融通がきかない堅物」ともいえます。
と申しますのは、行為行動の総ての事に、『+』の面と『-』 の面の両方があって、つまみの調節次第で決まります。
活発でいつも動きまわっている子が、常時同じ行為行動をしていたとします。
すると、体育の時間は『+』に出て『元気で頑張っている』という好評価になりますが、国語の授業では『-』に出てしまい『落ち着きがなく、おしゃべりが多い』と悪評価になってしまうようなものです。
だから、時と場合によって言い方や対応を変えないと、信念を貫いているつもりが、他者に自分の考えを押し付けている状態になってしまうということです。
人間が集まると、その人の数だけ考え方も生き方も違います。
たとえ親子であっても全く違うものです。
ましてや時代が違えば受け取り方が違って当たり前です。
今の様に、時代の変化が著しく、携帯電話もパソコンもゲームなどがふんだんに出回って自然がなくなってしまった現在では、祖父母と孫では全く違う環境で人間形成をしてきました。
これでは考え方もマナーも生き方も変わってきて当然です。
それなのに、それぞれが自分の育った環境で身についた考え方を、信念だと思い込んで意見が違った時に譲らないとなったら、周囲は混乱してしまうでしょう。
また、時代が変化してきたから、昔の話は合わないと言い切ってしまうことも、あってはならないことです。
昔の良い所を残し、そこに新しい良い事を取り入れながら改善していくのが人間だからです。
停滞も切り捨ても総て限度があるのです。
信念とは自分の生き方です。
だから、他者と違っていて当たり前で、お互いに尊重し合えれば上手くいくようになっています。
その調整能力を身につけるのも、人生における成長のための大切な学びです。
相手も相手なりに信念を貫く自由があり、自分も自分の信念を貫く自由があります。
信念を貫く事と、自分の考えに凝り固まってしまう事の区別をつけるよう、柔軟性と素直さをもって接していきましょう。
きっと、真面目で正義感がある人はそこをより評価されて、信用と信頼の度合いが増していくことでしょう。
また、人に合わせてばかりいる人は、ここらで信念を持ってみましょう。
きっと人生が楽しく感じます。
2010年7月8日 09:16 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
7月7日の日記
七夕祭りの日はほとんど雨が多いですね。
晴れた日って記憶に一日くらいしかないのですが・・・
きっと彦星と織姫も一年にたった一度の逢瀬だから、誰にも見られずプライバシーの保護からも、見えなくしちゃったのでしょうか?
そうだったら許せる気がしますね。
今日は宇宙の星の話(天の川・琴座・鷲坐)だから、土居宇宙飛行士と一緒に撮った写真を公開しちゃいます。
一緒にうつっているのは、小野晋也元衆議院議員と西尾武士道協会理事です。
ツーショットはとてもとても・・・土井さんが小野先生と東大時代の同級生だったことから、偶然訪問した私たちにもラッキーショットのチャンスが回ってきました。
さて、七夕祭りは、中国から伝わってきた星祭りの行事と日本の井戸替の行事がが結びついたみたいです。
中国の星祭りは織姫と牛飼いが年に一度だけ会えるという伝説です。
琴座のベガと鷲座のアルタイルは仕事も手につかないほどの恋に陥ったことから、帝を怒らせてしまい会えないようにされてしまいました。
でも一年にたった一度だけ天の川を渡り(カササギに乗ってという言い伝えも有る)、逢うことを許していただきました。
二人の逢瀬をお祝いして、また機織(はたおり)の技術が上達することを願ったのがお祭りとなって、乞巧奠(きこうでん)と呼ばれていました。
七夕とは、日本の棚機(たなばた)と中国の織女(織姫)の話が混合しているとも言われています。
江戸時代になって、幕府が五節句(奇数のぞろ目の日)の一つとして、年中行事にしたことから庶民に広がった。
以前は七夕祭りの日(8月6日)朝に、丁度暑くなり細菌も増える時期だからなのか、行われました。
井戸替えとは、1年間使わせて頂いた井戸に感謝の気持ちを込めて井戸職人が井戸の中に入り大掃除をするのです。
井戸の中の水を汲みだして、石を積み上げてできている井戸の中をたわしでこすりながら下へ降りていきます。
水垢などもしっかり落としま、井戸の底に溜まった泥も取り去ります。
井戸が綺麗になったら井戸の四隅に、字の上達も願って短冊に「天の川」などと書いて笹につるして立てます。
そこに注連縄を張り、4隅に盛塩をしてお清めをします。
龍神様(水神様)に今までの一年間、水を与えてくださった事に感謝をしてお礼を申し上げます。
またこれからの一年間恵みの水を与えて頂ける様にお願いをするのです。
現代は井戸がなくなってしまいましたから、七夕祭りといえば笹に願い事を書いた短冊を下げて飾ります。
天の川を渡って、彦星と織姫が一年に一度だけ逢瀬を楽しむ日ということしか知らない人が多くなりました。
だから、恋愛成就を短冊に書く人が増えましたが、日本では字の上達をお願いして短冊を書くのが始まりでした。
昔は全国的に七夕の井戸替えは行われていました。
2010年7月7日 11:36 PM | 日記 |
武士道ワンポイントレッスン
16回目のテーマは「勝者と敗者」
ウルトラマンや仮面ライダー、遠山の金さん、水戸黄門、暴れん坊将軍など、昔からヒーロー物語を見過ぎてか見続けてきた我々は、勝者が正義で敗者は悪物という固定概念に縛られてはいませんか?
本当に勝者が正義の味方で正しいことをしているのでしょうか?
実際のところ勝者は、ただ喧嘩が強いだけ、腕力が強いだけということもありますよね。
また、ズル賢くて策士だったり…という場合も多々あります。
要は、喧嘩が強くなければ戦争や戦いには勝てないわけで、いくら清く正しくても喧嘩に弱ければ負けてしまいます。
そして、戦争に負けた側の歴史は必ず消されます。
特に美談などは絶対に伝わりません。
たとえ残ったとしても、ずっと後世になってから取り上げられますが、もちろん勝者の様に崇め奉られることはありません。
会津藩もそうですね。
実に誠実で、正しく清く勤勉でした。
戊申戦争で会津藩士たちは自分たちのためにではなく、将軍家のために戦いました。
女性までが男装して戦わなければならないほど劣勢で悲惨な状態だったのです。
男装しなければならなかったのは、女まで使っていると、嘲り笑われないためだったのです。
その時将軍はさっさと大政奉還して生まれ故郷の水戸に帰ってしまっていたのに…。
でも負けてしまったので、なかなか表舞台に立てませんでした。
言い換えれば、時代の変化を見抜く力が足りなかったともいえますが、その場に立ったら口で言うほど簡単ではありません。
これから歴史は敗者のものも取り上げることが大切ではないかと思います。
死刑になったフセイン氏は本当に数々の残虐な行為をしたのでしょうか?
事実なら何故そのようなことをしたのでしょうか?
もっと正しく取り上げていたら、テロがここまで酷くなはならなかったかもしれません。
というよりも、フセイン氏を死刑にした本当の理由見えてくるかもしれないですね。
でも、本当に残虐だったのかもしれないし、我々には本当のことがわからないというのが真実です。
もちろん、勝者が正しい場合も沢山あるでしょう。
明智光秀が豊臣秀吉に勝って天下を治めていたらどうだったでしょう?
きっと、信長も秀吉ももっと悪党扱いされていたかもしれませんね。
それに、細川ガラシャ夫人も自害せずに済んだことは確かですが、キリシタン王国になっていたかもしれません。
そうしたら、間違いなく植民地になっていたでしょうね。
こうやって想像するだけでも、楽しいものです。
だから歴史がすきになるのです。
年表の丸暗記では嫌いになって当たりまえです。
過去の人たちの生き方を学び、それを手本にしたり、反面教師にしたりすることで人間力が高まります。
だからこそ、大東亜戦争後GHQに国史(日本史)の活学を禁止されたのでしょう。
日本人には世界に誇れる素晴らしい先人が沢山が生まれています。
そういう人たちの生き様を学校教育で教えてくださるようになったら、自殺も減るのですが・・・
なぜ学校教育で徳育と活学を取り入れることを反対するのでしょう?
不思議でなりません。
今の歴史は勝者の歴史です。
だから大東亜戦争(第二次世界大戦)に勝った国が残したの歴史を我々は学んでいます。
敗者である日本人の歴史、それは明治維新の会津の歴史の扱い方と似ていると思います。
白虎隊と特攻隊。
やはり本当に正しい歴史をこれから学びたいですね。
敗者は悪者ではありません。
お金がなくて武器が調達できなかった人であったり、卑怯なことを全くしなかった人だったかもしれません。
われわれ日本人は悪者だから戦争に負けたのではありません。
もう一度、敗者の視点で歴史を掘り起こす作業をしていきたいですね。
岐阜の飛騨高山にも、敗者の歴史が隠されています。
古事記で有名な“稗田阿礼”は“飛騨の阿礼さん”らしく、今も阿礼さんの末裔がいらっしゃるそうです。
この辺をきちんとしていくと、同和問題までが解決されると聞いています。
勝者と敗者、この関係を、善人と悪党という解釈にすることは今日からやめましょうね。
2010年7月6日 08:32 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
武士道ワンポイントレッスン
15回目のテーマは「運命」
江戸時代は命をどのように考えていたのでしょう。
会津にとても悲しい話が残っていました。
会津藩家老萱野権兵衛の次男である郡長政は、九州・小笠原藩の育徳館に14歳で留学しました。食べ盛りの男子が見知らぬ町で勉学武道に勤しんでいましたが、母親に『食べ物が粗末だから、会津の懐かしい食べ物である干し柿を送って欲しい』という手紙をしたためました。
すると母親から食べ物は送られて来ずに、それを厳しくたしなめた手紙が届きました。
ここは私の憶測ですが、母親は送りたくても食べ物も送料もなかったのではないでしょうか。
母からの手紙で武士の子としての心構えを忘れた事に反省をして、二度と弱音をはかないためにか、大事に懐に入れて持ち歩いていました。
ところが、ある日母からの手紙を不用意にも落としてしまったのです。
運悪く、長正が文武共に成績優秀な事に嫉妬していた地元の同級生にひろわれてしまいました。
いくら返して欲しいと頼んでも返してもらえず、とうとう読まれて張り出されてしまいました。
それでみんなから、嘲られ、笑い者にされました。
これは藩を代表して留学に来ている身として、自藩に恥をかかせたことになったと判断した長政は、申し訳ないと言って16歳の誕生日(明治4年)に自刃するのです。
私が母親だったらどうだっただろうか?
狂うほど後悔したと思う。
後悔はいけない、反省しなさい何て、普段は言っている立場なのに、間違なくあんな手紙を出さなければ良かったと後悔し続けると思うのです。
でも彼の母は、狂いそうな程悲しみながらも、藩に対する面目を潰したのだから潔く責任を果たしたと思ったかもしれません。
公私を分けて考えて、迷惑をかけたことを主に考えたら、そういう気持ちになっていたかもしれません。
いやいや私みたいに後悔組だったかも…?
今になっては知る由もなく分かりませんが、少なくとも私よりずっと芯が強かったろうと思います。
実は、長政の父は戊辰戦争での会津藩の責任を一身に背負って明治2年に切腹していました。
だから、本当は萱野長政だったのに、父の姓を名乗ることが出来ず、母の姓である「郡」を名乗っていたのです。
悪い事もしていないのに罪を背負った夫の切腹から2年後に、また悪いことをなにもしていない息子が切腹したのです。
本当にやるせないとしか言い様のない出来事です。
運命って、自分が決めてきたと解釈すると、生きるのが楽になるそうです。
確かにそうだと思いました。
自己責任だから、何かを恨んだり、妬んだりしなくなりますよね。
自分が決めてきたんだから、どうやって乗り越えられるのか工夫しようと思えます。
長政の母は運命をどの様に思っていたのでしょう。
今は江戸時代に比べたらとても幸せな環境が整っていると思います。
それなのに、何の意味もなく、嫌になったから自殺をしてしまう。
江戸時代の切腹とは意味が違います。
強くなるには、あまりに恵まれすぎている環境では、余計に難しくなるのですね。
人間って、貧しい時や発展していない時の方が、他者のために生きられるんだなぁと思います。
アフリカの話でも言えてます。
アフリカでも、自分の食べるものさえ満足にない少年が、他人の小さい女の子の面倒を見て、その子の為に自分のわずかな食糧を分けてあげる。
そんな優しさを、苦しい最中に施せるのだそうです。
経済的豊かさを得るのは、人間が本来持っている神の心、天使の心と言っても良い思いやりの精神と引き換えなのかもしれません。
人間から工夫がなくなり、想像力と創造力がなくなり、そして、死後の世界を否定したときから、精神は敗退していくような気がします。
死後の世界は、今を生きるための指針になるような気がします。
だから、何かを、誰かを信じるのではなく、自分で考えて決めるべきことなのでしょう。
死後の世界がないと思えば、死んだら無になるから楽になれると思うでしょう。
でも死後の世界が今の世界の延長線上にあると考えたら、死んだら肉体がなくなるだけやりたいことができなくなり、返って辛さがましてしまう、と思ったら頑張ろうと思うでしょう。
だから、人に決めてもらわず自分で決めることだと思います。
そうすれば運命に対して悲観もしなくなり、どんな艱難辛苦にも立ち向かう勇気が生まれるのですから。
2010年7月5日 08:40 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
7月5日の日記
会津ワシントンホテルはスタッフがとても感じが良くて親切なんです。
掃除も行き届いています。
でも、部屋は汚い。
色々気配りが行き届いているようなのに、使いにくいホテルなんです。
きっと机上のみで、顧客満足度アップを研究しているのかな・・・と思ってしまいます。
お客様目線でのサービスを考えないと、いくら努力しても水の泡と思います。
例えば、
・鏡のある机に設置されている電源が一つしかない。
・その机についているライト2つを消すと、机のところからの電源もスイッチが切れて取れなくなり、出入り口ドア横の壁の下ににある電源を使わなければなりません。
・携帯の充電って寝ながらして、寝ている横に置きたいものです。
でも、寝ながら充電をするには、ベッドから離れた、しかも、必ず土足で歩くところへ、口や顔に近づける携帯をおかなければ充電ができない。
・また、BGMをスイッチオンにしてもかからない。
そのままにしておいたら、夜中の12時過ぎたころになって突然BGMがかかるから驚きました。
・空調を「中」にするとヒューヒューという嫌な音がして、オカルト映画を想像する音で不気味。
「小」では効き目が少ないから満足できない。怖くて「大」にはできなかった。
・ライトが沢山設置されているのにどのライトも薄暗い。ベッドで本を読みたくても、机で仕事をしたくても不自由。
・パソコンの貸し出しがない。
・アンケートも意味不明の質問に思えたり、答えが選びようがない状態だったり・・・
けっこう今のホテルとしたら、不便でしょ。
もったいないな・・・と思います。
今日もホテルまで阿久津さんが迎えに来てくださって駅まで送ってくださいました。
そして、1時間近く一緒に待っていてくださり、本当にありがたく思いました。
会津若松から郡山に向う途中は田園風景。
今の時期、苗の緑が本当に美しいです。
一年で最も美しいと思える風景です。
郡山から新幹線で東京に向う途中、宇都宮近辺のみ大雨でした。
今月はいつもの出張の他に、水戸が入っているから楽しみです。
会津の日新館、水戸の弘道館、何度行っても飽きない楽しい所です。
どちらも孔子廟があるのですが、孔子様って人肉を食べたとか・・・
さもありなん・・・という文言が論語の中にあったように思います。
弟子の子夏が拷問で殺され塩漬けになったと報告を受けた孔子は、とても哀しみしばらく塩漬けを食べなかったと。
これって、人肉は塩漬けで食べたそうだから。。。。
考えるのはやめましょう。
2010年7月5日 08:33 PM | 日記 |
7月4日の日記
会津大学を会場とした゛会津エンジン゛ という会津の文化祭で武士道を1時間10分間お話ししてきました。
郡山まで新幹線行き、在来線会津ライナーに乗り換えて一時間六分。
以前からお世話になっている会津JCの阿久津さんに迎えに来て頂いて、まずは白虎隊自刃の地である飯盛山へ。
長いエスカレーターで登る飯盛山は以前登ったので、今日は白虎隊記念館をご案内戴き、見学致しました。
白虎隊の年若い少年達が、鶴ヶ城が燃えていると勘違いした時、どのような気分だったでのでしょう。
絶望のどん底だったのでしょうね。
空腹を堪え、同じ日本人同士で戦い、多くの命が消えました。
白虎隊記念館をあとに会津大学に行きました。
ここで阿久津さんと別行動。
秘書のいない私は肝心な講義の写真は撮れませんでした。
あ、私を担当してくださった商工会議所の
担当者の仕事は、カメラマンさんでしたね…(笑)
会場になった会津大学は公立ですが、全て英語で授業が行われて、論文も英文提出だそうです。
ただただ驚きました。
日本語の文化の危機ととるか、グローバル社会への対応ととるか…複雑でした。
会津若松で武士道を語れるとは、何て幸せなんでしょう。
会津は武士道を貫いた地域ですから、日本の誇りと言ってもいいかもしれません。
本当に皆さん熱心に聞いてくださいました。
私は江戸時代の武士道をそのまま真似るべきではないと思います。
江戸時代の武士道では、やはり行き過ぎがあると思います。
命に対する考え方が既に違っているので、真似をできないところもありますが、心構えは充分真似る事が可能であり、また必要な部分でもあります。
必要な所を残し、時代にそぐわなくなった所は削除して、今の生活に合うように変化を加える作業を、武士道協会が担うべきなのです。
昔の日本人の精神力はすごいと思います。
程よく強い心があれば、苦しまずに逆境を乗り越えていけます。
だから、今の軟弱で直ぐに自殺をしてしまう日本人には、必要な部分が間違いなく沢山あります。
“現代武士道は、何よりも『命を大切にするため』に、『惻隠の情』『責任感』『忍耐』『親孝行』『誠実さ』『立志』という武士道精神を身に着けて、心穏やかに安心して毎日を暮せる幸せをつかむためにある”
と声を高らかに伝えて行きたいですね。
感動です! やっと武士道を煙たがる人に伝えたい言葉が見つかりました。
今日は阿久津さんに大変お世話になりました。
阿久津さん、本当に細やかにご配慮いただきまして、どうもありがとうございました。
今日は主催者側ご指定の会津ワシントンホテルに泊まります。
2010年7月4日 11:23 PM | 日記 |