9月2010

幸せと感謝の関係

2010年9月30日

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24回目のテーマは「幸せと感謝の関係」
幸せは人の心が作るもの。
幸せは他から運ばれてくるものではありません。
幸せは感じるもので、与えられるものではないからです。
自分の環境により、幸せを感じることが変わってきます。
男に生まれて幸せだと思えば、男としてなすべきことを探し目標を立てるでしょう。それを達成したときは、幸せを感じ男として生まれたことを嬉しく思うでしょう。また女に生まれて幸せだと思えば、女としてなすべきことが見つかります。そして、なすべきことに一生懸命に取り組んでいて、それを褒められたらとても幸せに思います。
それなのに、いつも隣の芝生を見ながら「隣は良いな・・・」と言っていたら、幸せは遠のいてしまいます。それよりも、今自分に与えられていることの中から、幸せを見つけ出せたら、それが本当の幸せです。
「将来はきっと幸せになるから、今のこの辛い生活を我慢して耐えるんだ」と言っている人が、一番不幸な人だと言います。反面、「今、こんな幸せを頂いている」と今を大切に思える人が一番幸せな人です。
つまり、足ることを知るのが一番の幸せなのです。
それは、すべて感謝につながるからです。
幸せな人は感謝をする人と言えます。
さあ幸せになりましょう。
今あなたはどんな幸せを頂いてますか?

第5回人間力向上セミナー【東京】

2010年9月26日

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9月26日(日)
東京人間力向上セミナーを開催しました。
今日は、小学校から高校で行われている性教育の実態について、児童買春という演題で30分ほど講義を入れてブレーンストーミング形式で行いました。
やはり、武士道(道徳であり修身学)を早く取り入れてほしいという意見が多かったです。性教育は改めてしなくても動物の本能で必ず適齢期になったら探求します。プリンスたちの様に自由に情報を取り入れられる立場にいらっしゃらない方は別ですが、そうでない場合はいくらでも情報は取れます。だから危険な事を教えるだけで良いように思うのです。
でも道徳は改めて教えなければ余程でない限り自発的に探し求めたりはしないでしょう。感性の優れた子にするにも、感謝が基本です。感謝ができれば感も鋭くなり、感じることもできるようになり、慈悲の心も芽生え、恥の概念も育ちます。
つまり親孝行が基本なのですね。
楽しい3時間でした。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
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↓↓↓武士道協会ホームページにも「活動紹介」に関連記事があります。
http://www.bushido.or.jp/#news_20100926

理事会に山谷先生

2010年9月25日

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9月25日 
武士道協会理事会が行われました。
山谷えり子先生もご参加くださり、とても活発に意見交換ができた、よい理事会になりました。
お蔭で時間がオーバーしてしまい、失礼いたしました。

マヌさんとお彼岸の大祭

2010年9月23日

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9月23日
矢作理事と一緒に、マヌさん(イタリアからいらしていて武士道協会で国際部を作る協力をしてくださっています)も参加して、神楽や舞を見ながら日本の秋のお彼岸のお祀りを経験なさいました。
大雨の中、執り行われたため、玉串奉奠はテントの中ですることになりました。
竜神が舞っているのかと思うほどの風と雨でした。
マヌさんは5カ国語が堪能で、日本人の子どもに学校で英語を教えています。
素晴らしい青年だと思いました。

鹿島神宮 夜の合祀祭

2010年9月22日

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9月22日
鹿島神宮に到着する間際になって強風が吹き始めました。
夜の合祀祭が厳かに進められ、真っ暗な神社は神秘的なムードが漂い、人の体からエネルギーが放出されているのが、肉眼で確認できるほどでした。
その後、矢作幸雄理事と中島誠吾さん(武士道協会会員)とお食事をしました。
鹿島はナマズが名物でウナギも天然が出る時があります。
今日は、もしかしたらこれがナマズ? というのがありましたが私の口には入りませんでした。
直会ということで珍しくビールを頂きました。
鹿島神宮は、藤原鎌足の父・藤原御食子が宮司をしていたそうです。
だから鹿島神宮から徒歩10分位のところに藤原鎌足神社もあります。
そこが藤原御食子のお屋敷跡だったとか・・・
古の時代に心を馳せると夢が広がる感じがします。

武士道

2010年9月20日

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23回目のテーマは「武士道」
武士道。なんと日本人に生まれてよかったと思える素晴らしい響き。そう思っていたのは私だけ?と思うことを度々経験します。私たちには当たり前になってきていることが、実はまだ世間では構えてしまうものでした。
武士道と聞くと、何故かひっかかるとか、引いてしまうという人がけっこう多いのです。私は武士道という言葉そのものを、全く意識しないで育ってきました。だから、武士道を自分なりに理解してポジティブにとらえることができたのかもしれません。
武士道とは、日本人が日々の生活の中で、自然と育んできた生き方です。テキストはなく、すべて口述で親から子へ、子から孫へと伝えられてきた口伝の教えです。だから、マニュアル社会で生きてきた人にはなかなか難しいことに思います。
Wikipediaでは「武士道は、封建社会の日本における 武士 階級の倫理及び価値基準の根本をなす体系化された思想一般をさす」と書いていますが、これは偏った見方だと私は思います。封建社会の前から武士道は存在していました。武士道というと、武士の道というイメージが強いので、武士とか武道などと同一視したり、武士や武道をする人にしか必要ではないと勘違いする人もたくさんいらっしゃいます。
私が武士道を唱え始めたとき、
「剣道はやっているのか?」
「武道はやっているのか?」
「武道は型から入るが、武士道は型がないからどうやって入るのだ?」
などと訳のわからない質問が沢山ありました。
なぜ剣道をしていなければならないの? 
武士道をするには武道をしていなければいけないの?
などと不思議に思っていました。
武士道は「生き方」であり、それは生き方の指針であり、生きる道とも言えます。だから、武道をしていなくても武士道を心得ることは十分できるのです。型から入らないと習得できない人は、目に見えるものしか感じ取れないのではないでしょうか。
人間は目に見えないものの方が多くありますし、比率も大きいのです。目に見えないものはイコール宗教や想像、などと決めつけてしまうのは早合点です。携帯電話だって、見えないものの力が働いていますね。今までの電話なら配線をたどっていけば相手先についたのですが、携帯は見えない電波です。これと同じように、見えない世界を否定してしまうと、解ける問題も解けなくなってしまうのです。
武士道は、見えないものです。
つまり心の問題です。
だからこそ、追求したら切りがないくらい奥深く広いものなのです。
偏見を持たずに武士道を受け入れてほしいものです。
生きるのがとてもらくになるのですから。

『小公女』のDVDを見ました

2010年9月19日

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9月19日の日記
やっと少しだけ凌ぎ易い気温になってきましたね。
以前の真夏と言っても30度を超える日は少なかったように思います。
最近は30度だと涼しいと思うから人間の体はふしぎですね。
武士道とは、大きな心、大きな和を保つ心、という意味と解釈できます。
塩川先生が武士道とは大和心というのですよと教えてくださったことを思い出します。
大和心をわかりやすく説明すると、大きな和をもった心ですよ。
だから、否定、批判、侮蔑、差別などは一切入り込むすきがないと思うのです。
否定ではなく事実の確認、批判ではなく意見と改善提案、侮蔑ではなく指導や指摘、差別ではなく区別というように、心の部分を少し変えるだけで全く違うものになるのです。
否定をするときは受け入れない認めないという気持ちが入ります。
でも事実の確認では、その事実だけを言いますから感情は入れません。
この様にすれば、男女公平をジェンダーなどと勘違いしないで済んだはず。
心の在り方って本当に大切だと改めておもいませんか?
明日はお彼岸。
先祖とゆっくり心の中で会話をしたら、きちんと通じるかもしれませんね。
夢があるではないですか。
今日はシャーリーテンプルの『小公女』のDVDを見ました。
自分の意見を言えること、不遇でも負けずに生きる心、とても素晴らしいDVDだと思いました。
こういう物語を子供たちに見せていきたいですね。

慣れる

2010年9月18日

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9月18日の日記
大阪空港のラウンジで搭乗待ちしています。
川崎と湘南のサッカー試合がスクリーンに映し出されています。
テレビのない生活が長く続いていると、テレビは外出先で偶然観るものになってしまいました(笑)
何故テレビがかかっているのにきにならないのかしら? と思ったら音声が消されて無音放送でした。
静かな中で暮らすのが慣れると、鈴虫の鳴き声や鳥のさえずりも聞こえます。
今はラウンジ内だから、誰かがお煎餅をかじる音が響いていて笑えます。
ゲームやテレビは皆無、音楽もクラシック以外をほとんどかけない生活をしていると自然と考えるようになり、自分の内面との対峙をするようになったように思います。
また、自発的に何かをするようになったかもしれない。
私としては、テレビがないことで不自由を感じたのは、テレビを捨てた一時期だけ。
あとは全くない。
慣れとはなんとすごいものなのだろう。
また慣れるのは恐いこととも言えるように思います。

育児支援セミナー(名古屋)

2010年9月15日

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9月15日
育児支援セミナーをキャンプスの山口達也社長のご支援で私本多百代を講師に開催しました。
サポート講師の小学校元教諭の池上倶子先生が楽に育児するコツをお話しくださいました。
1才から中学生までの子供を持つ母親達が集い、楽しく育児するコツを学びながら、先輩ママ達と話し合いました。
最後に『このセミナーを紹介してくださった友達に感謝します』というコメントもあり、皆さま何かしら得るものがあったセミナーになりました。
毎月一回、名古屋市緑区有松のキャンプスで開催しています。
誰でも参加できます。
託児もあります。

合わない人と和を保つ方法

2010年9月9日

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武士道ワンポイントレッスン
22回目のテーマは「合わない人と和を保つ方法」
自分の意見を持つことは大切です。自分と意見の合う人は良い人に感じます。でも、意見の合わない人はうっとうしい人になります。だから、「あの人いい人ね」という褒め言葉は、実際には「あの人は、私にとって都合の良い人なのよ」という意味の場合が多いですね。
逆に合わない人は、自分にとって都合が悪いことをする人だったり、褒め言葉を言ってくれずに注意ばかりしている人だったりすることがほとんどです。細かくてうるさいと思う人は、自分にゆとりがなくてそっとしておいてほしい時に特に感じたりしませんか。
しかし、この意見の合わない人から学ぶことは大変大きいものです。
意見の合う人とは何かを一緒に組んで進めるには適していますが、悪くなったときは補い合うこともできないという欠点があります。確かに好きなものが同じなら意見が合います。
だから食事に行くときや、遊びに行くときは楽しいでしょうが、食事でも残してはいけないところに行ったとき、または、全部種類の違うお弁当があって好きなものを取っていいと言われた時などは、好きなものが違う方が便利ですし、都合がよいではないですか。ましてや人間の好みだったら、好きな異性が同じになり奪い合いになることだってあり得ます。趣味が違えば奪い合いなどあり得るわけがない。
このように違う意見を受け入れるからこそ、丸い輪になり分け合いが自然にできるのであって、意見の違うものを排除していては雲丹みたいになってしまうし、最終的には喧嘩になってしまいます。
気の合わない人を受け入れるには、
①世の中、自分と同じ人は二人といない
②親の注意はイライラ腹立たしかったということを思い出す
③生きてきた環境が違えば判断が違って当然
この3つを頭に入れます。そうすると、嫌なことを言う人は、自分にとって為になることをしてくれていると思えてきます。
もちろん、その相手は意地悪をしているかもしれません。でも、受け取る自分が意地悪ととらなければ、いくら意地悪をされても、それは意地悪ではなくなるのです。意地悪ではなく、
①違うやり方を探すように仕向けてくれていると思う
②忍耐力をつけて、想像力と思考力をつけるチャンスを与えてくれている
③同じ異性やほしい物を奪い合わなくても済む
と思うことで、感謝する存在にすらなるわけです。
全てが旨くいくとは言えませんが、このような捉え方をしていたら、あまり悪い方向には傾いてしまういことはないでしょう。つまり、意地悪をしたりイジメをする人は、苛めたことで相手がダメージを受ける姿をみてストレス解消させています。
そうすると、苛めてもいつも明るく楽しそうにしていることが、一番良いしっぺ返しになるのではないでしょうか。しっぺ返しはしない方が良いと思いますが、でもそう思うことで救われた気持ちになることも確かです。つまり、自分の考え方、とらえ方、受け取り方次第で、いくらでも不愉快になるし、いくらでも幸せになるということです。
幸せになりたければ、自分の考え方やとらえ方を変えるしか方法はないのです。
合わない人と合わせなければならない職場などでは、自分の取り方次第、考え方次第だと思って、自分をコントロールする術を見つけましょう。和を保つとは、己の感情の調整能力を高めることなのです。
きっと心が乱されない素晴らしい毎日を送ることができるでしょう。

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