11月2010

五箇条のご誓文

2010年11月30日

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31回目のテーマは「五箇条のご誓文」
昨日、明治神宮を参拝して、もう木々が紅葉していて、散歩にはちょうど良い季節でした。外人の参拝者が多かったです。カラスと一緒に和装の男の子が遊んでいると、外人さんが何人もで写真を撮っていました。男の子は自分を撮られているわからず無邪気に遊んでいました。きっと珍しいのでしょう。
伝統というものが如何に素晴らしいか、外人の興味によって改めて深く感じました。明治神宮という神々しい場所だからでしょうか、道すがら声を掛け合うこともしばしばありました。国と国は揉めていても、そこの国民には親友もいるし、恋人にしている人もいるかもしれません。そう考えると、やはり仲よくするために努力をすることが一番だと思うのです。国同士の仲よくするということを「平和」という言葉で表します。
「平和とは、心に浮き沈みがなく平らけく安らかに落ち着いていて、周囲との和が保ててい状態」という意味を持っています。
平和は左翼と言われる人たちだけが使う言葉ではありません。仲よくするには、平和を維持するには、人間一人一人が努力をしなければならず、ただ何も考えずに過ごしていては「仲よく=平和」の状態を維持することはかなわないのです。「仲よく」するために「武士道」という心の在り方が、今は世界に、つまり、地球上の人類すべてに備わっていると良いと思えるから、武士道を推進しています。武士道は戦争をするための心構えでもなく、生きる上で気持ちを落ち着かせ、冷静な判断をし、他者に迷惑や不快な思いをさせないように生きるための考え方といえましょう。
昨日掲載した教育勅語も、今日掲載する五箇条のご誓文も、世界に通用する素晴らしい教えですね。このような教えが日本にあることを私は誇りに思い、外国籍(外人)の大切な友人に贈ることにしました。日本の政治家の方々に、ぜひいつも胸にご誓文を入れてお仕事をして頂きたいと思います。特に総理大臣に望むところです。
明治神宮で求めてきた教育勅語の裏に書いてありました。
五箇条のご誓文
一.広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一.上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし。
一.官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦(うま)ざらしめん事を要す。
一.旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一.智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし。
我国未曾有の変革を為んとし、朕躬(ちんみ)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大に斯国是を定め、万民保全の道を立てんとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。
明治元年三月十四日
「五箇条のご誓文」意訳(口語文)
一.広く人材を求めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
一.身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。
一.文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
一.これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。
一.知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
これにより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力してください。
発行:明治神宮社務所 平成22年10月

教育勅語

2010年11月29日

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30回目のテーマは「教育勅語」
今日は明治神宮へ参拝に行ってきました。
教育勅語の意訳がありましたので、下記に転記してみました。たいせつな事は、戦うこと、主張すること、ではなく、調和すること、融和すること、助け合うことと教育勅語にも書いてあります。それが結果的に平和へと導かれていくのだと思います。融和や調和には、いがみ合うこと、相手を困らせることなどは当てはまりません。他者に注文をつけるなら、まずは自分がやってみましょう。
日本人は和を尊ぶ民族です。世界初の憲法17条も和をもって尊しとなすとあります。和とは、融和、調和、平和、柔和、温和、などです。足し算も和と言います。つまり、他を受け入れ、相容れ合うことでしょう。喧嘩も器の大きいおおらかな人の方が、一見負けたように見えていても、お釈迦様の手の中で頑張っていた孫悟空のような状態で勝つものです。
日本人としての誇りを持つということは、まずは和を尊ぶことではないでしょうか。武士道は誇りを持って生きること、信念を持って生きることを推し進めています。だからこを、和を大切にすることから始めたいと思って活動をしています。
「教育勅語」口語文 明治神宮発行
国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして、全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さん、お母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲よく励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助け合っていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかっているよね」と、信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。
誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬ををするのですから、「進んで勉強をし努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同法を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩べき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な心理にほかなりません。
そこで、私自身も国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるために、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
明治23年(1890年)10月30日
御名(御実名「睦仁」)、御璽(御印鑑「天皇御璽」) ―明治神宮崇敬会刊『たいせつなこと』より―

私の武士道論

2010年11月27日

戦争と平和が一心同体と思っていらっしゃるようですが、私の考えをお聞きになりたいとの事ですのでここに書かせて頂きます。
投稿者の方だけでなく、多くの方がいつもこのように戦争と平和は一心同体と思っていらっしゃるのでしょうか?平和は誰もが望んでいるものではないのでしょうか?そして、武士道は右翼でも左翼でもありません。左翼とか右翼とか、そういう区別をするような考えを私はしていないと言った方が正しいと思います。
中道、中庸が一番良いと思っております。
平和は中廉の状態であり、中道を行くものだと思っています。努力をしなければ保てないものが平和や安穏だと思います。人間一人一人が、自分の事だけでなく周囲とのバランスを考えて暮らさないと、平和を維持できないように思います。天地平和、人類和楽、真道即生、祖国安穏、天命完遂、そして、全てに感謝をすること。これを毎日肝に銘じて生活をしております。
戦争をするから平和が訪れるのではなく、平和を保つ努力がなされないから戦争になるのです。一心同体ではなく、戦争は欲と我の強さとがもたらした不幸としか言いようがありません。戦争と一心同体なのは不幸ではないでしょうか。戦争をしないで済むために、つまり、喧嘩をしないで済むような生き方を示していきたいのが武士道協会なのです。
攻めてこられたら攻め返さなければならない。攻められない様に軍備を整えなければならない。こういうことは、武士道協会が考えることでも努力することでもないと思っています。国が考えることで、今は民主党の方々に特に一生懸命考えてもらいたいことだと思っております。武士道協会では、人の心の在り方に焦点を当てております。
武士道は戦争に使うものではありません。精神的に辛い時に、道を外さずに、人間らしく生きるための、心の支えのようなものです。新渡戸武士道だけが武士道ではなく、新渡戸武士道は新渡戸稲造氏の考えをまとめたもので、それだけを武士道と言いきれるものではないと思っております。武士道は日本に口伝で伝えられてきたから、それまでに武士道という定義書などありませんでした。それぞれ家庭内や藩内での教育です。
だから、大まかなところは同じでも、細かいところを言い出したら家柄などによって違ってきて当然です。その時代、その環境により、違いが出てきて当然です。武士道を型にはめて、法律の様にマニュアル化することは意味のないことと思っています。
第5代会津若松藩主の書いた「武士道の教科書」(PHP研究所刊・松平容宣著)を読んでみてください。会津若松の什の掟を読んでも分かることです。親孝行の事がとても多く出ています。また兄弟での譲り合いのこと、勤勉なことなどが書かれてあって、戦いに強いことが書かれているわけではありません。葉隠も同じで、心の持ち方が書かれています。
新渡戸稲造氏も山本定朝氏も高い身分の武士ではなく、松平容宣氏は藩主で徳川家の血縁ですから立場は違うと思います。でも、書いてあることは心の持ちよう、生き方を書いてあるところは同じだと思います。
私は日本が大好きです。だから世界の他の国も同じくらい大切にしたいと思っています。君が代も、日の丸も大好きで、自慢したいものです。どこの国よりも素敵な旗だし歌だと思っています。君が代を和歌としてとらえたとき、歌うと涙が出るほど感動もします。
でも、旗に敬礼したり、講演の前に掲げたり唱和したりするのは、不届き者かもしれませんが、まだ違和感を感じてしまいます。つまり、得意ではなく苦手意識が先立ってしまいます。でも、とても平和を望み、地球全体で平和になるために何かをしたいと思っています。そして、個性を大切に、且つ、地球上で生きる人間同士、仲よく暮らしたいと思っています。これが私の正直な気持ちです。
だからこそ右翼でも左翼でもありません。冒頭でも書きましたが、左翼とか右翼とか、そういう区別をしておりません。常にバランスをとって、和を保ち、心を穏やかに、暮らしていきたいと思っています。でも、それは私にとって喧嘩をするよりも難しいことなんです。極端かた極端に走ってしまった方が、私には楽です。喧嘩をするのは、自分の意見が正しいからこれを押し通したいと思った時か、自分の方が得をしたいと思った時、自分の言い分を周囲に理解させたいと思った時ではないでしょうか。その対象者は、自分に対して反対意見を唱える者か、自分に対して不利益をもたらすものではないでしょうか。
だから、思いっきり喧嘩をしてしまった方が、その場はすっきりするし、正しいことをした気持ちになりました。でも、しばらくたつと、喧嘩は本当に空しいものだと感じるんです。喧嘩までしなくても、揉めて不快な気分を表現して相手に伝えてしまった後も同じで、たとえ自分の言い分が通っても後味の悪いものでした。
それでも争い事や不快さが絶えないのは、日常生活では日常茶飯事です。日常生活の些細な喧嘩が大きくなったものが、殴り合いの喧嘩で、それがもっと大きくなったのが国と国で争う戦争だと思っています。だから、武士道を学ぶことで、喧嘩をしないで済む方法、器を大きくする方法、人の命、生きとし生けるものの命の尊さを考えることをしていきたいと思ったのです。一番端末の草の根運動のところです。だからこそ、山谷えり子先生に副理事長になっていただき、学校教育に武士道(道徳)を入れて頂く様にお願いしております。
幸せを考えたとき、どうやったら気持ちを落ち着かせ、幸せをえられるのだろうか? と考えました。それには他者の立場を理解する(認めることではありません)ことで、自分の心の中に起きる怒りの気持ちを抑えて冷静さを取り戻すことだと思いました。そうすることで、対策を立てやすくなることも確かですから、危機管理もしやすくなります。危機管理は今の日本においても必要だと思いますし、足りない最たるものだとも思っています。
ただ、か弱い子供やお年寄りも、安心して暮らせる国にするために、私ができることは軍備だとか戦争だとかと言うことを考えるのではなく、まずは心が広く、穏やかで、自分も他者も同じように大切にする心を育てるところに焦点を当てたいと思ったのです。常に誰かと或いはどこかの国と戦々恐々とした状態にいることは幸せとは言えません。だから武士道を学ぶことで、礼儀を学び、信念を持ち、心から信頼される人になるための生き方を学ぶ機会を提供する組織が欲しいと思ったのです。
武士道は武士の再現でもなく、戦争の再現でもありません。武士道は人間が、人間らしく幸せに生きるための心の支えです。闘争心を支える物ではなく、戦争を起こさなくて済むように、譲り合いの精神(江戸しぐさともいえましょう)を育む教育ともいえると思っています。
それが武士の時代には、いつも命が危険にさらされていることから、その心構えもあったでしょう。戦争中は、それを悪利用されたこともあるでしょう。それなら、今、日本人の心として武士道を考えたとき、今の時代に即した幸せを感じるための心の支えとしていくことが、望ましいと武士道協会では判断しているのです。
私は国を動かすほどの人間ではありません。たいしたことも出来ないまま、普通に今まで生きてきました。ただ、色々辛いことも経験しました。だからこそ、少しでも今悩みを抱えている人達が、自殺をせずに生きる希望を持って下さったらいいなと思って、このブログも開きました。
私の考えが間違っていると思う方々にはどう伝えたら良いのか?と考えたとき、その場合はその方々がこのブログを読まなければいいわけだと思いました。報道の自由があるように、誰もが何を考えても良くそれが多数決で決まるのが民主主義だから、思ったことを書いて良いと思ったのです。
ブログを読んで少しは悩みの解決になるという人がいたら嬉しいと思っています。だから強制をすることは良くないですが、自分の意見を言うことは良いと思って、表現しています。だからこそ、私は他の考え方をしている人に、それは間違えていると言うつもりもありません。それぞれの考えがあるのが、個性であり、生き方なのですから。
そして、民主主義は多数決できまるのだから、マイノリティの立場の時は、粛々と自分の信念に照らし合わせながら、他者の幸福の邪魔をしない様に生きていきたいと思っております。ただ私が生きてきた今までの中で味わった悲しみや辛さは、もう起きないでほしいと思っていることも確かです。たいしたことではありませんが、些細な不幸でも当事者には辛いものです。これだけ自殺やネグレストによる殺人が増えている昨今、少しでもお役に立てればと思って活動しております。
武士道とは、惻隠の情、大和心だと塩川正十郎先生に初めてお会いした時に教えて頂きました。惻隠とはかわいそうともう心だと辞書には出ています。大和心は大きな和をもつ心と書きますように、和=コミュニケーション、融和、調和、平和と色々表現できます。つまり、仁義礼智信と漢字で表現するように、心の在り方の指針となるものではないでしょうか。
このような返事ではまだ説明不足でしょうか。誰とでも仲良くしたいといっているのではなく、信念を持って生き、それが世の中の役に立つことで有りたいと願っているのです。悪党はすぐに徒党を組むけれど、良いことをしている人たちは、それぞれでなかなか徒党を組まないと言われます。
きっと私のブログを読んでくださっている方たちは、純粋な素晴らしい方々だと思っています。だからこそ、ほんの少し表現が違うだけで、違和感を感じさせてしまうのかもしれません。心を割って話し合ったら、祖国日本を大切に思う気持ちが、少しも変りがないことが理解し合えるような気がします。
このような提議を頂けたことで、私も新ためて武士道について考える機会を頂きました。ありがとうございます。日本を末永く誇れる国として子子孫孫に残していきたいですね。
よろしければ、明日28日の武士道協会の観劇とトークにいらっしゃいませんか?武士道協会のことがよりお分かり頂けると思います。

お返事

返事を書いている間に、何本もコメントが来ていましたので、ここで総括的にすべてにお答えします。これに前後して、私の考えを掲載します。
この様に、面と向かって話し合っているのではないと、時間差が生じてしまい誤解が生じることもあると思いますので、できればお目にかかってお話したいですね。
私が言えることは、「私がそう感じている」ということです。
私の考えを他者に押し付けて、同じように思ってほしいと思う気持ちは全くありません。ブログですから不特定多数の方に話しかけているわけですが、特に武士道協会の会員さんを頭に浮かべながら書いています。会員さん以外の方も見てくださるであろうけれど、誰もに賛成していただける答えをかけるわけがなく、色々な反応があると思っています。誰だかわからない相手と討論をしても、なかなか正しくは伝わらないと思うからです。特に感情の部分は文字面では伝わりにくいと思います。
ぜひ、武士道協会の勉強会にいらしてください。
そこで、お目にかかってこの続きをお話しませんか?

人に好かれる方法

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29回目のテーマは「人に好かれる方法」
人に好かれるためにはどうしたら良いか?
評判がよくなるにはどうしたら良いか?
これは好かれるために何かをしても、好かれないということです。
評判を上げようとして努力をしても、良くはならないということです。
それではどうしたら良くなるのでしょう。
それは、簡単なことなのですが、やってみると難しいことなんです。
①嫌いな人を作らない
②苦手な人を作らない
③嫉妬心をなくす
④恨まない
⑤悩まない
⑥迷わない
⑦僻(ひが)まない
⑧怒らない
⑨当たり前をなくす
⑩頼らない
⑪楽をしない
この11か条を守れば、評判が良くなります。
自分を認めてくれない人を嫌いになります。
つまり、いつも自分に対して辛辣なことを言ってくる人は好きになれないのが人間です。人間はみんな、相手の返事に対して欲しい答えを持って話しかけています。だから、思いもよらない返事が、自分を否定していたりすれば、不快になって怒りが込み上げてしまうのです。不快な思いをさせた人を好きになれるかと言えば、余程人間ができていなければ難しいでしょう。
自分の思い通りにならない人は苦手になります。
つまり、他者から悪く思われずに、思うがままに振る舞いたいから、イライラしたり苦手意識が出たりするのです。潔く、悪く思われてもいいから思うがままに振る舞おうと決めれば、苦手な人などいなくなります。でも、みんなを敵に回してしまうけど、北朝鮮だってあれだけやっていて何とかなっているではないですか。長いことは持たないと思いますが・・・。
だからこそ、他者に不快な思いをさせたり、損をさせたりしない様にしようと思っていたら、自分の思い通りにならない人でも、腹は立たずにあしらい方が見えてくるものです。
そして、特に日本人は隣の人や、レベルの同じ人と自分を比べて、安心したり焦ったりしています。安心できるのは、同じレベルの人がいるから「みんな一緒、みんな同じ」なんて楽をしているわけです。それなのに、そのサボり仲間が出世したり成功したら、当然安心が崩れます。だから、嫉妬心で膨れ上がってしまうのです。
嫉妬は女より男の方が酷くて醜い仕打ちをします。パワーハラスメントなんて、初期段階では男性間がほとんどでした。私も新聞社でパワーハラスメントにあった時は、上司はほとんどが男性でした。
嫉妬をして苛めるのは、本人が努力をしないで自分の方が上にいようとするからです。嫉妬する暇があったら、自助努力をして自分の能力を高める努力をした方が身のためになります。
恨んだり妬んだりすると、病気になります。
ましてや、死んだ後に何かしらが残れるとしたら、肉体は焼かれてしまうわけですから、焼けない心である意識だけが残ります(あの世に行っていないから確認したわけではありません)そうなると、恨んだり妬んだり怒ったり嫉妬したりしている自分の意識通りの世界が出来上がります。
だから、嫌でも地獄にいるような状況が出来上がってしまうのでしょう。反面、愛したり親切にしたり、思いやりを持った意識でいれば、自然と天国的な状況が出来上がっていくでしょう。生きているときの意識の持ち方によって、死んだあとの世界が決まるというのは、こういう意味だったのか、と悟りました(笑)
悩んだり迷ったりするのは、損をしたくない、責任を取りたくないという及び腰の時です。誰かに損をさせたり、責任を取らせるのではないならば、挑んでみた方が良いと思う方が美しいです。損得ではなく、役に立つか立たないか、誰かが幸せになるか不幸になるか、など他者を対象して考えれば、意外と冷静に答えが出る物です。損得は自分が中心になるから、悩んだり迷ったりするのです。たとえどんなに立派な人でも、自分の事だけは分からないというではないですか。
世の中に当たり前の事など一つもないのに、いつもあるものには案外感謝ができないものです。だから楽をしてきた人は、役に立たないのですね。つまり、楽をしてなんでも当たり前に手に入ってきた人は、無くて困っている人の気持ちを理解できないし、気遣いができないからです。当たり前に手に入っていることに感謝ができれば、ヒガミもなく穏やかで気遣いができる人になります。また、無くて困っている人がヒガミ根性を出さずに、自分のような苦労はもう誰にもさせない、と思ってつくしたならば、きっと子子孫孫に至るまで幸せが続くことでしょう。
苦労をして、僻まず、いつも明るく過ごしていれば、必ず幸せになるということですね。それは、苦労が成長の問題集ということになるからでしょう。武士道協会の会員さんは、みんなで手を携えて、社会貢献をして、地球が喜ぶことをしていきましょう。

ほんとうの幸せ

2010年11月18日

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28回目のテーマは「ほんとうの幸せ」
幸せも悩みも総て意識がもたらすもの。意識とは物事のとらえ方でもあり、考え方でもある。
今日の研修で私が質問をした。
『人間は生まれたときから死へ向って歩んでいるから、言い換えれば死ぬために生まれてきたともいえます。その上、辛い事が沢山あるし、不幸だと思う事も沢山あるはずです。幸せだ、楽しいなと思う事より、辛いと思うことの方が多かったのではないでしょうか?』
すると全員が
『はい、確かに辛い事の方が多かったです』と答えた。
そこで私は
『ここで、研修をやめたら、生きて行く元気もなくなるでしょう。だから意識、物事のとらえ方を変えてみましょう』と申し上げた。
『今我々が肉体を持って生活をしている時を、修行の時ととらえます。何故修行かというと、それは何をするにも不自由だからです。私たちは、肉体を持っていることが如何に不自由か、無意識に生きていると分かりません。どこかへ移動しようとしたら、先ずお金を稼がなければならない。そうしないと、靴も買えないし乗り物にも乗れない。人間は食べなければお腹が空く。食べる物を得るためには、他の生き物の命を奪うし、先ずはお金を稼がなければならない。厄介なことに食べれば排泄したくなる。排泄する場所、トイレットペーパーなども必要となり、それにもお金を稼がなければならない。食べれば眠たくもなる。最近はホームレスが流行っているけれど、大抵の人はそれには満足できず、寝床を確保しなければならなくなる。それには大金が必要で、保証人まで必要で、真剣に稼がなければならない。これを不自由といわずになんと言いましょうか。それに、他者の考えている事が分からない。だから不安になる。意識体だったら、他者の考えは明白に分かるらしいし、移動も時間軸がないから瞬間移動が可能らしい。それに、同じレベルの人たちといつも一緒であり、考えの違う人とは一緒にいないでよいらしい。そうなると学びには不向きである。だから肉体をもってより良い意識体に成長するために肉体を持って生まれてきた。しかも200年も300年も順番を待って生まれてきた。だから、生まれる前に課題を出してきていて、それを解くことで成長できるから、必死に取り組む方が良さそうだ。こう想像したら、今の辛さに対してどう思いますか?』
そうしたら、参加者全員が『もっと一生懸命生きる』という答えが出てきた。
つまり、考え方によって幸にも不幸にもなるわけで、物や地位があるから幸せということにはならない。本当の幸せは、今を一生懸命生きて、毎日の生活の中から、嬉しい事、ありがたいと思うことを見つけることなのだ。つまり、感謝をするということ。どんな小さなことにも感謝をし続ける事が、いつもいつも幸せでいられる。総てが積み重ねである事を忘れてはならないのである。
武士道ではよく「武士は食わねど高楊枝」と言う。
これでもわかるように、昔から生きるには我慢がつきものなのだ。だからこそ、考え方、とらえ方次第なのである。時という流れの中で生きて、死なない人はいない定めの今の世の中。ということは、物や地位に幸せを求めるほど、浅はかで儚いものはないといえるのではないだろうか。もう一度、家族のあり方を見直して、仕事の取り組み方を考え直してみてはいかがだろうか。きっと幸せを手に入れていたことに気づくはずだ。 
武士道はそれを教える事も役目であると私は信じている。人生を問いても、一人一人違い、人生をどの様に考えるかによって、それぞれの答えが違い、決まっているものではない。よって、幸せは他者に与えてもらうものではなく、自分で感じ取るものだと気づいた人が幸せなのである。

新しい武士道協会

2010年11月15日

武士道協会は、今ちょうど分岐点に来ています。
初めての理事改選時期にきましたので、理事の先生の入れ替わりも大きくあります。そして、広報を重点的に強力化するために理事会の下に幹事会をおきます。幹事会はメールを酷使した広報や、法人会員を増強させるための色々な工夫をして実行していきます。専門的な取り組みをしますので、会社の経営者或いは会計士、税理士、医師、大学講師などの資格を保持する方にお願いして参ります。特賛委員会とはまた違った目的を持って作られています。そのうちはっきりと皆様にも分かるようになりますので、もうしばらくお待ち下さい。
そこで、武士道協会のキャッチフレーズも変わります。
“命と地球の平和を考える”大和心・武士道協会 で今後は進めて参ります。
人が欲張らず、他者の為に喜ばれる事をしようという武士道精神を発揮し、日本が世界から「なくてはならない母なる国」と思われるようになったら、間違いなく戦争をせずとも、軍備をせずとも、日本は世界から守られ、攻められないでしょう。それには時間がかかりますし気の遠くなるような努力が必要不可欠ですが、先ず、地球に住む人間一人一人が、武士道精神を身につけて、他者を認め、欲を張らず、相手を労わり、協力し合う生き方をしなければなりません。
地球も生命体ですから、地球上で人々が戦争をするということは、人間の体の中で五臓六腑の臓器たちが縄張り戦いをしたり、自分の方が偉いの正しいのと喧嘩するのと同じです。人間に言い換えれば、がん細胞が人間の身体に蔓延ってしまったのと同じで、地球の命が危ない状態です。それぞれの個(国)の役割と個性を大切にして、それを大和心という大きな和を保つ心である武士道を潤滑油として、世界の和を保つ事が、平和を維持し、人の命を尊ぶことになっていくからです。
だから、神道、儒教、仏教、テーラワーダ仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教・・・・どの宗教を信仰していても、また無宗教の人も、無神論者の人も、大和心である武士道であれば心を一つにすることができるのです。現に武士道協会には、イスラム教の方も、キリスト教の方も、また、中国人をはじめ諸外国籍の方々も会員に登録して頂いております。武士道は、仁義礼智信でも表現されるように、人の行いであり、思いやり、配慮、礼儀、信頼感・・・の根源です。
武士道は、「信じる」というものではなく、「実行する」ものであるから、いかなる宗教を信仰していても、またいかなる国に籍があっても、人間として一つになり協力し合えるのです。
個を大切に、相手を認め、それぞれの役割を果たして、地球の五臓六腑に人間がなっていれば、世界は間違いなく平和になることでしょう。だからこそ、村上和雄筑波大学名誉教授に理事に就任いただきました。また、西大條文一医師(エイズ救済)、影山幸雄医師(泌尿器科)の先生にも理事に就任いただきました。よって、肉体の健康と武士道の関連についても今後は講習会を開いていける事と期待をしております。
これからの新しい武士道協会に是非ご期待下さい。
武士道協会 常務理事兼事務局長 本多百代

戦争のない地球にするためには

2010年11月7日

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宇宙の仕組みは地球の仕組みと同じ、地球の仕組みは人間の仕組みと同じ、つまり、仕組みは宇宙と皆同じのようだ。人間の体の細胞は毎日細胞のコピーができては古い細胞が死ぬ。またその細胞のコピーができては古い細胞が死ぬ。これを21日位で繰り返しているから、親からもらった細胞はもうとっくに死んでいて、新たに自分でコピーして作った細胞を使って生きている。そして、考え方や環境の変化、加齢などにより、コピーされない細胞が出てくる。だから白髪にもなればシワも増える。
私たちは細胞が入れ替わりながら加齢しているのに、本人は全く気が付いていない。あるとき鏡を見てびっくり。老けた・・・とショックを受けて気が付くくらいだろう。
村上和雄教授は生と死はペアーだとおっしゃってらした。つまり、ずっと同じでもなく、ずっと継続されているのでもなく、死と生が繰り返されている。私たちの体の中の細胞が生と死を繰り返しているように、私たちももしかしたら地球の一細胞として生と死を繰り返しているのかもしれない。それが、日本という国が江戸、明治、大正、昭和、平成と綿々と受け継がれてきているけれど、全く違う世の中になっている。
私たちの体の中の細胞同士が喧嘩をしたり戦争をしたりすることはない。もし胃の細胞と心臓の細胞が喧嘩でもされたらたまったものではない。しかし、私たち人間は地球の一細胞である可能性が強いのに、戦争ばかりしている。そろそろ武士道を精神に取り入れて、細胞同士の無駄な争いを止めないと、地球が危ないように思う。
300年弱戦争をしない民族も地球上では日本だけだったようだし、今も事実戦争をしない年月が65年続いている。第二次世界大戦後戦争をしていない国を挙げてみたらいい。日本は本当に平和な国といってよいのではないだろうか。明治維新の時も、西欧諸国が船に乗って攻めてきた。日本は戦争を仕掛けているのではなく、戦争を仕掛けられている国といってよいのではないか。
竹島、尖閣諸島、北方領土、また外国から仕掛けられている。
日本から仕掛けたのではない。
もう少し、国民がみんなで考えることも必要なのではないだろうか。
そして、戦争のない地球にするためには、どうしたら良いか? をもっと真剣に考える必要がある。
武士道は戦争をしない国を作るために必要な心構えでもあると思う。他者を思いやり、日本が地球上の母なる存在の国となったら、だれも戦争を仕掛けてこないだろう。今はまだ、「のび太君」(漫画『ドラえもん』の登場人物)くらいにしか思われていないのだろう。日本人一人一人がもっと成長することが、国を守ることにつながっている様に私は思う。

ポジティブシンキング=プラス思考

2010年11月3日

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27回目のテーマは「ポジティブシンキング=プラス思考」
聞き飽きる位聞いている言葉だと思います。ポジティブにした方が良いことは誰でももうわかっています。しかし、辛い時、苦しい時、八方塞の時にポジティブになるにはどうしたら良いかが分からなくなってしまうのですね。村上和雄先生のご著書にも書いてありましたが、マイナス方向に物事をとらえてしまうと遺伝子がオフになってしまうと。マイナスな言葉「ダメ」などは早く封印するか追い出してしまった方が良いそうです。
しかし、危機管理をする部分、保障の部分にまでどうやってポジティブシンキング、プラスの言葉使ったらよいのか?確かに保障問題や保険などでは、万が一ダメだった場合には・・・という言葉で仮定しないことには話が進みません。それすら、きっと大丈夫だからといって目を瞑っては、保障もうけられなくなります。また辛い時に考えないのは危機管理ができていないということだ、と思いたくなります。
そこで、デールカーネギーの著書に書いてあったように「悪い予想をすべて書き出し、それに対する対処策を書く。そして書き終わったら、悪いことが起きるまで引き出しの中に入れてしまい、封印して出さない。そして悪いことは忘れる」をすればいいのです。これをしてからは一切悪いことは考えない。そうすることで幸せに逆境を乗り越えることができるということなのです。逆境は成長を与えてくれます。
悪く取らずに、良くなった自分を想像して、リラックスして淡々と努力していきましょう。

「武士道と経営」その2

2010年11月1日

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26回目のテーマは「武士道と経営」その2
10月1日の武士道ワンポイントレッスン「武士道と経営」その1 で掲げた問題の答えです。
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経営者の4つタイプ
① バランスシートとにらめっこをしながら、節約を言い渡す人
② グループを作り、チームごとに費用対効果を競わせる人
③ 成果が上がったらその都度上乗せして手当を出して、意欲を上げようとする人
④ 社員と一緒になって働き、朝も誰よりも早く出勤し、一緒に掃除もして後ろ姿を見せる人
果たしてどの経営者が一番業績を上げることができるか考えてみてください。その理由も考えましょう。

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答えは、②です。
 一時、勝ち組負け組という言い方がかなり流行りました。それは、日本人が勝ち負けをかなり意識しているからに他なりません。ですから、1対1で競争をすることを考えるだけで意欲がなくなってしまう人がいるはずです。「競争が嫌いだから競争をしない」という人に限って競争心がとても強いのです。だからこそ、負けたくないから、負けることを考えるだけでも不安になるから、競争そのものを避けてしまうのです。だから、競争が嫌いなのではなく、競争で負けたくないのです。また、勝つまでの努力もするのが嫌だというのが本人すら気づいていない、深層での本心でしょう。人間の心理というのは不思議なものですね。
 その様なわけで、グループごとに戦わせられたら、負けても仲間がいます。一人で悔しさを味わう必要がありません。そして、勝つための努力も一人で黙々としなければならないということもなく、協力しながらできます。これがグループでなく個人であった場合は、裏切られそうだったり、出し抜かれそうだったりして、なかなか本音で話して協力することなどおいそれとできやしません。グループですと、その点リラックスしてゲーム感覚で競争ができるのですね。
 その時、成果で競い合うと「不公平だ」と何かにつけて不満が出ます。ところが費用対効果ならば、節約と命令しなくても節約したくなるのが人情です。費用対効果で戦うとは、人件費、光熱費、家賃、諸経費などすべてを時間割して金額を出し、売り上げなども時間で割って一時間あたりの売上高を出しておきます。そうすることで働いたことにより、儲けが出たのか余剰がでたのか明確になります。それによって、働き具合が明確になるのです。あまりに恵まれた環境を作るよりも、間違いなく成果が出ます。もちろん、仕掛け方も大切ですから、視点を沢山持っていないとなりませんけどね。
① は意欲をなくしてしまいます。ケチとか、うるさいと思われてしまいます。
② ―
③ では、お金を出さないと働かなくなります。またお給料をもらってもありがたいと思わなくなり当たり前になってしまいます。何か用事を言いつけると、いくらくれるの? という感覚で、楽しく仕事をする雰囲気ではなくなります。
④ は、余程社長自身が信念を持って取り組むのでなければ、社長がやってるなら、やっていてもらえばいいか・・・・と社員がなった時に、社長自身がイライラするだけです。また軌道に乗せるまでには、とても長い年月がかかりますから、それを覚悟でやれるのなら良いでしょうが、下心を持って始めるならやめた方が良いでしょう。
 仕事は楽しくすれば遊びよりも達成感を得られて面白くなります。だからこそ、ゲーム感覚で取り組める方法を見つけるのは、子供用の勉強教材だけではなく、大人の仕事の世界にも通用するということです。

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