死後の世界

2010年7月13日

武士道日記2.gif
7月13日の日記
東京のお盆です。
死んだ後の世界ってあるのかないのか?
私は有ると思っています。
あの世は有ると思うけど、私は天国と地獄に分かれているとは思わないんです。今の延長線上で肉体がないのを想像しています。
松下幸之助さんは死んでから戻ってきた人がいないから
向こうの世界の方がいいんだろうとおっしゃったとか(笑) 確かに!!
でもお墓参りなどは、自分の満足なのか、死んだ方への弔いなのか、わかりません。
地獄は自分の想念でできているように思うのです。
今のこの世での生き方によって、自分で地獄を作ってしまうような気がします。
だから、執着がなく恨みや憎しみを抱かなければ、地獄がないと思うのです。
いつも他者の幸せを考えている聖人のような生き方ができていれば・・・ですが(笑)
あの世に行って最初にすることは、私利私欲、執着、怨念などを消す作業ではないかと思うんです。
つまり、地獄と言われている世界に所属するような感情や思いを消す努力ですね。
それをしないと、本当にあの世で暮らすのが不自由のような気がします。
ここを地獄と言っているのではないかと思うのです。
だって、あの世はいわゆる「天国」だと今我々が想像しているような所だけではないかと思うのです。
だけど、成長により段階があって、同じレベルの人同士が同じところにいるように思います。
この世の様に、人殺しと生き仏のような人が隣同士に住むなんてことはないということです。
その天国もお花畑があって遊んで暮らして・・・ではなく、魂修行の場と捉えています。
魂の修行とは、他者の幸せの為に自分を生かすことに努力をする感じです。
今の世は、肉体を持って、時間の制限の中で、生老病死の苦しみと飢えの恐怖の中で暮らしています。
これは、きっと魂(心)の成長には、またとない素晴らしいチャンスなのかもしれません。
そうなら、今起きている逆境や不幸は、絶対に乗り越えられるはずですね。
頑張ろうと思えるではないですか。
これは全部私の想像です。
私は、どこの宗教団体も所属していません。
今後も所属する気はありません。
でも神様はみんなの心の中にいると信じています。
というか人間みんなが本当は八百万の神々で、私たちもその一人のような気がします。
だって、昔の神様と言われていた方々は、みんな人間だったし・・・例えば、
天満社(天満宮)は菅原道真公だし、談山神社は藤原鎌足公で、
豊国神社は豊臣秀吉公で、元は貧乏なお百姓さんで、どの方々も皇尊でもないのですから。
みんな生きている時は人を殺したり、死んだ直後には恨んでいたりしていたのに、今は人助けをしているのですもの。
私たち人間はみんな神様なのではないでしょうか。
生き方を正して、「らしく」生きて行きたいものですね。

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