「はかなさ」と「せつなさ」

2010年8月19日

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武士道ワンポイントレッスン
21回目のテーマは「はかなさ」と「せつなさ」
人間は「はかなさを知る」ことが、無駄な焦りや競争心を起こさずに済むように思います。
「はかなさ」「せつなさ」とは、どんなに努力をしてもいかんともしがたいことがある事を知ることではないでしょうか。
生老病死がまさにそれです。
他には、愛する人から愛されない、背が高くなるように願っても遺伝でどうしようもない
このように、人生にはどうしようもないことがたくさんあるということなのです。
しかし、最も適した使い方は、「辛いことが多くて一生懸命乗り越えて生きているけど、必ず死んでしまったら何もあの世にはもっていけない」
と思った時この気持ちになるはずです。
「あの人が困っているから助けてあげたいのに、その力がない」という時でしょう。
特に我が子が病気で苦しんでいるのを見ている親や祖父母は、この気持ちで一杯になるはずです。
はかなさを知るとは、いくら努力して完成させても流れの中で生きている我々には、それをとどめ置く力がない、それでも努力を続ける必要がある事を理解することだと思います。
そうすれば、先を考えたら何もしたくなくなってしまったという事はなくなるはずです。
切なさを知るとは身を切られるような思いであるのに、何もすることができない、ただ祈るしかできず、悲しみを堪えなければならない。
己のふがいなさを責めたくなるような気持ちを味わい耐えることです。
諦めの境地になる人、自暴自棄になる人、凛として堪え出来る事をして気持ちの整理をする人、様々な対応の仕方があります。
どんなに辛くても、切なくても、努力をし続けていかなければならない、そういう宿命の元に命を授かっているのが我々人間なのです。
動物はここまで考えられないはずですし、はかなさを知らずに、目の前のことにのみに気持ち動くようです。
はかなさと切なさを感じたり知ったりできるということは、人間である証であり、考える力があるからです。
はかなさを知って、開き直ってしまい「どうせ死ぬんだから、生きている間に好きな事をしておかなきゃ損だ」と考えたとします。
きっと、遊び三昧でしょう。
しかし、「一度しかない人生を、悔いを残さないように、後に残る子孫が恥ずかしい思いをしないように生きよう」と思ったとします。
きっと、世のため人のために良い事を一生懸命考えて行動に移していくことでしょう。
どちらが得か? 正直申し上げますと、死んで見なければ解らないでしょう。
でも、死後の世界があったとしたら、後者の生き方をした方が後悔しないでしょう。
また、死後の世界がなかったら、良いも悪いも解らなくなってしまうのですから、どっちも同じではないですか。
そうなら、子々孫々末裔まで誇れる人物でいた方が、生きている人の中で生き続けるイメージは良くなります。
一点のみで判断せず、多角面での判断をすることが、楽に生きる術に思います。

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