ほんとうの幸せ

2010年11月18日

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28回目のテーマは「ほんとうの幸せ」
幸せも悩みも総て意識がもたらすもの。意識とは物事のとらえ方でもあり、考え方でもある。
今日の研修で私が質問をした。
『人間は生まれたときから死へ向って歩んでいるから、言い換えれば死ぬために生まれてきたともいえます。その上、辛い事が沢山あるし、不幸だと思う事も沢山あるはずです。幸せだ、楽しいなと思う事より、辛いと思うことの方が多かったのではないでしょうか?』
すると全員が
『はい、確かに辛い事の方が多かったです』と答えた。
そこで私は
『ここで、研修をやめたら、生きて行く元気もなくなるでしょう。だから意識、物事のとらえ方を変えてみましょう』と申し上げた。
『今我々が肉体を持って生活をしている時を、修行の時ととらえます。何故修行かというと、それは何をするにも不自由だからです。私たちは、肉体を持っていることが如何に不自由か、無意識に生きていると分かりません。どこかへ移動しようとしたら、先ずお金を稼がなければならない。そうしないと、靴も買えないし乗り物にも乗れない。人間は食べなければお腹が空く。食べる物を得るためには、他の生き物の命を奪うし、先ずはお金を稼がなければならない。厄介なことに食べれば排泄したくなる。排泄する場所、トイレットペーパーなども必要となり、それにもお金を稼がなければならない。食べれば眠たくもなる。最近はホームレスが流行っているけれど、大抵の人はそれには満足できず、寝床を確保しなければならなくなる。それには大金が必要で、保証人まで必要で、真剣に稼がなければならない。これを不自由といわずになんと言いましょうか。それに、他者の考えている事が分からない。だから不安になる。意識体だったら、他者の考えは明白に分かるらしいし、移動も時間軸がないから瞬間移動が可能らしい。それに、同じレベルの人たちといつも一緒であり、考えの違う人とは一緒にいないでよいらしい。そうなると学びには不向きである。だから肉体をもってより良い意識体に成長するために肉体を持って生まれてきた。しかも200年も300年も順番を待って生まれてきた。だから、生まれる前に課題を出してきていて、それを解くことで成長できるから、必死に取り組む方が良さそうだ。こう想像したら、今の辛さに対してどう思いますか?』
そうしたら、参加者全員が『もっと一生懸命生きる』という答えが出てきた。
つまり、考え方によって幸にも不幸にもなるわけで、物や地位があるから幸せということにはならない。本当の幸せは、今を一生懸命生きて、毎日の生活の中から、嬉しい事、ありがたいと思うことを見つけることなのだ。つまり、感謝をするということ。どんな小さなことにも感謝をし続ける事が、いつもいつも幸せでいられる。総てが積み重ねである事を忘れてはならないのである。
武士道ではよく「武士は食わねど高楊枝」と言う。
これでもわかるように、昔から生きるには我慢がつきものなのだ。だからこそ、考え方、とらえ方次第なのである。時という流れの中で生きて、死なない人はいない定めの今の世の中。ということは、物や地位に幸せを求めるほど、浅はかで儚いものはないといえるのではないだろうか。もう一度、家族のあり方を見直して、仕事の取り組み方を考え直してみてはいかがだろうか。きっと幸せを手に入れていたことに気づくはずだ。 
武士道はそれを教える事も役目であると私は信じている。人生を問いても、一人一人違い、人生をどの様に考えるかによって、それぞれの答えが違い、決まっているものではない。よって、幸せは他者に与えてもらうものではなく、自分で感じ取るものだと気づいた人が幸せなのである。

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