私の武士道論

2010年11月27日

戦争と平和が一心同体と思っていらっしゃるようですが、私の考えをお聞きになりたいとの事ですのでここに書かせて頂きます。
投稿者の方だけでなく、多くの方がいつもこのように戦争と平和は一心同体と思っていらっしゃるのでしょうか?平和は誰もが望んでいるものではないのでしょうか?そして、武士道は右翼でも左翼でもありません。左翼とか右翼とか、そういう区別をするような考えを私はしていないと言った方が正しいと思います。
中道、中庸が一番良いと思っております。
平和は中廉の状態であり、中道を行くものだと思っています。努力をしなければ保てないものが平和や安穏だと思います。人間一人一人が、自分の事だけでなく周囲とのバランスを考えて暮らさないと、平和を維持できないように思います。天地平和、人類和楽、真道即生、祖国安穏、天命完遂、そして、全てに感謝をすること。これを毎日肝に銘じて生活をしております。
戦争をするから平和が訪れるのではなく、平和を保つ努力がなされないから戦争になるのです。一心同体ではなく、戦争は欲と我の強さとがもたらした不幸としか言いようがありません。戦争と一心同体なのは不幸ではないでしょうか。戦争をしないで済むために、つまり、喧嘩をしないで済むような生き方を示していきたいのが武士道協会なのです。
攻めてこられたら攻め返さなければならない。攻められない様に軍備を整えなければならない。こういうことは、武士道協会が考えることでも努力することでもないと思っています。国が考えることで、今は民主党の方々に特に一生懸命考えてもらいたいことだと思っております。武士道協会では、人の心の在り方に焦点を当てております。
武士道は戦争に使うものではありません。精神的に辛い時に、道を外さずに、人間らしく生きるための、心の支えのようなものです。新渡戸武士道だけが武士道ではなく、新渡戸武士道は新渡戸稲造氏の考えをまとめたもので、それだけを武士道と言いきれるものではないと思っております。武士道は日本に口伝で伝えられてきたから、それまでに武士道という定義書などありませんでした。それぞれ家庭内や藩内での教育です。
だから、大まかなところは同じでも、細かいところを言い出したら家柄などによって違ってきて当然です。その時代、その環境により、違いが出てきて当然です。武士道を型にはめて、法律の様にマニュアル化することは意味のないことと思っています。
第5代会津若松藩主の書いた「武士道の教科書」(PHP研究所刊・松平容宣著)を読んでみてください。会津若松の什の掟を読んでも分かることです。親孝行の事がとても多く出ています。また兄弟での譲り合いのこと、勤勉なことなどが書かれてあって、戦いに強いことが書かれているわけではありません。葉隠も同じで、心の持ち方が書かれています。
新渡戸稲造氏も山本定朝氏も高い身分の武士ではなく、松平容宣氏は藩主で徳川家の血縁ですから立場は違うと思います。でも、書いてあることは心の持ちよう、生き方を書いてあるところは同じだと思います。
私は日本が大好きです。だから世界の他の国も同じくらい大切にしたいと思っています。君が代も、日の丸も大好きで、自慢したいものです。どこの国よりも素敵な旗だし歌だと思っています。君が代を和歌としてとらえたとき、歌うと涙が出るほど感動もします。
でも、旗に敬礼したり、講演の前に掲げたり唱和したりするのは、不届き者かもしれませんが、まだ違和感を感じてしまいます。つまり、得意ではなく苦手意識が先立ってしまいます。でも、とても平和を望み、地球全体で平和になるために何かをしたいと思っています。そして、個性を大切に、且つ、地球上で生きる人間同士、仲よく暮らしたいと思っています。これが私の正直な気持ちです。
だからこそ右翼でも左翼でもありません。冒頭でも書きましたが、左翼とか右翼とか、そういう区別をしておりません。常にバランスをとって、和を保ち、心を穏やかに、暮らしていきたいと思っています。でも、それは私にとって喧嘩をするよりも難しいことなんです。極端かた極端に走ってしまった方が、私には楽です。喧嘩をするのは、自分の意見が正しいからこれを押し通したいと思った時か、自分の方が得をしたいと思った時、自分の言い分を周囲に理解させたいと思った時ではないでしょうか。その対象者は、自分に対して反対意見を唱える者か、自分に対して不利益をもたらすものではないでしょうか。
だから、思いっきり喧嘩をしてしまった方が、その場はすっきりするし、正しいことをした気持ちになりました。でも、しばらくたつと、喧嘩は本当に空しいものだと感じるんです。喧嘩までしなくても、揉めて不快な気分を表現して相手に伝えてしまった後も同じで、たとえ自分の言い分が通っても後味の悪いものでした。
それでも争い事や不快さが絶えないのは、日常生活では日常茶飯事です。日常生活の些細な喧嘩が大きくなったものが、殴り合いの喧嘩で、それがもっと大きくなったのが国と国で争う戦争だと思っています。だから、武士道を学ぶことで、喧嘩をしないで済む方法、器を大きくする方法、人の命、生きとし生けるものの命の尊さを考えることをしていきたいと思ったのです。一番端末の草の根運動のところです。だからこそ、山谷えり子先生に副理事長になっていただき、学校教育に武士道(道徳)を入れて頂く様にお願いしております。
幸せを考えたとき、どうやったら気持ちを落ち着かせ、幸せをえられるのだろうか? と考えました。それには他者の立場を理解する(認めることではありません)ことで、自分の心の中に起きる怒りの気持ちを抑えて冷静さを取り戻すことだと思いました。そうすることで、対策を立てやすくなることも確かですから、危機管理もしやすくなります。危機管理は今の日本においても必要だと思いますし、足りない最たるものだとも思っています。
ただ、か弱い子供やお年寄りも、安心して暮らせる国にするために、私ができることは軍備だとか戦争だとかと言うことを考えるのではなく、まずは心が広く、穏やかで、自分も他者も同じように大切にする心を育てるところに焦点を当てたいと思ったのです。常に誰かと或いはどこかの国と戦々恐々とした状態にいることは幸せとは言えません。だから武士道を学ぶことで、礼儀を学び、信念を持ち、心から信頼される人になるための生き方を学ぶ機会を提供する組織が欲しいと思ったのです。
武士道は武士の再現でもなく、戦争の再現でもありません。武士道は人間が、人間らしく幸せに生きるための心の支えです。闘争心を支える物ではなく、戦争を起こさなくて済むように、譲り合いの精神(江戸しぐさともいえましょう)を育む教育ともいえると思っています。
それが武士の時代には、いつも命が危険にさらされていることから、その心構えもあったでしょう。戦争中は、それを悪利用されたこともあるでしょう。それなら、今、日本人の心として武士道を考えたとき、今の時代に即した幸せを感じるための心の支えとしていくことが、望ましいと武士道協会では判断しているのです。
私は国を動かすほどの人間ではありません。たいしたことも出来ないまま、普通に今まで生きてきました。ただ、色々辛いことも経験しました。だからこそ、少しでも今悩みを抱えている人達が、自殺をせずに生きる希望を持って下さったらいいなと思って、このブログも開きました。
私の考えが間違っていると思う方々にはどう伝えたら良いのか?と考えたとき、その場合はその方々がこのブログを読まなければいいわけだと思いました。報道の自由があるように、誰もが何を考えても良くそれが多数決で決まるのが民主主義だから、思ったことを書いて良いと思ったのです。
ブログを読んで少しは悩みの解決になるという人がいたら嬉しいと思っています。だから強制をすることは良くないですが、自分の意見を言うことは良いと思って、表現しています。だからこそ、私は他の考え方をしている人に、それは間違えていると言うつもりもありません。それぞれの考えがあるのが、個性であり、生き方なのですから。
そして、民主主義は多数決できまるのだから、マイノリティの立場の時は、粛々と自分の信念に照らし合わせながら、他者の幸福の邪魔をしない様に生きていきたいと思っております。ただ私が生きてきた今までの中で味わった悲しみや辛さは、もう起きないでほしいと思っていることも確かです。たいしたことではありませんが、些細な不幸でも当事者には辛いものです。これだけ自殺やネグレストによる殺人が増えている昨今、少しでもお役に立てればと思って活動しております。
武士道とは、惻隠の情、大和心だと塩川正十郎先生に初めてお会いした時に教えて頂きました。惻隠とはかわいそうともう心だと辞書には出ています。大和心は大きな和をもつ心と書きますように、和=コミュニケーション、融和、調和、平和と色々表現できます。つまり、仁義礼智信と漢字で表現するように、心の在り方の指針となるものではないでしょうか。
このような返事ではまだ説明不足でしょうか。誰とでも仲良くしたいといっているのではなく、信念を持って生き、それが世の中の役に立つことで有りたいと願っているのです。悪党はすぐに徒党を組むけれど、良いことをしている人たちは、それぞれでなかなか徒党を組まないと言われます。
きっと私のブログを読んでくださっている方たちは、純粋な素晴らしい方々だと思っています。だからこそ、ほんの少し表現が違うだけで、違和感を感じさせてしまうのかもしれません。心を割って話し合ったら、祖国日本を大切に思う気持ちが、少しも変りがないことが理解し合えるような気がします。
このような提議を頂けたことで、私も新ためて武士道について考える機会を頂きました。ありがとうございます。日本を末永く誇れる国として子子孫孫に残していきたいですね。
よろしければ、明日28日の武士道協会の観劇とトークにいらっしゃいませんか?武士道協会のことがよりお分かり頂けると思います。

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