日記

舞台『帰ってきた蛍』

2010年7月19日

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7月19日の日記
「帰ってきた蛍」の舞台を見てきました。
元空将の佐藤守さんがいらしてました。
武士道学校の講師です。
幕が開き、始めは昭和30年にお参りする家族の映像が写りました。
もう10年も経ってしまったという台詞が流れてから、もうなぜか涙がポロポロ・・・
2時間泣きっぱなしで、目が腫れてしまいました。
だれも笑って突撃していった人はいないけど、みんな大切な人を守るために突撃を志願していました。
靖国神社に祭られて神様になるんだと。
今、総理大臣すら8月31日に靖国参拝を拒む現状を知ったら、どう思うでしょう。
誰のお陰で今の平和があるのか? 本当に考えさせられました。
素晴らしい舞台で、涙なくてはとても見ることはできない作品でした。
史実に基づいているので、違和感がまったくありませんでした。
学校の道徳の時間にこのような舞台のDVDを見せれば、子供たちも感謝する気持ちが生まれると思います。
感謝の気持ちがある人は安易な自殺を選ばないと思います。
今でも書きながら涙がジワーッ・・・・
ありがとうと心から伝えたい舞台でした。
白石さん、また来年も企画してください。
でも、経費面でできるかどうかわからないとおっしゃっていました。
寄付のできる企業が後押ししてくださればいいのですが・・・
何しろ貴重な舞台でした。

東京での人間力向上セミナーは『死刑』

2010年7月18日

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7月18日の日記
東京で人間力向上セミナーを開催しました。
今回は死刑について話し合いました。
死刑を廃止だとか継続だとかの話し合いではありません。
「命」について考えるために死刑を演題として取り上げました。
イタリア人のマヌさん、武士道協会の西大條理事も参加して、素晴らしい発表がありました。
佐藤世事さん発表のチームはホワイトボードを使い鎌田敏さんの達筆過ぎる文字で熱心に書かれていました。
死刑ではなく、遠島や終身刑などいろいろな意見も出ました。
命を考えて自分の意見を言う場が有って良かったといっていただけたことに、とても嬉しく感じました。
事前に演題を知らせて欲しいという意見もでましたが、私は意識的に演題はぎりぎりに設定してぶっつけ本番を計画しています。
理由は想像力、思考力、自力、あるがまま、この辺りを大切にしたいのです。
事前に準備すれば確かに立派で完璧なものができるでしょう。
でも立派なものよりも、荒削りでもその場を楽しめる力をつけた方が良いと私は思っています。
完璧を求めた結果、ある日プツン・・・となってしまう人が増えたのではないか・・・、そして今、わが国は良い国になっているでしょうか?
自分の持っている力を出し切って、今を全力で生きるという事を身につけていきたいのです。
武士道協会だからこそ、それを身につけたいのです。
「将来必ずよくなる」という考えよりも「今が最高」とどのような環境であっても思える生き方が「幸せ」なのだそうです。
いつも事前に知らされていないと安心できない。
いつも周囲の情報を知らされていないと安心できない。
という状態では、想像力、創造力、臨機応変、即戦力 などの力が不足しているときではないでしょうか。
せっかくの人間力向上のためのセミナーなのだから、足りない自分を発見して「まだ学べる」と感動するくらい進歩的に生きていきたいと思っています。
とっても幸せを感じる生き方ですから、ぜひ、皆さんも試してください。
事前に知らせた方が良いことは、事前にお知らせするようにして参ります。
でも、人間力向上セミナーは、人間力を高めるためのものですから、出来ない事を出来るようにしていくことを目的としています。
だから、今までと違うやり方でやらせて頂きたく、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
こだわらない(執着しない)、全肯定、今を楽しめる、今の幸せを見つけ感謝できる、それが「人間力」であると思います。

死後の世界

2010年7月13日

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7月13日の日記
東京のお盆です。
死んだ後の世界ってあるのかないのか?
私は有ると思っています。
あの世は有ると思うけど、私は天国と地獄に分かれているとは思わないんです。今の延長線上で肉体がないのを想像しています。
松下幸之助さんは死んでから戻ってきた人がいないから
向こうの世界の方がいいんだろうとおっしゃったとか(笑) 確かに!!
でもお墓参りなどは、自分の満足なのか、死んだ方への弔いなのか、わかりません。
地獄は自分の想念でできているように思うのです。
今のこの世での生き方によって、自分で地獄を作ってしまうような気がします。
だから、執着がなく恨みや憎しみを抱かなければ、地獄がないと思うのです。
いつも他者の幸せを考えている聖人のような生き方ができていれば・・・ですが(笑)
あの世に行って最初にすることは、私利私欲、執着、怨念などを消す作業ではないかと思うんです。
つまり、地獄と言われている世界に所属するような感情や思いを消す努力ですね。
それをしないと、本当にあの世で暮らすのが不自由のような気がします。
ここを地獄と言っているのではないかと思うのです。
だって、あの世はいわゆる「天国」だと今我々が想像しているような所だけではないかと思うのです。
だけど、成長により段階があって、同じレベルの人同士が同じところにいるように思います。
この世の様に、人殺しと生き仏のような人が隣同士に住むなんてことはないということです。
その天国もお花畑があって遊んで暮らして・・・ではなく、魂修行の場と捉えています。
魂の修行とは、他者の幸せの為に自分を生かすことに努力をする感じです。
今の世は、肉体を持って、時間の制限の中で、生老病死の苦しみと飢えの恐怖の中で暮らしています。
これは、きっと魂(心)の成長には、またとない素晴らしいチャンスなのかもしれません。
そうなら、今起きている逆境や不幸は、絶対に乗り越えられるはずですね。
頑張ろうと思えるではないですか。
これは全部私の想像です。
私は、どこの宗教団体も所属していません。
今後も所属する気はありません。
でも神様はみんなの心の中にいると信じています。
というか人間みんなが本当は八百万の神々で、私たちもその一人のような気がします。
だって、昔の神様と言われていた方々は、みんな人間だったし・・・例えば、
天満社(天満宮)は菅原道真公だし、談山神社は藤原鎌足公で、
豊国神社は豊臣秀吉公で、元は貧乏なお百姓さんで、どの方々も皇尊でもないのですから。
みんな生きている時は人を殺したり、死んだ直後には恨んでいたりしていたのに、今は人助けをしているのですもの。
私たち人間はみんな神様なのではないでしょうか。
生き方を正して、「らしく」生きて行きたいものですね。

江口先生が当選!

2010年7月12日

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7月12日の日記
武士道協会を設立する時に、大変お力添えを戴いた方が井筒八橋の津田会長と、昨日参議院議員に出馬していた江口克彦前PHP総合研究所社長です。
その江口先生が当選しました。おめでとうございます。
ご本人から「これからは日本のため、国民の皆様の為に一生懸命努力します」というメールを戴きました。
同じみんなの党から、先日会津若松の会津エンジンで講演したときに紹介された小熊慎司さんも当選なさいました。
たまたま、お二人ともみんなの党から出馬なさってました。
どこの党に所属なさっていても、本当に今の子供たちが「日本は地球で一番素晴らしい国です」と誇りと自信を持って言えるような国にするために、リードして行って頂きたいと心から願っています。
宜しくお願いいたします。

参議院選挙

2010年7月11日

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7月11日の日記
選挙でした。
私は期日前投票をしてきてありました。
投票をしに行って、とても感じの悪い選挙管理委員会の女性がいたんです。
まるで牢獄の中で悪さをしないかチェックしているようで、言い方もきつくて選挙に悪いイメージが・・・。
たとえ不正がないかチェックをしているとしても、笑顔で接することはできるとおもうのですが無理なのでしょうかね・・・・
悪いことをするのではないか?という気持ちでチェックしている人は、人相が悪くなってしまうということ?
ということは普段でも、人のことは疑ったり、悪く思ったりしていると、人相が悪くなり言い方もきつくなってしまうのかもしれません。
人の振り見て我が振り直せ!!ですね。気をつけないと。
これからは、誰かを疑ってかかるのではなく、何でもよく解釈するようにしないと!!
嫌な思いはしたけれど、勉強になりました。
何でも学びなんですね・・・

『類は友を呼ぶ』

2010年7月10日

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7月10日の日記
私は日記を書くのが下手だとわかりました。
ブログを振り返ってみて、日記が書けていません。
なぜかワンポイントレッスンや相談の返事の方が熱心です。
きっとその方が間違いなく好きなんです。
なにかボソボソと自分の一日を書いているより、
そこに人がいて、その人との交流の中に自分をおいておく方が楽しいんですね。
だから、パソコンは本当に苦手で、ツィッターがいまだ理解できていません。
きっといつかハーモニーさんのような親切な人が現れれば始められると思います。
このブログもハーモニーさんがいなかったら存在も継続もありませんでした。
これからは少しでも日記を書こうと思いました。
今、この生活の中から幸せを見つけられる人が幸せになれます。
今、不幸を嘆いていると、もっと不幸になってしまいます。
つまり『類は友を呼ぶ』です。
運の悪い人とは付き合ってはいけないとよく言われます。
運の良い人と付き合わないと、ツキが逃げてしまうそうです。
運の良い人とは、何でもよく捉えることができる人だそうです。
それがツキを呼ぶのだそうです。
ああ、私は幸せです。
ハーモニーさんありがとう。
塩川正十郎先生ありがとうございます。
そして、私の相棒でもあり、なくてはならない人財は西尾さんです。
いなくなったら本当に困ります。
そして、会員の皆様。
理事の先生方。
特に発会に沢山のお力添えを頂いた井筒八橋の津田会長は恩人です。
特賛委員の皆様
高垣関西特賛委員会会長には、先日10万円のご寄付を戴きました。
このご時世に本当に有りがたく感謝しております。
このような支えがあるから武士道協会が成り立っています。
本当に大切な人ばかりがこの世の中にいます。
ああ、あの世には母もいますから、この世の中だけではないみたいです。
全宇宙と言った方がいいですね。
みんな同じだけ大切です。
挙げれば切がないです。
感謝しています。

「迷い」

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武士道ワンポイントレッスン
18回目のテーマは「迷い」
迷う時はどのようなときでしょう。
私のところには、よく相談がきます。
その時、どうしようか迷っていますという質問や相談もかなり多くあります。
よくよく考えてみると、損得勘定で選択しようとしている時に迷うように感じます。
損か得か?
これは一か八かの勝負になってしまいます。
まさに丁か半か!!
損得で考えているから、足許を見られてかえって損をしたり、自分の欲を満たしたいが故に、詐欺に遭ってしまったりするんです。
だから、損得勘定で判断しなければ、意外と詐欺にも遭わないかもしれませんね。
それではここで、私が以前迷った時の苦い話をしましょう。
今から何年か前に、ある女性参議院議員の秘書の一団から、バーチャルでの土地の売買をしないかと声がかかりました。
その時はかなり有名になった方だったので、とても信憑性があり、直ぐにでもやりたいと思いました。
だから申込書まで書いてしまいました。
私はよい話は直ぐに知り合いに教えたくなる方なので、数人の男性に声をかけました。
すると一人の方から「これはインチキだ。絶対に将来何億円単位の訴訟問題になる。あなたは武士道を志しているのではないのですか?」と厳しい言葉を戴きました。
私は「武士道を一番伝えたい所に伝えるチャンスだからですよ」と心で思っていました。
私は、バーチャルの世界で土地と店を買い、そこで“寺小屋武士道”をやろうと思ったのです。
欝や引きこもりの人に、武士道を伝える事で、辛い毎日から脱却してもらえるのではないか?と期待をしたのです。
欝や引きこもりになってしまうと、家からどころか部屋からすら出ないから、外で講習会をしても無理だと思ったのです。
だから、もってこいの話しだと思いました。
丁度その頃、外国産のバーチャル版に大手企業が続々と出展するという時期でした。
厳しい言葉を戴いても、まだ超有名になった女性参議院議員さんも申込書をかいていたのに・・・と信じられず迷っていました。
その時偶然バーチャルの話を普通の主婦の方がしているのが耳に入りました。
「このバーチャルの土地をかうのって、ねずみ講と一緒でしょ? 楽してお金が入るって奴ね」
この最後の一言に私はのけ反ってしまいました。
私が一番やりたくない事、私の信念に反する事と思っていたことではないですか!!
武士道を目指す人は、鍵山秀三郎先生のように汗を流して、自ら身体を使って働き、大きな努力で小さな成果を望む。
これが私の生きる目標と決めていたからです。
一気に目が覚めたというか、いけない!!いけない!! これでは何の為に寺子屋武士道を開こうとしているのか分かったものではない。
そこで、厳しいお言葉を戴いたことを正直に伝えて、お断りさせて頂いたという経験がありました。
それがここ最近、訴訟問題となりマスコミを賑わせていました。
あの時、自分の希望(欲)だけで決めず、信念に照らし合わせて決断をして良かったと改めて思った次第でした。
この様に、武士道を広めたいという、一見社会貢献ではあるのですが、その裏には私の欲が隠されていました。
早く広めたい、これで結果が出れば広まれば武士道を毛嫌いしている人たちも認めてくれるだろう。
こういう思いがありました。
純粋に人を助けたい、という思いだけではなく、自分の進む道が早く開けるようにという願いが大きくありました。
これは正に欲以外の何ものでもありません。
あえて私の恥ずかしい経験を掲載したのは、相談に乗る側の私だって、ダメな人間の経験も沢山している事を分かってもらった方が良いと思ったからです。
この日から、私は判断を迫られた時は、欲が有るか無いか? そこを先ずチェックします。
それから、欲(損得勘定)がない状態になってから、まず恩を仇で返すようなことはないだろうか? と考えます。
そして、話を持ってきた人の損得も考えます。
また、これは自分にとって好きなことで夢中になれることだろうか? と考えます。
最後に、これをする事でどのような社会貢献ができるのだろうか? 誰かを喜ばすことはできるのだろうか? と考えます。
これだけの判断材料を集めてから、判断を下すようにしています。
だから、最近は決断をした後で後悔するようなことが少なくなってきました。
迷いは損得勘定だxからです。
損得勘定はお金だけでなく、名誉、評判、手柄、なども入ります。
良く思われたいが故に『NO』が言えなくて苦しい思いをした、なんていうのも正に損得勘定で判断していると思いませんか?

◎質問◎左翼的とは?

2010年7月9日

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相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第6回
【質問】
小学校PTA人権啓発委員企画の、人権啓発映画「袴田事件」を見てきました。
冤罪の映画で、正直、主婦が昼間見るには重すぎて後味はあまりよくありませんでした。
よく「人権啓発」は左翼的だと言いますが、こうして映画を見る活動も左翼的なのですか?
何が「左」なんだろう?と映画を見ている間ずっと考えていました。
神社や玉音放送、昭和天皇崩御の映像が織り交ぜられているのがいけないんだろうか?
死刑反対運動に繋がるのがいけないんだろうか?そもそも死刑反対は左翼的??
色々頭に浮かびましたが、よくわかりませんでした。
なにかご意見があったらお願いします。

【解答】
人権とは、字を見ただけで「人の権利」と直訳でき、もう少し意訳すると「人として生きる上での権利」と解釈できます。
私は「人権」を学ぶより「道徳」を学ぶ方が役に立つと思っています。
権利を主張するからには、責任が伴います。
しかし、今は責任転嫁や責任放棄が多く目に付く様になりました。
そして、直ぐに告訴すると言います。
以前私がまだ会社勤めをしていた時、チラシに飴玉をつけて配布したことがあります。
そこへ子供を自転車に乗せた若い父親が来ました。
細い道の小さな信号の所で止まっていたので、私が子供に「どうぞ」といって飴玉つきチラシをあげようとしたら
「何だ!危ないじゃないか!てめえ訴えるぞ」と言ったのです。
決して危険な目に遭わせてはいませんでした。
当時は今よりもっと人間ができていませんでしたから
「何を訴えるのですか? 告訴するならしてください」と言い返したかったです。
この程度の事で訴えるということが、自助努力もなにもする気のない人というイメージがあり、虚しい思いに駆られました。
西洋や近隣アジアの人の視点は常に外(他者)に向いていて、日本人の視点は常に内(自分の内面)に向いているように思います。
つまり、外に目が向いている人は、何かがあった時に他者の悪い所を指摘し、告訴する事で決着をつけることが多いようです。
だから弁護士の数も多いし、告訴の数も半端ではありません。
しかし、元来日本人は、先ず自分の悪いところを反省して、自分を変えることで問題を解決しようとするようです。
だから、告訴などあまり身近な事ではなかったし、少し前までは裁判で争っている事自体恥ずかしい事だというイメージがありました。
つまり、自分の権利の主張よりも、他者に不快感を与えない事を大切にしている国民だったからです。
左か右かというよりも、「人権」について改めて学ぶ必要があるのか? と私は思います。
いかなる人の事も「差別」はしてはならないことです。
日本人が近隣アジアの人を差別していると言いますが、地球上で差別は日常茶飯事ではありませんか?
ヨーロッパのアングロサクソン系の方々はアフリカ、アメリカ、アジア、を差別していたようですし、今も残っていると聞きます。
でも、その中で日本をこよなく愛してくださっている方々だって沢山いるのもまた事実です。
私も20代前半でアメリカにホームステイしていた時、差別されたという経験はありませんでした。
とても親切にしていただきました。
また武士道で著名な新渡戸稲造、世界的に有名な野口英世、各先生方の奥方様は白人です。
どちらの奥方様も肌の色の差別も、身体に不具合があることの差別もなさらず、夫に誠心誠意尽くし協力なさったようです。
このように考えたら、高らかに人権を騒ぎ立てるよりも、感謝をする心を育て、自信と誇りを持たせ、謙虚さを身につけさせた方が差別がなくなると思いませんか?
人権は「差別をしてはいけません」ということを教えるためですか?
それとも、差別されている人たちが、いじめられない様に強くなる方法を教えているのでしょうか?
差別をされる人に、自分を卑下している所があったなら、決して差別はなくなりません。
差別とイジメは全く同じ類のものです。
また、差別する人は、自分の立場が弱くなれば、差別をしていた人と仲良くしようとしますから、差別はしなくなります。
だから、差別される人が自信をもって強くなり、団結して差別を許さない体制を整えることの方が良いと思います。
人間は、限度をわきまえて、怒らなければならないときには怒る、折れなければいけない時は折れる、この調整能力があれば意外と被害に遭っても乗り越えられるものです。
人を動かして変化を起こすよりも、自分が変わることで難を逃れる道を選ぶ方が早いと思います。
今の日本であるならば、人権をわざわざ学ぶ必要があるのか?
考えてもよいと思います。
差別は絶対にいけないことであり、苛めも絶対にしてはならないことです。
人権があると教えるより、惻隠の情を教えた方が自発的に差別やイジメをしなくなるように思います。
そして、私は死刑というか、人の命を奪う行為は反対です。
でも左翼ではありませんし右翼でもありません。
死刑反対論者でもありません。
ただ、人の命は何人たりとも奪う権利はないという信念のもとに生きています。
私は、誰かを殺した人は絶対に恩赦がない終身刑にして、一生涯労働刑にした方がいいと思っています。
こういうところにお坊さんが行って説法をしてくるのが一番仏教の役割を突いているように思います。
一番の救いです。
この刑務所は病気になっても医者はいないし薬もないのです。
だけど、薬草は刑務所内にいっぱい植えてあります。
出来上がった食事など与えてもらえず、畑と田んぼが割り当てられていて、農作業は自由にできます。
自給自足で物々交換はOKです。
しかし、ここには電気の張り巡らされた塀の外にしか看守がいないから、殺人犯同士が何をしでかすか分かりません。
自分も殺人鬼なら、周囲も殺人鬼。
落ち着いて生活できるでしょうか?
死んだ方が楽だと思う囚人もでてくるのではないですか?
もちろん中の様子は隠しカメラなどで総て監視されています。
警察官が中へ入る時は、戦車で武装していきます。
これは恐怖のエリアになりますから、あそこに入るのは嫌だから殺人はやめようと思いたくもなるでしょう。
こんなことを考えていたら、右も左も関係なくなります。
だいたい自分の国を愛して、自分の国を誇りに思い、天皇陛下を敬うと右翼ですか?
じゃあ、左翼っていうのはその反対なのだろうから、自分の国を馬鹿にして、自分の権利ばかり主張して天皇陛下を馬鹿にしている人ということなのでしょうか?
同じ日本人としてあまりにもおかしな話ではないですか。
右だの左だの、総て人間がつけたものであって、そんなのに左右されている人がいるから蔓延すると私は思います。
それよりも、双方が協力して冤罪も死刑も起きない社会にするように努力すれば良いと思います。
それには犯罪をなくす方法を考えるのが一番手っ取り早いです。
犯罪をなくすためには、道徳心や公徳心を育て、修身教育を充実させるのが一番効果がでます。
つまり、左翼が訴えている事(冤罪、死刑、人権問題)を一掃させて無くすには、右翼が訴えている事(徳育教育を施す、愛国心を育てる、天皇陛下を敬う)をすれば望いが叶うということじゃないですか。考えれば考えるほど分からなくなることは、考えないのが一番。
それよりも左翼と右翼が協力し合えばいいと思いませんか?
右手と左手があるから便利だし、右足と左足があるから上手く歩けるのです。
右足と左足で、どっちが良いのか? どっちが大切か? などと言い合いをしていたって滑稽でしょう。
お互いに相手に感謝をすれば、上手く歩けますよ。
右だの左だのと考えているよりも、日本を母国とする子供にとって将来どうあったら良いのか?
何が必要なのか? という視点で考えた方が、惑わされないと思いますが、いかがでしょうか?

信念と凝固

2010年7月8日

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武士道ワンポイントレッスン
17回目のテーマは「信念と凝固」
真面目で正義感の強い人が勘違いをしやすいことが以下のことです。
信念を持つ” VS “自分の考えに凝り固る
この違いは大きいのですが、意外と勘違いしやすく、混同してしまうことが往々にしてあります。
信念は自分の生きて行く上での判断基準であり、生き方そのものといえるでしょう。
自分の考えに凝り固まっているのは、世の中をを画一化しようとしているのと同じです。
しかし、自分の信念を貫く気持ちが強過ぎてしまい、他者にまでそれを強制しているのに気がついていない人がいます。

それは、自分の考えを押し付けているという事に気づかなければ、物事がスムーズに進まなくなってしまいます。
ここで、自分は違うと即座に思った人は一番危ないです(笑)
武士道を志している場合、老若男女問わずこの勘違いをしてしまう真面目で正義感の強い方によくお目にかかります。
この場合、話し合いができなくなってしまう、話がまとまらなくなってしまうという結果が起きます。
真面目で正義感が強いということは、言い方を換えると「柔軟性が足りなく、融通がきかない堅物」ともいえます。
と申しますのは、行為行動の総ての事に、『+』の面と『-』 の面の両方があって、つまみの調節次第で決まります。
活発でいつも動きまわっている子が、常時同じ行為行動をしていたとします。
すると、体育の時間は『+』に出て『元気で頑張っている』という好評価になりますが、国語の授業では『-』に出てしまい『落ち着きがなく、おしゃべりが多い』と悪評価になってしまうようなものです。
だから、時と場合によって言い方や対応を変えないと、信念を貫いているつもりが、他者に自分の考えを押し付けている状態になってしまうということです。
人間が集まると、その人の数だけ考え方も生き方も違います。
たとえ親子であっても全く違うものです。
ましてや時代が違えば受け取り方が違って当たり前です。
今の様に、時代の変化が著しく、携帯電話もパソコンもゲームなどがふんだんに出回って自然がなくなってしまった現在では、祖父母と孫では全く違う環境で人間形成をしてきました。
これでは考え方もマナーも生き方も変わってきて当然です。
それなのに、それぞれが自分の育った環境で身についた考え方を、信念だと思い込んで意見が違った時に譲らないとなったら、周囲は混乱してしまうでしょう。
また、時代が変化してきたから、昔の話は合わないと言い切ってしまうことも、あってはならないことです。
昔の良い所を残し、そこに新しい良い事を取り入れながら改善していくのが人間だからです。
停滞も切り捨ても総て限度があるのです。
信念とは自分の生き方です。
だから、他者と違っていて当たり前で、お互いに尊重し合えれば上手くいくようになっています。
その調整能力を身につけるのも、人生における成長のための大切な学びです

相手も相手なりに信念を貫く自由があり、自分も自分の信念を貫く自由があります。
信念を貫く事と、自分の考えに凝り固まってしまう事の区別をつけるよう、柔軟性と素直さをもって接していきましょう。
きっと、真面目で正義感がある人はそこをより評価されて、信用と信頼の度合いが増していくことでしょう。
また、人に合わせてばかりいる人は、ここらで信念を持ってみましょう。
きっと人生が楽しく感じます。

今日は七夕祭り

2010年7月7日

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7月7日の日記
七夕祭りの日はほとんど雨が多いですね。
晴れた日って記憶に一日くらいしかないのですが・・・
きっと彦星と織姫も一年にたった一度の逢瀬だから、誰にも見られずプライバシーの保護からも、見えなくしちゃったのでしょうか?
そうだったら許せる気がしますね。
今日は宇宙の星の話(天の川・琴座・鷲坐)だから、土居宇宙飛行士と一緒に撮った写真を公開しちゃいます。
DSCF2200土井飛行士、小野先生2.JPG一緒にうつっているのは、小野晋也元衆議院議員と西尾武士道協会理事です。
ツーショットはとてもとても・・・土井さんが小野先生と東大時代の同級生だったことから、偶然訪問した私たちにもラッキーショットのチャンスが回ってきました。
さて、七夕祭りは、中国から伝わってきた星祭りの行事と日本の井戸替の行事がが結びついたみたいです。
中国の星祭りは織姫と牛飼いが年に一度だけ会えるという伝説です。
琴座のベガと鷲座のアルタイルは仕事も手につかないほどの恋に陥ったことから、帝を怒らせてしまい会えないようにされてしまいました。
でも一年にたった一度だけ天の川を渡り(カササギに乗ってという言い伝えも有る)、逢うことを許していただきました。
二人の逢瀬をお祝いして、また機織(はたおり)の技術が上達することを願ったのがお祭りとなって、乞巧奠(きこうでん)と呼ばれていました。
七夕とは、日本の棚機(たなばた)と中国の織女(織姫)の話が混合しているとも言われています。
江戸時代になって、幕府が五節句(奇数のぞろ目の日)の一つとして、年中行事にしたことから庶民に広がった。
以前は七夕祭りの日(8月6日)朝に、丁度暑くなり細菌も増える時期だからなのか、行われました。
井戸替えとは、1年間使わせて頂いた井戸に感謝の気持ちを込めて井戸職人が井戸の中に入り大掃除をするのです。
井戸の中の水を汲みだして、石を積み上げてできている井戸の中をたわしでこすりながら下へ降りていきます。
水垢などもしっかり落としま、井戸の底に溜まった泥も取り去ります。
井戸が綺麗になったら井戸の四隅に、字の上達も願って短冊に「天の川」などと書いて笹につるして立てます。
そこに注連縄を張り、4隅に盛塩をしてお清めをします。
龍神様(水神様)に今までの一年間、水を与えてくださった事に感謝をしてお礼を申し上げます。
またこれからの一年間恵みの水を与えて頂ける様にお願いをするのです。
現代は井戸がなくなってしまいましたから、七夕祭りといえば笹に願い事を書いた短冊を下げて飾ります。
天の川を渡って、彦星と織姫が一年に一度だけ逢瀬を楽しむ日ということしか知らない人が多くなりました。
だから、恋愛成就を短冊に書く人が増えましたが、日本では字の上達をお願いして短冊を書くのが始まりでした。
昔は全国的に七夕の井戸替えは行われていました。

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