武士道ワンポイントレッスン
16回目のテーマは「勝者と敗者」
ウルトラマンや仮面ライダー、遠山の金さん、水戸黄門、暴れん坊将軍など、昔からヒーロー物語を見過ぎてか見続けてきた我々は、勝者が正義で敗者は悪物という固定概念に縛られてはいませんか?
本当に勝者が正義の味方で正しいことをしているのでしょうか?
実際のところ勝者は、ただ喧嘩が強いだけ、腕力が強いだけということもありますよね。
また、ズル賢くて策士だったり…という場合も多々あります。
要は、喧嘩が強くなければ戦争や戦いには勝てないわけで、いくら清く正しくても喧嘩に弱ければ負けてしまいます。
そして、戦争に負けた側の歴史は必ず消されます。
特に美談などは絶対に伝わりません。
たとえ残ったとしても、ずっと後世になってから取り上げられますが、もちろん勝者の様に崇め奉られることはありません。
会津藩もそうですね。
実に誠実で、正しく清く勤勉でした。
戊申戦争で会津藩士たちは自分たちのためにではなく、将軍家のために戦いました。
女性までが男装して戦わなければならないほど劣勢で悲惨な状態だったのです。
男装しなければならなかったのは、女まで使っていると、嘲り笑われないためだったのです。
その時将軍はさっさと大政奉還して生まれ故郷の水戸に帰ってしまっていたのに…。
でも負けてしまったので、なかなか表舞台に立てませんでした。
言い換えれば、時代の変化を見抜く力が足りなかったともいえますが、その場に立ったら口で言うほど簡単ではありません。
これから歴史は敗者のものも取り上げることが大切ではないかと思います。
死刑になったフセイン氏は本当に数々の残虐な行為をしたのでしょうか?
事実なら何故そのようなことをしたのでしょうか?
もっと正しく取り上げていたら、テロがここまで酷くなはならなかったかもしれません。
というよりも、フセイン氏を死刑にした本当の理由見えてくるかもしれないですね。
でも、本当に残虐だったのかもしれないし、我々には本当のことがわからないというのが真実です。
もちろん、勝者が正しい場合も沢山あるでしょう。
明智光秀が豊臣秀吉に勝って天下を治めていたらどうだったでしょう?
きっと、信長も秀吉ももっと悪党扱いされていたかもしれませんね。
それに、細川ガラシャ夫人も自害せずに済んだことは確かですが、キリシタン王国になっていたかもしれません。
そうしたら、間違いなく植民地になっていたでしょうね。
こうやって想像するだけでも、楽しいものです。
だから歴史がすきになるのです。
年表の丸暗記では嫌いになって当たりまえです。
過去の人たちの生き方を学び、それを手本にしたり、反面教師にしたりすることで人間力が高まります。
だからこそ、大東亜戦争後GHQに国史(日本史)の活学を禁止されたのでしょう。
日本人には世界に誇れる素晴らしい先人が沢山が生まれています。
そういう人たちの生き様を学校教育で教えてくださるようになったら、自殺も減るのですが・・・
なぜ学校教育で徳育と活学を取り入れることを反対するのでしょう?
不思議でなりません。
今の歴史は勝者の歴史です。
だから大東亜戦争(第二次世界大戦)に勝った国が残したの歴史を我々は学んでいます。
敗者である日本人の歴史、それは明治維新の会津の歴史の扱い方と似ていると思います。
白虎隊と特攻隊。
やはり本当に正しい歴史をこれから学びたいですね。
敗者は悪者ではありません。
お金がなくて武器が調達できなかった人であったり、卑怯なことを全くしなかった人だったかもしれません。
われわれ日本人は悪者だから戦争に負けたのではありません。
もう一度、敗者の視点で歴史を掘り起こす作業をしていきたいですね。
岐阜の飛騨高山にも、敗者の歴史が隠されています。
古事記で有名な“稗田阿礼”は“飛騨の阿礼さん”らしく、今も阿礼さんの末裔がいらっしゃるそうです。
この辺をきちんとしていくと、同和問題までが解決されると聞いています。
勝者と敗者、この関係を、善人と悪党という解釈にすることは今日からやめましょうね。
2010年7月6日 08:32 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
武士道ワンポイントレッスン
15回目のテーマは「運命」
江戸時代は命をどのように考えていたのでしょう。
会津にとても悲しい話が残っていました。
会津藩家老萱野権兵衛の次男である郡長政は、九州・小笠原藩の育徳館に14歳で留学しました。食べ盛りの男子が見知らぬ町で勉学武道に勤しんでいましたが、母親に『食べ物が粗末だから、会津の懐かしい食べ物である干し柿を送って欲しい』という手紙をしたためました。
すると母親から食べ物は送られて来ずに、それを厳しくたしなめた手紙が届きました。
ここは私の憶測ですが、母親は送りたくても食べ物も送料もなかったのではないでしょうか。
母からの手紙で武士の子としての心構えを忘れた事に反省をして、二度と弱音をはかないためにか、大事に懐に入れて持ち歩いていました。
ところが、ある日母からの手紙を不用意にも落としてしまったのです。
運悪く、長正が文武共に成績優秀な事に嫉妬していた地元の同級生にひろわれてしまいました。
いくら返して欲しいと頼んでも返してもらえず、とうとう読まれて張り出されてしまいました。
それでみんなから、嘲られ、笑い者にされました。
これは藩を代表して留学に来ている身として、自藩に恥をかかせたことになったと判断した長政は、申し訳ないと言って16歳の誕生日(明治4年)に自刃するのです。
私が母親だったらどうだっただろうか?
狂うほど後悔したと思う。
後悔はいけない、反省しなさい何て、普段は言っている立場なのに、間違なくあんな手紙を出さなければ良かったと後悔し続けると思うのです。
でも彼の母は、狂いそうな程悲しみながらも、藩に対する面目を潰したのだから潔く責任を果たしたと思ったかもしれません。
公私を分けて考えて、迷惑をかけたことを主に考えたら、そういう気持ちになっていたかもしれません。
いやいや私みたいに後悔組だったかも…?
今になっては知る由もなく分かりませんが、少なくとも私よりずっと芯が強かったろうと思います。
実は、長政の父は戊辰戦争での会津藩の責任を一身に背負って明治2年に切腹していました。
だから、本当は萱野長政だったのに、父の姓を名乗ることが出来ず、母の姓である「郡」を名乗っていたのです。
悪い事もしていないのに罪を背負った夫の切腹から2年後に、また悪いことをなにもしていない息子が切腹したのです。
本当にやるせないとしか言い様のない出来事です。
運命って、自分が決めてきたと解釈すると、生きるのが楽になるそうです。
確かにそうだと思いました。
自己責任だから、何かを恨んだり、妬んだりしなくなりますよね。
自分が決めてきたんだから、どうやって乗り越えられるのか工夫しようと思えます。
長政の母は運命をどの様に思っていたのでしょう。
今は江戸時代に比べたらとても幸せな環境が整っていると思います。
それなのに、何の意味もなく、嫌になったから自殺をしてしまう。
江戸時代の切腹とは意味が違います。
強くなるには、あまりに恵まれすぎている環境では、余計に難しくなるのですね。
人間って、貧しい時や発展していない時の方が、他者のために生きられるんだなぁと思います。
アフリカの話でも言えてます。
アフリカでも、自分の食べるものさえ満足にない少年が、他人の小さい女の子の面倒を見て、その子の為に自分のわずかな食糧を分けてあげる。
そんな優しさを、苦しい最中に施せるのだそうです。
経済的豊かさを得るのは、人間が本来持っている神の心、天使の心と言っても良い思いやりの精神と引き換えなのかもしれません。
人間から工夫がなくなり、想像力と創造力がなくなり、そして、死後の世界を否定したときから、精神は敗退していくような気がします。
死後の世界は、今を生きるための指針になるような気がします。
だから、何かを、誰かを信じるのではなく、自分で考えて決めるべきことなのでしょう。
死後の世界がないと思えば、死んだら無になるから楽になれると思うでしょう。
でも死後の世界が今の世界の延長線上にあると考えたら、死んだら肉体がなくなるだけやりたいことができなくなり、返って辛さがましてしまう、と思ったら頑張ろうと思うでしょう。
だから、人に決めてもらわず自分で決めることだと思います。
そうすれば運命に対して悲観もしなくなり、どんな艱難辛苦にも立ち向かう勇気が生まれるのですから。
2010年7月5日 08:40 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
7月5日の日記
会津ワシントンホテルはスタッフがとても感じが良くて親切なんです。
掃除も行き届いています。
でも、部屋は汚い。
色々気配りが行き届いているようなのに、使いにくいホテルなんです。
きっと机上のみで、顧客満足度アップを研究しているのかな・・・と思ってしまいます。
お客様目線でのサービスを考えないと、いくら努力しても水の泡と思います。
例えば、
・鏡のある机に設置されている電源が一つしかない。
・その机についているライト2つを消すと、机のところからの電源もスイッチが切れて取れなくなり、出入り口ドア横の壁の下ににある電源を使わなければなりません。
・携帯の充電って寝ながらして、寝ている横に置きたいものです。
でも、寝ながら充電をするには、ベッドから離れた、しかも、必ず土足で歩くところへ、口や顔に近づける携帯をおかなければ充電ができない。
・また、BGMをスイッチオンにしてもかからない。
そのままにしておいたら、夜中の12時過ぎたころになって突然BGMがかかるから驚きました。
・空調を「中」にするとヒューヒューという嫌な音がして、オカルト映画を想像する音で不気味。
「小」では効き目が少ないから満足できない。怖くて「大」にはできなかった。
・ライトが沢山設置されているのにどのライトも薄暗い。ベッドで本を読みたくても、机で仕事をしたくても不自由。
・パソコンの貸し出しがない。
・アンケートも意味不明の質問に思えたり、答えが選びようがない状態だったり・・・
けっこう今のホテルとしたら、不便でしょ。
もったいないな・・・と思います。
今日もホテルまで阿久津さんが迎えに来てくださって駅まで送ってくださいました。
そして、1時間近く一緒に待っていてくださり、本当にありがたく思いました。
会津若松から郡山に向う途中は田園風景。
今の時期、苗の緑が本当に美しいです。
一年で最も美しいと思える風景です。
郡山から新幹線で東京に向う途中、宇都宮近辺のみ大雨でした。
今月はいつもの出張の他に、水戸が入っているから楽しみです。
会津の日新館、水戸の弘道館、何度行っても飽きない楽しい所です。
どちらも孔子廟があるのですが、孔子様って人肉を食べたとか・・・
さもありなん・・・という文言が論語の中にあったように思います。
弟子の子夏が拷問で殺され塩漬けになったと報告を受けた孔子は、とても哀しみしばらく塩漬けを食べなかったと。
これって、人肉は塩漬けで食べたそうだから。。。。
考えるのはやめましょう。
2010年7月5日 08:33 PM | 日記 |
7月4日の日記
会津大学を会場とした゛会津エンジン゛ という会津の文化祭で武士道を1時間10分間お話ししてきました。
郡山まで新幹線行き、在来線会津ライナーに乗り換えて一時間六分。
以前からお世話になっている会津JCの阿久津さんに迎えに来て頂いて、まずは白虎隊自刃の地である飯盛山へ。
長いエスカレーターで登る飯盛山は以前登ったので、今日は白虎隊記念館をご案内戴き、見学致しました。
白虎隊の年若い少年達が、鶴ヶ城が燃えていると勘違いした時、どのような気分だったでのでしょう。
絶望のどん底だったのでしょうね。
空腹を堪え、同じ日本人同士で戦い、多くの命が消えました。
白虎隊記念館をあとに会津大学に行きました。
ここで阿久津さんと別行動。
秘書のいない私は肝心な講義の写真は撮れませんでした。
あ、私を担当してくださった商工会議所の
担当者の仕事は、カメラマンさんでしたね…(笑)
会場になった会津大学は公立ですが、全て英語で授業が行われて、論文も英文提出だそうです。
ただただ驚きました。
日本語の文化の危機ととるか、グローバル社会への対応ととるか…複雑でした。
会津若松で武士道を語れるとは、何て幸せなんでしょう。
会津は武士道を貫いた地域ですから、日本の誇りと言ってもいいかもしれません。
本当に皆さん熱心に聞いてくださいました。
私は江戸時代の武士道をそのまま真似るべきではないと思います。
江戸時代の武士道では、やはり行き過ぎがあると思います。
命に対する考え方が既に違っているので、真似をできないところもありますが、心構えは充分真似る事が可能であり、また必要な部分でもあります。
必要な所を残し、時代にそぐわなくなった所は削除して、今の生活に合うように変化を加える作業を、武士道協会が担うべきなのです。
昔の日本人の精神力はすごいと思います。
程よく強い心があれば、苦しまずに逆境を乗り越えていけます。
だから、今の軟弱で直ぐに自殺をしてしまう日本人には、必要な部分が間違いなく沢山あります。
“現代武士道は、何よりも『命を大切にするため』に、『惻隠の情』『責任感』『忍耐』『親孝行』『誠実さ』『立志』という武士道精神を身に着けて、心穏やかに安心して毎日を暮せる幸せをつかむためにある”
と声を高らかに伝えて行きたいですね。
感動です! やっと武士道を煙たがる人に伝えたい言葉が見つかりました。
今日は阿久津さんに大変お世話になりました。
阿久津さん、本当に細やかにご配慮いただきまして、どうもありがとうございました。
今日は主催者側ご指定の会津ワシントンホテルに泊まります。
2010年7月4日 11:23 PM | 日記 |
7月3日の日記
久し振りに江口克彦先生から電話を頂きました。
みんなの党から出馬して元気に選挙活動しているとのことでした。
今月(8月号)の月刊誌BOSSに武士道が掲載されているとおっしゃったてました。
私が『京都在住』になっているんですけど…と申上げたら、
『京都で会って話した』と言ったのが誤解されたとのことでした。
武士道協会設立の経緯が今まででの中では一番正確に書かれていました。
私もBOSS8月号を買って来よう!
2010年7月3日 11:19 PM | 日記 |
7月2日の日記
携帯電話が突然真っ黒に!!
でもベルが鳴るので取ってみたら話せるんです。
でもメールも見えないし、誰からかかってきたのかも分からない。
誰からか分かって電話に出る癖がついていると、妙に不安。
昔は当たり前だったのに。
直ぐにショップに持っていくと修理費無料で十日ほどかかるけど直るとのこと。
代替機がきたのですが、使い難いので時間がかかる。
いかに自分が携帯に頼っていたかがよくわかりました。
どこの電話番号も住所も分からない!!
メモも携帯の中に保存してあるから、何時にどこへ行くのかも分からない!!
焦りました。
でも武士道協会では理事の先生方はほとんど携帯を持っていらっしゃいません。
だから、待ち合わせも必死です。
会えない時は昔ながらにご自宅に電話を入れて奥様に伝えています。
そういう時は、先のことまで考えて計画をたてるのに、携帯を持っている人同士だと現場についてから電話ね、なんて軽く言っています。
その時アクシデントがあったらどうするか? なんて考えた事もなかったですね。
機械は故障があるから、アラスカでは子供は今でも犬ぞりでモーターカーは使わないそうです。
それは故障して動かなくなった時、それは死を意味するからだそうです。
その点犬は必ず子供を家まで連れて帰ってくれるそうです。
だから犬ぞりレースでレーサーが居眠りしても、賢い犬はそりを走らせて目的地に近づいているそうです。
怠け者の犬は一緒に寝てしまうそうですが・・・。
バックアップの大切さをひしひしと感じた一日でした。
毎日反省です。
2010年7月2日 09:59 PM | 日記 |
相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第五回
【相談】
春から後輩が入り
最近の私の大きな課題になっています。
本当にあのフォローで良かったのか、
本当に本人のためになっているのか、身になっているのか?
…考え出すとどんどん自信がなくなってきます。
忙しければ忙しいほど
後輩は全く悪くないのに一人でイライラしてしまったりもします。
そもそも自信がないということは
やはり自分本位になってしまっているのかなと思います。
一人で考えていても
結局後輩にとって1番の答えが出てこないと思うので、
アドバイス頂けたらと思います。
【解答】
一生懸命考えて、言い方を工夫したり、理解してもらえるようにと努力していても、思ったような結果が出ていないと感じた時、「指導方法が悪かったんだ」と自責の念に駆られてしまうのは、だれでも経験していることです。
そして、考えれば考えるほど「なぜ分かってもらえないのだろう」「自分の指導は聞きたくないのだろうか」というような、責める思いが頭を占めてくることもあります。
この責める気持ちを鎮めるために、自分が間違えていたのではないか・・・と自分を責めて否定してしまう。
ましてや自分にも上司がいて、先輩がいて、何かを指示して失敗した時には上司や先輩に迷惑をかけてしまう、と思ったらなおのこと、自分を否定して押さえてしまうこともあります。
それは最終的に大きなストレスになって、動けなくなってしまうこともあります。
あなたは、部署全体のチームワークを考えて、後輩の仕事の仕方を指導しなければならない立場の様にお見受けします。
あなたが注意をしたこと、指導をしたことを、後輩は総て言いなりになっているでしょうか?
後輩は後輩なりに考えて、自分で良いと思ったようにやってはいませんか?
言いなりになっているのも、後輩なりに考えて変化を加えているのも、これはどちらも後輩が決定して実行したことです。
あなたは、自分の損得を抜きにして、チームワークを考えて注意を与えたなら、その後のことは後輩にバトンタッチしてはいかがですか?
後輩とて大人ですから、責任を取ることだってできるはず。
要は良くなろうとしてあなたの意見を受け入れるのも、変わろうと努力するのも後輩次第です。
つまり、あなたの言葉を聞いてどうするかを決めるの選択権は後輩にあるということです。
選択権があるということは、当然責任も負う必要があるのです。
あなたはあなたが考えた一番良いと思うことを伝えるときに、後輩が受け入れやすい言葉を選んだり、気持ち的に受け入れやすいタイミングを選ぶことに、気持ちを集 中した方がよいのではありませんか。
後輩が受け止めた後のことを、あれやこれや考えているよりも、伝える時にひと工夫した方が先が開けるというものです。
例えば後輩には
「こういうやり方もあるの知っていた?」と軽く聞いてみてはいかがでしょう?
「私(僕)の時は、最初分からなくて先輩に教えてもらって分かったから、もしかしたらと思って声をかけてみたんだ」
というような言い方で、話を聞くか聞かないかを選択させてもらえるなら、後輩だってありがたいと思うはずです。
ここで 私(僕)は、としたのは、意外と 私(僕)も、といってしまがちだからです。
この「も」を使うのは「できなかった私と後輩も同じ」と暗黙の内に伝えていることになります。
だから後輩に「先輩は自分のことをできないと思っているんだ」と思わせてしまうんです。
意識的に「は」を使って、後輩は分かっているかもしれないけど、と肯定した言い方で語りかけていくと、後輩も素直になりやすいものです。
それでも後輩が機嫌を損ねたりしするようなら、それは後輩の性格が素直でないということ。
気にしないでやり過ごしてしまった方がいいです。
後輩にとってどれが一番良いかは、後輩自身が決めることです。
例えあなたの言いなりになって失敗したとしても、あなたの指導が悪いのではなく、そのやり方がその後輩には合っていなかった、或いは、総て言いなりではなく部分的に変えていたということも有り得ます。
それなら次は別のやり方をしてみようと、あなたは先輩としてもう一度一緒に考えてあげる、これが積極的思考ですし、また責任を果たしたことになるのではないでしょうか。
何度もやり直しながら進歩していくのが人間なのではないでしょうか。
後輩に指導をして、失敗していない内から後悔して、自分を責めて、ストレスになる。
これはマイナス思考だとおもいませんか?
これでは自分は能力がないからと自己否定して、何も言わずに我慢するのが一番だと非自発的態度になってしまいます。
これでは会社が良くなりません。
後輩に指導して、それが失敗だったら直ぐに別のやり方を考える、その時後輩の性格や能力も考える、そして、後輩が不安にならないように応援しながら一緒に成果を喜ぶ、これならストレスは起きません。
誰でも最初から必ず成功する方法を知っているくらいなら、苦労もなければ人生という学びすら不要になってしまいます。
努力した結果なら失敗は大手を振って受け入れましょう。
そして、その苦い思いから学ぶことは沢山あるはずです。
後輩だって、先輩はまるで自分のことの様に考えてくれる人だ、と思ってくれるはずです。
ポイントは、損得勘定(悪く思われたくない、失敗したくないなど・・・)を抜いて、後輩のことを自分の家族の様に思ってください。
きっと後輩にとって必要なことを言えるはずです。
一般的に答えましたので、もし違うと思ったらもう一度質問してください。
納得いくまで一緒に考えましょう。
6月27日
奈良の武士道子供教室については、開催できて本当に良かったと思っています。
沢山のお子様やお母様、お父様もご参加いただき、本当に嬉しく思いました。
小さい時から道徳教育は、絶対に必要だと思いました。
奥さん(右)、きっかけを頂きまして、ありがとうございました。
必要な事だと改めて実行して感じました。
色々と改訂を加える必要がありますが、それがまた楽しみになりました。
それらは改めて書きますのでもう少し待っていてくださいね。
会場を貸して頂きました大吉建設さん(吉信代表・左下)も武士道を地で行っている素晴らしい会社でした。
掃除を徹底しているし、社員教育が行き届いていました。
2010年6月27日 11:54 PM | 日記 |
『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第七回目のテーマは「格差 Part2」
朝日新聞社が「日本のいまとこれから」をテーマに郵送方式による全国世論調査を実施したところ、「いまの日本は自信を失っている」とみる人が74%に達し、9割以上の人がこれからの日本に不安を感じていることがわかった。一方で、回復する底力があるとみる人が半数以上おり、日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が7割を占めた。
とインターネットニュースにありました。
経済的な豊かさより格差の小さい国を求めるってどういうことなのでしょう?
どうも、徒競走で全員が手をつないで仲良くゴールするのと同じように感じるのは私だけでしょうか?
小さな考え方をする人が今の日本人には多いように感じます。
要は自分が貧乏であることより、他人がお金持ちでいることの方が許せないし嫌だ・・・ということですから、それでは共産主義です。
共産主義国家が繁栄したなんて見たことも聞いた事もありません。
一生懸命働く人も、遊んでいる人も、平等であるべきで、公平ではいけないということになります。
誰もが実力にも労力にも関係なく、同じに分配をして欲しいというのなら、一生懸命働く人の意欲がなくなります。
誰も働かなくなってしまったら、どうするつもりでしょう。
もしかすると、自分は一生懸命働いているのに、楽をしている人のほうが沢山収入を得ているから・・・と思っている人がいるのかもしれません。
遊んでいるように見えて、報道されない所や、フォーカスされない所で努力しているから楽をしているように見えているだけかもしれません。
運がいいだけではなく、自分を型にはめず、アイディアが豊富で、必死に考えているのかもしれません。
これはアイディアが豊富なのは特技ですから実力の内です。
26日土曜日の武士道協会開催人間力向上セミナーには参加者が20人でした。
ブレーンストーミングで話し合った結果、格差を感じるのも総て気持ちのあり方次第ではないか?という結論も出てきました。
みんな結果だけをみて格差と言っているとしたら、それは大きな間違いです。
正社員と非正規社員の差をなくすと言いますが、正社員になっている人は学校での勉強も努力して、就職活動も一生懸命努力して、試験で良い成績を収めたのだと思います。
確かに非正規社員の方が、すこぶる悪条件で仕事を強制されているのなら改善の必要があります。
でも正社員と差をなくした場合、正社員の立場から、努力をしてもしなくても同じという気持ちにはならないでしょうか?
学校時代に真面目に一生懸命にやってきた、親の力を借りた、色々とあると思います。
でも総てが今までの努力の結果でもあるわけです。
立ち場の弱い人を助けることはいい事ですが、それにばかり視点が行ってはバランスが崩れます。
強い人はやって当たり前で弱い人は助けてもらって当たり前となってしまうと、感謝がなくなり強い人は馬鹿らしくなります。
これは大変危険でよろしくないことです。
もっと深く考えてみませんか?
武士道ワンポイントレッスン
14回目のテーマは「安心感」
今の日本という国は安心できますか?
不安だと思う人は、何故不安なのでしょうか?
政治家が色々上手に言葉でゲームをして、公約を守らないからでしょうか?
良く考えてみたら、国民として、国に守ってもらえるという確信が持てないからではないでしょうか?
国民にとって国、従業員にとって会社、子供にとって親、この関係は同じものなのです。
国を強くしたければ、強い国民を育てなければなりません。
会社を大きくしたければ、良い社員を育てなければなりません。
家を立派に立ち行かせるには、立派な人間(子供)に育てなければなりません。
だから、立派な人間に育てば、その人を入れた会社もよくなり、国も強くなります。
松下幸之助さんの「良い物を作るには良い人を作る」といった考え方です。
子供の頃、母親が父親が自分に何かがあったときに必ず助けてくれると思えたら、とても安心できたと思います。
自分が守られていると確信できることが安心感につながっていました。
自分を守ってくれる親の存在は、一言で言うと
『何が起きても動じない大きな山のような存在』
であったはずです。
例えどの様な事があっても、親になったら動じないような心でいられるように、心がけなければなりません。
生身の人間であり、感情の生き物だからこそ難しいことなのですが、演技をしてでも子供の前では不動の姿を見せることが望ましいでしょう。
以心伝心、心は見えないからこそ余計に伝わりやすいものなのかもしれません。
最近は友達親子といって、親しみやすい並列関係の親子が良しとされているケースが多々ありますが、やはり、縦社会で学ぶことの大切さは計り知れぬ大きなものです。
人を敬う、ならぬものはならぬで意に反してでも従わなければならない時もあること、先輩や上司に対する礼儀なども全てが、家庭での縦の人間関係から学んでいきます。
これが機能していないと、親から離れた時や社会に出た時に、知らないが故に失礼な振る舞いをしてしまい、結果的に辛い思いをすることにもなるのです。
友達親子では気軽に話はできても、守られているという安心感は薄くなります。
大きなものにすっぽりと包まれる安堵感、これは縦の関係でしか生まれません。
この安堵感(安心感)を得て育った子ほど、自立心も旺盛で自発性と自主性に富んでいるといえましょう。
確かに親も並列の関係の方が楽です。
否が応でも責任が薄くなります。
日本人が強くて、有色人種の中で唯一植民地にならなかったのは、この縦社会で心を育んだことも関係がないとは言えないと思います。
周囲に安心感を与えるには、周囲から信用を得ていること条件です。
責任を果たさなければ信用は付きません。
想像力の豊かな広い心を持った国民を育てるためにも、縦社会の良さを生かした生活を心がけたらいかがでしょうか。
責任を果たし、ものごとに動じず、心の広い人が安心感を与えるます。
安心感を与えられて育った子も、同じように他の人に安心感を与えるようになるものです。
2010年6月25日 06:48 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |