日記

思い込み

2010年6月25日

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武士道ワンポイントレッスン
13回目のテーマは「思い込み」
武士道協会を設立したばかりの頃、当時専務理事でらした元衆議院議員の小野晋也先生と市ヶ谷駅前で街頭演説をしました。
慣れない私はマイクを持たされて演説を始めたところ、近くに立っていた営業マンに
「もっとスピーカーを大きくしなければ聞こえないぞ」
と教えて頂きました。慌ててスピーカーを見たらマックス!!
小野先生の時はものすごく大きな声だったのに・・・改めて自分の声の小ささと通らない声をしていることに愕然・・・。
そんな思い出がふと頭に浮かんできました。
そして、それから2年経ったとき、私は肺炎になってしまいました。
病院に通っていたのに無熱性肺炎を発見されず、日々苦しくなりだんだん声が弱々しく小さくなりました。
その様な状態でタクシーに乗ったら運転手さんに
「お客さん、しっとりとした良い声してますね。朝からキャンキャンやられるとイライラするけど本当に良いですわ」
と誉められてタクシー代をまけてあげると言われました。
なんと複雑な二つの体験でしょう。
研修講師をしている私は声が命。声が出なくなったら仕事ができません。
それなのに、私は体調を崩すと必ず咽喉からやられて、声が出なくなります。
だから体調には細心の注意を払い、自分の身体には敏感であるように注意をしているつもりです。
その声で、最初は一生懸命声を出していたのに打ちのめされ、次は声が出なくて情けないとへこんでいたら誉められて・・・解らないものですね。
この様に、自分で思っている事実と、実際に外に発信されて受け止められている事実とかなり差があるということなのです。
『思い込み』は怖いですね。
人は誰でも思い込みがあります。
でも素直ならば、この思い込みも少しうしろに下げて冷静に見ることができます。
傲慢だったり、頑固だったりすると、この思い込みによって自分自身が痛い目にあったり、他者を傷つけたりすることになります。
正しいと思っても、全てのことは時の流れによって風化したり変化するのが世の常だから、もう一度考え直す柔軟さが欲しいですね。
でも、思い込みも悪いことばかりではなく、思い込んでいたために、恐怖を感じずにやってのけたなどということもあります。
後で聞いて背中から汗がたら~り・・・などという話も良く聞きます。
私の尊敬する先生が蝮(まむし)の出る山を下山した時、村の人に良く蝮の産卵の時期に山を一人で降りて無事だったと驚かれたそうです。
こんなことも大丈夫という思いがあるからこそ出来た業で、初めから真実を知っていたらできなかったことでしょう。
でも、運が良かっただけともいえるので、やはり思い込みは危険が伴います。
素直で自分を振り返る力を育てること、それは許容量を広げること、つまり器が大きくなることです。
武士道を志す人みんなで力を合わせて自己成長しましょう。

見守る

2010年6月24日

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武士道ワンポイントレッスン
12回目のテーマは「見守る」
陰で見守る、裏で見守る
この言葉を、見守る側と見守られる側で捉え方が違う時が往々にしてあります。
見守る側が見守るという時に起こしやすい過ちは、
『指図をするだけで、責任を取らないでいい立場にいる』 
のに
『陰で見守っている』
と勘違いしている場合です。
自分では陰で助けて、手柄を与えていると思ってしまうのですね。
人は自分で考えて思いついた事をしている時は、不安であっても楽しいものです。
それで失敗して責任を負わされても納得がいきますから、我慢ができます。
しかし、陰で指図され、言うとおりにしないとガンガン言い負かされ、仕方ないから言いなりになったところ失敗してしまった。
この時、陰で見守っているはずの人は、絶対に責任を取らずに、言ったとおりに全てしなかったからだと必ず言います。
これでは、失敗した方は浮かばれません。
 
また追い討ちをかけて困ったことに、見守っているはずの人は、自分の犯している過ちに気づいてないということです。
ガンガン言い負かされという表現を使ったのも、言われる側はこの様に取れているという比喩です。
見守るのと指図するのと勘違いしてごちゃ混ぜ状態になっているのですね。
これは以外と性格的に自分の意見が正しいと思い込んでいる方に多い現象です。
特に現役時代に役職についていらした方は、一度振り返ってみるのも将来を豊かにすることになると思います。
意見を出す人は責任も取る という事を鉄則と心得ること。
そうすれば、陰で意見を出して表に出ないという卑怯な行為は自ずと減ってくると思います。
武士道というと信念が確立されていること、自分の意見を持っていること、信念を曲げないことなどと思っている方が多く感じられます。
確かに必要で素晴らしいことですが、その信念や意見も、今までの生きてきた環境から生まれたものです。
だから、環境が違い、時代が違い、育てた親の考え方が違えば、同じ意見を持っている人の方が少なくて当たり前です。
そのように柔軟に捉えて、相手の意見も尊重する、そして、すり合わせていく行為を忘れないようにすることが良い人間関係を構築していきます。
武士道では、自分の意見と同じくらい相手の意見も尊重する ことが求められています。
さて、話は戻りますが、『陰で見守る』 という行為は、困った時や相談に乗られた時に親身に相手をするということです。
そして、相談に乗り、助け舟で意見を出したのに、それが採用されなかったとしても、それは自分の決定範疇ではないと思い知らぬ振りをしなくてはならないのです。
相談した人は、誰かに困っている事を話して、聞いてもらうだけでオートクラインが起きて、自分なりの案が思いついたりするものなのです。
オートクラインはコーチングでも立派なスキルとされています。
話すことによって自分の中に眠っている考えが呼び起こされて案が思いつくといった現象です。
陰で見守る、つまり、目をかけても手は出さない、これに徹することが出来た人は、子育ても上手です。
子供が夢を現実にするために必要な、想像力と創造力が育つからです。
部下にも同じことが言えます。
指図はマニュアルと同じです。
つまり、見守る側には忍耐が必要だということです。
だから、見守る側も学びをさせられているということなのです。
人生って全て学ぶことに徹しているのかもしれません。

武士道協会からのお知らせ

6月26日土曜日午前10時15分~13時まで
京都PHP研究所にて、武士道協会主催の武士道人間力向上セミナーを開催します。
参加ご希望の方は
http://www.bushido.or.jp/activity_plan.html
からお申し込み下さい。
素晴らしい仲間ができます。
セミナー後に特賛委員会も開かれます。
特賛委員にご興味のある方は見学もできます。
たくさんの方のご参加を楽しみにお待ちしております。

諦めない

2010年6月23日

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武士道ワンポイントレッスン
11回目のテーマは「諦めない」
諦めないというけど、どうしたら諦めずに挑めるのでしょう?
具体性がないと、どうも第一歩が踏み出せませんよね。
そこで、諦めない心とはどういうものか以下に書き出してみました。
【諦めない心】
①工夫をする
②考える
③夢を抱く (想像する)
④夢を実現させる (創造する)
⑤ブラス思考になる (必ず何とかなると思う)
⑥視点を多く持つ (視点を変える)
⑦自信を持つ (みんなの役に立てると思う)
⑧覚悟を決める (一人でもやり抜こうと思う)
⑨謙虚になる (まだ足りないと思う)
⑩肯定する (否定をしない)
諦めないということは、逃げないという言葉に言い換えられます。
諦めずに食い下がり、後一歩、後一歩と思っているうちに、気が付いたら目標を達成していたということは、よくあることです。
責任をとるということは、最後まで諦めずに工夫をし続けることです。
私が鍵山秀三郎先生に武士道協会の先行きの不安をご相談させていただいたときのことです。
武士道協会の理事で退任する方が出てきたり、会員さんで継続をしてくださらない会員さんが出てきたりで、不安になってしまったのです。
すると鍵山先生が「最後は一人になってもやり抜こうと覚悟をしていますか? 私は掃除の時に一人でもやり抜こうと覚悟を決めました。覚悟ができたら大丈夫ですよ」とおっしゃったのです。 
今までのどの言葉より重く、そして、爽やかな響きを感じました。
だから、私は人間力向上セミナーで参加者が一人だと言われたときも、開催しますと自信を持って言えました。
一人でも参加してくださるなら、私と二人になるではないですか。
一人でもやり抜こうと決心していたら、一人の参加者は素晴らしい味方が現れたということです。
お蔭様で、先週の人間力向上セミナーは私を含めて27名でした。
諦めないで続けてきて良かった・・・!!
本当に、涙が出るほど感動しました。
諦めない、へこたれない、悩まない、不安にならない、悪い方へ考えない・・・
こうしているうちに、必ず幸運の女神様が近づいてくださいます。
ウサギと亀ではないですが、人生何が起こるかわかりません。
最後まで諦めずに挑むことで、たった一度の人生を最良のものにすることができるのですから!!
素敵でしょ。

運が良い人と悪い人

2010年6月22日

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6月22日の日記
桶狭間古戦場跡付近にて研修をしました。
大高城址近くに今は、大高のイオンができました。
そのお陰で電車の駅まで作られました。
小さな商店が立ち行かなくなるのもわかりますね。
桶狭間の戦いは、駿河の今川義元対尾張の織田信長の戦です。
兵の数は10:1 で信長が圧倒的に不利。
しかし、信長の親衛隊・服部一忠が一番槍をつけました。
でも服部一忠は義元に膝を切られて負傷したため、首級を挙げたのは毛利新助でした。
この働きにより、信長は勝利を得て今川方は城代が岡崎城まで捨てて逃げたので、そこへ家康が入城した。
運が良い人と悪い人、はっきりと別れましたね。
実は人生は運が98%なのだそうだ。
運も努力の賜物といいますから、運が良くなるためにすべき事を心がけるようにすれば、思うとおりの人生があるということなのですね。
今私のいるところは、鳴海、大高、桶狭間と昔の名前がそのまま残っています。
桶狭間の戦いのあった頃は今から400年位前のことなのに、今はまるで別世界。
5万年前の人骨が出たなどとニュースで聞きますが、それから比べたら最近のことなんですね。
今日の研修は、お客様の気持ちを理解するにはというテーマで話しました。
お客様の気持ち(真意)を受け止めるには?
まずは自分を知ることなんですね。
みんな人の気持ちを知ろうとして必死に考えているけど、それはあくまで自分の考えでしかないということ。
勘を鋭くするには、まず自分が自分に鋭くなることですから。

格差

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『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第六回目のテーマは「格差」
最近、マスコミでがアンケートをとったところ、今、日本国民が一番望んでいることは『格差をなくして欲しい』ということだったそうです。
これはおそらく、一般庶民対象のアンケートだと思うのですが、私には良く理解できません。
つまり、どこに対して格差をなくして欲しいと国民が願っているのでしょうか?
自分より恵まれない方に対して、自分とその人との差額の半分を差し出そうと思ってのことなのでしょうか?
自分は毎月20万円と賞与年二回で30万円くらいの収入があり、週休も2日+祭日がある。
それに、社会保険にも入っているから、失業したときも3ヶ月くらいは手当がでるし、病気になっても3割負担でいい。
その上年を取ったら年金ももらえる。
こんなに恵まれているのだから、病気で働けなくて困っている人と差がないようにしてあげたいと言っているのでしょうか?
まさか、自分よりお金持ちに対して、取り過ぎだからずるいと言っているうのでは・・・・?
自分より貧乏で、自分より不幸なひととの格差をなくそうと努力することは素晴らしいことだと思います。
しかし、自分より富豪や幸せを得ている人との格差をなくして欲しいと訴えているのだとしたら、これはお門違いだと思わなければなりません。
もし日本から富豪がみんないなくなってしまったら?  大変です。税金が跳ね上がります。
こういうところも考えて発言していますか?
富豪がもっと税金の少ない国へ移り住もうと思うならば、富豪だからこそ移ることが簡単にできるのです。
だって、外国だって貧民が移ってくるより富豪が移り住んでくれた方が嬉しいに決まっています。
富豪が日本に留まってくれなければ、日本の税金は国民みんなで出し合っているのだから、ますます負担額が大きくなってしまうのです。
アンケートで格差をなくして欲しいと答えた人は、自分は健康に恵まれて働けるけど安月給だから辛い、同じに働いていて高額をとる人が許せないということなのでしょうか。
自分より健康で給料も高くて贅沢な生活をしている人に対して、格差だと思っているなら大きな間違いです。
このような思いは「嫉妬心」といって、平たく言えば「うらみ」「ねたみ」「そねみ」といった類のものです。
要は感謝がなく、人の幸福を阻害しようという性質であると言っても良いのではないでしょうか。
世の中に平等であるべきことは、生きる権利、挑む機会(チャンス)、自分の意思で決断すること、ではないでしょうか。
私は以前、ある新聞社の研修センターに勤めていました。
もちろん、社内でも格差は大きくありました。
私は大変低い賃金で労働をしていた部類に入ります。
でも、私はお金こそ得られず慎ましやかな生活をせねばならない状態でしたが、内面的にはこの会社で大変大きな収穫がありました。
金銭至上だと、どうしても得るものをお金でしか図りませんが、働くということで得られることはお金だけではなく、思考力、判断力など色々な力も得られるものに入ります。
だから、格差をなくして欲しいと多くの方が言っているとは、何をどのように格差をなくして欲しいといっているのか、もう少し詳しくアンケートをとってほしいものだと思いました。
私のこの考えに対して異を唱える方もいらっしゃると思います。
しかし、私は外を見て悪いところを直そうと提議するよりも、内を見て直すところを見つけたり、考え方を変える事によって楽に幸せに感じられるようにしていくことの方が、生きている意義を感じられるような気がするのです。
賃金が安く設定されている人からしたら、同じ人間なのだから一時間はだれもが同じ金額にするべきだという人もいるかもしれません。
しかし、同じ一時間を働いたとしても、人によってかなりレベルが違う仕事の仕方になることの方が多いように思います。
そういう能力の差は格差とは思わないのでしょうか。
外に対して文句をいうより、内を改善することに力を注いだ方が、最終的には良い結果が出ると私は確信しています。
アメリカはアメリカのお金の半分を4家族が所有しているといいます。
中国は中国のお金の40%を中国人の4%の人が所有しているといいます。
東南アジアの貧富の差は半端ではなく著しいです。
ゴミ山の上で暮らしている人々の一日の稼ぐ金額が、富豪が買う一粒のチョコレートの値段と同じだといいます。
日本は格差がない方です。
日本では、自分の環境を変えようと思えば、自らの努力で変えることができます。
その勇気がないとか、失敗を恐れるからできないというのは理由になりません。
でも、東南アジアやアフリカでは、いくら決意しても自分の努力や決意だけでは、どうすることもできない環境で暮らしている人たちもこの地球にはいるのです。
もっと、自分の生活に感謝をして、自分が世の中を良くするためにできることは何か、という視点をもって生きた方が幸せを感じる機会を多く得ることができるでしょう。
その考え方の礎となるものが武士道なのです。

長久手古戦場跡に近いところで研修

2010年6月21日

6月21日の日記
長久手古戦場跡に近いところで研修をしました。
その昔、徳川家康がこの近くに居たんだ・・・と思うと不思議な感じがします。
織田信長が家臣の明智光秀に本能寺で討たれた後の跡目相続で、孫を押す秀吉と次男信雄を押す家康が戦いとなりました。
秀吉が犬山に、家康が小牧に陣をしいていましたが、秀吉の別働隊が家康の本拠地である岡崎に侵攻したことにより、長久手で両軍が戦うこととなりました。
長久手では家康が勝利したものの、信雄が秀吉の和睦申し入れを受け入れてしまったため、この戦は幕を閉じることになりました。
結果的に秀吉が天下をとり、家康は五大老の一人ではありますが格別な地位を得ました。
余談ですが、本能寺で倒れた信長の首は、黒人の家来が持って逃げたといわれています。
もちろん歴史学者の先生方に認められた説ではないですが、かなりいい線をいっているのではないか。。。と思い私はこの説を押しています。
今日の研修では、いつも元気な浅井さんがちょっと元気がなかった感じがしました。
疲れているのかな?
浅井さんはとても働き者です。
素晴らしいことは、お子様達が働き出してから浅井さんの口座に、自主的自発的にお金を振り込んでくれていたそうです。
それがある程度溜まったので家を改装して、お義父様と同居して面倒をみているとのこと。
リーダーである浅井さんが率先垂範でトイレ掃除をしているし、お義父様の話し相手もきちんとしているし、立派ですね。
これからもきっと良いことがあると思います。
明日は、桶狭間古戦場跡近くで研修です。
古戦場めぐりをしているわけではありません(笑)

人間力向上セミナーを東京で

2010年6月20日

6月20日の日記
今日は武士道協会の人間力向上セミナーを東京で開催しました。
たくさんの方がお休みの最中いらしてくださって、本当に嬉しかったです。
ブレーンストーミングで『ウサギと亀』を挙げて話し合いをして頂きました。
これの狙いは、多くの視点を持つこと、そして、他者の立ち場になり切って
理解をするように努力することの大切さを学ぶことでなのです。
他者の立場を理解したり、なりきることは、
またこれは、ウサギと亀でなくてもいいのです。
さるかに合戦でも、桃太郎でも何でもいいのです。
要は、他者の立場を理解できる柔軟さをもつことの大切さ、
これが惻隠の情になるわけですね。
枠から入る事をせずに、心を大切にする事で、現代武士道を確立していきたいのです。
それぞれの武士道論を持っていて、それが何人か集まると、
新たにその場に適した武士道論が出てくること。
これが大切だと思っています。
自分の色をしっかり持っていながら、グレーゾーンもにこやかに歩ける柔軟さが欲しいのです。
固定概念の強い武士道では、若い世代に受け入れられないでしょう。
今回は色々な世代の方々がご参加くださり、本当に嬉しかったです。

惻隠の情

2010年6月18日

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武士道ワンポイントレッスン
10回目のテーマは「惻隠の情」
他者(ひと)の悲しみを自分のこととして受け止め、共に悲しみを分かち合える心。
そして、他者(ひと)の喜びを自分のこととして受け止め、共に喜びを分かち合える心。
文字で読むと簡単そうで、また、自分が幸せな時はとても簡単にできそうなことです。
しかし、自分が幸せではないとき、或いは、望みがなかなか叶わずにいるときなどに、この2つの心を持ち続けることができるでしょうか?
惻隠の情は、いかなる状態のときであっても、持つことに意義があり、そうでなければ惻隠の情があるとは言えないのです。
自分が幸せな時は、他者の不幸をいかにも気の毒に感じて何かをしてあげたいと思うでしょう。
しかし、自分が不幸な時に他者の不幸を知ったとしたら、心の奥底では安心感が広がるはずです。
それが、人間なんです。
そして、自分が不幸な時に、他者の幸福を知ったとしたら、心の奥底では不安と苛立ちが起き、妬みや恨みの感情が沸き起こるはずです。
そう、それが人間なんです。
誰もが間違いなくこの感情を持ってしまいます。
だからこそ、私たちは肉体を持った人間として生を受けて、己の心を大きく広くすることを目的として、高尚になろうと必死に生きているのです。
惻隠の情は、人間にしかない心のあり方です。
でも、人間には難しくて、なかなかこの心境になれずにもがいています。
だから、善良な人か悪人か、できる人かできない人か、を知るには、逆境を共にすると一番わかりやすいと言うわけです。
「善良な人・悪人」と書いて「良い人・悪い人(嫌な人)」と書かなかったのには理由があります。
良い人とは、みんな自分にとって都合の良い人のことを「良い人」と勘違いします。
そして、自分にとって都合の悪い人を「悪い人(嫌な人)」といいます。
悪人でも、自分のして欲しいことをしてくれて、自分を褒め称えてくれれば、良い人になってしまうものなのです。
逆に、自分にとって必要なことを必死に説いてくれている人は、嫌なことを言うからうっとうしい嫌な人になってしまい、悪口や陰口の対象になってしまいます。
最近は、良い人になろう、良い子にならなければ、と思う人が多いように感じます。
でも、良い人になるということは、この様に誰かにとって都合の良い人になろうとしていることであり、決して世の中の役に立つ良い人になろうとしているのではありません。
本当に良い人になりたければ、惻隠の情を身に着けることです。
しかし、自分が望みの叶わない辛いときに、友人の幸せを一緒に喜べる真の優しさを身に着けることは、並大抵の努力や精神力では到達できるものではありません。
だからこそ尊いのです。
もし今、私はできている、と思った方がいらしたら、その方こそ己を知るところから始めなければ、他者の気持ちは全く読み取れないと思います。
人間は己を知ることが一番難しいのです。
まだまだだ・・・と思った方、その方向で進んで良いと思います。
過信せずに、地道に努力することが、必ず生まれてきた目標と目的を果たすに必要なことです。
そして、人間である以上、惻隠の情で人と接することができるようになることは至難の業でしょう。
ほんの一握りの人しか、惻隠の情で他者と接している人はいないでしょう。
でも、そうなろうと努力することはできるし、努力することで近づくことはできます。
それは、きっと大きなうねりとなって、日本という国を良くしていくことでしょう。
大切なことは、幸せである時を基準とせずに、不幸である時を基準として、惻隠の情があるかないかを考えることで正しい判断ができます。
またそうすることで、当たり前がなくなり感謝の気持ちが育ち、より成長します。

普通

2010年6月17日

武士道ワンポイントレッスン
九回目のテーマは「普通」
普通というと、なんとなく良くもなく悪くもなく・・・と思うのではないでしょうか?
でも、字を調べると全く違うことがわかります。
“普” は「あまねく」という意味です。
そして、「あまねく」とは “もれなくすべてに及んでいる” という意味です。
“通” は「精通していること」「全体に行き渡る」「 物事を広く知っている」という意味があります。
“普通” とは、「もれなくすべてに通じている」 ということになるのです。
だから軽く、「うちの子は普通でいいわ」なんて言う方が良くいらっしゃいますが、すごいことをおっしゃっているわけです。
「うちの子は、もれなく総てに通じている位がいいわ」と言っているようなものだからです。
母国語となると言葉を無意識に使うことが多くなります。
また、使う人によって、その単語の意味を違ってとらえていることも多々あります。
「けっこうです」 と言われたとき、これを「いいですよ」と「いりません」のどちらにとりますか?
この単語だけでは推し量ることはできず、発言した人の表情や前後の言葉によって判断しているはずです。
これが日本語なんですね。
感情を読み取らないと意味を取り違えてしまうのです。
「普通でいい」のではなく、「普通だったらいい」と使ったら良いのですが、一般的に「普通だったらいいわ」と使ったら、「どこか足りないの?」とか「そんなに(程度が)悪いの?」などと誤解されそうですね。
ただ、正しい意味をわかった上で、一般的に流通している意味での普通を使うことで、日本語特有の言霊のメリットを得ることができると思います。
そして、普通であることに感謝をして、普通にできない人の助けをしてあげることができたら、きっと文字の持っている本当の意味での普通になれると思います。
みんなで普通になりましょう。

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