武士道ワンポイントレッスン
八回目のテーマは「国」
国とは何か?
国は私たちを守ってくれる親と同じ存在である。
でも、国があって当たり前の環境で生まれてわれわれ日本人は、国に感謝をしたことがあるでしょうか?
政治家の方ですら、日本を悪く言うのが当たり前になっている昨今、パスポートを日本国に申請することを躊躇してほしいと思います。
つまり、親の悪口を言いながら、親にお金をせびっているのと同じだからです。
親孝行をしなさい、ということは悪いことでしょうか?
それなのに、愛国心を持ちなさい、というと「右翼? 怖い!」と言うのは何故なのでしょう?
好きな異性に「愛している」というのは当たり前だと思っているでしょうが、それはほとんどの場合が「愛」ではなく「恋してる」だけでしょう。
愛しているとは、相手のすべてを赦し受け入れて、それでいて相手の幸せを祈ることです。
恋しているとは、自分が相手のどこか一部(顔、スタイル、お金、学歴、欲しい言葉、・・・)に魅かれて、胸がキューンとしていることです。
愛国心とは、国を恋しく思えと言っているのではなく、国が安泰であるように、国が発展するように、国民一人ひとりが考えながら行為行動をするということです。
自分さえよければ良いという判断をしないということなのです。
今まで、あまりにも自分の損得で国を動かしてきた政治家が多くいました。
また「国なんかどうでもいいんだよ、うちの会社さえよくなれば」という経営者や経営陣が多くいました。
そして、一般国民の中では親殺しが起き、子殺しが多発しています。
よって、愛国心が希薄化して当然なのかもしれません。
だからこそ、今、改めて親孝行、愛国心を考え直なければならないと思うのです。
今、国民の90%が日本という国を不安に感じていると答えているそうです。
親を信じられないと言っているのと同じです。
これでは良くなる方がおかしいと思います。
国は親と同じなのだから、われわれ国民一人ひとりが自分の生き方を考え直さなければ国は良くなりません。
不安だと思うなら、自分がどうすればいいのかを一人一人が考えましょう。
そうすれば、自然と子供を大切にする気持ちが芽生え、恐ろしい事件も当然減ると思います。
日本という国のありがたさは、外国に出たときにわかります。
親孝行したい時に親はなしというように、国が大事だと思った時には・・・とならないように、今から意識を高めていきましょう。
2010年6月16日 09:36 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第四回
【相談】
私は自分育てにハマり過ぎて、子育てを忘れてしまう時があります。バランス良く生きる為に、本多さんが心掛けていらっしゃる事があればアドバイスをお願いします。
【回答】
一言で言うと、それが正しいことなら「背を見て育つ」とい格言もありますから、そのまま続けていて宜しいのではないでしょうか?
真似られて困るようなことさえしなければ良いと思います。
たとえばパチンコにはまってしまったとか、ゲームにはまってしまったというのではないのですから。
一番良くない結果を招くことは、「こうでなければならない」「ああでなければならない」と決め込んで、自分をその枠をはめ込んでしまい、いつも他者の目線で自分を推し量ることではないでしょうか。
そうなると、必ず夫の行為行動にも、子供の行為行動にも同じ枠で推し量り、はめ込んでしまうことになります。
それは、冷静そうに見えて、冷静なのではなく、軌道を外れないようにしようとか、失敗をしないようにしようという恐れの方が強く出ているように思います。
それよりも、限界を決めずにできる限り成長したいという思いを大切にした方が結果も良くなると思います。
想像とは夢を持つことで、創造はその夢を具現化して実現することです。
このどちらの「そうぞう」の力も子供に欲しい力ですよね。
要は、他人目線を基準にした子育てだと、想像力は育ちませんし、創造することすらおぼつきません。
そのような面白みのない子供に育てるくらいなら、母親が信念をもって父親と志を同じくして邁進する姿を見せていた方が、よほど子供にとって活学となるのではないでしょうか?
必要なことは、「ありがとう、応援してくれて」と子供の努力に対して報いるこだと思います。
自分のやりたいことを我慢して子供のためにと思って何かをした場合、人間なら必ず、
「これだけ子供のためにしているのに・・・」
といった感情が起きるはずです。それよりも、
「本当に応援してくれてありがとう、あなたが応援してくれるから幸せよ」
と言われて育った方が子供の精神衛生上良いと思います。
たとえ幼くても、自分が人の役に立っているんだ!!と自覚しながら育てば自信がつきます。
そして、人の役に立つことは嬉しいことだという経験も積めて、心を育むことができます。
ご自身のしたいことをしながら子供の心も育つなんて、一石二鳥ではないですか。
いかがでしょうか?
まずはご自身が自信を持って子育てをしてください。
大丈夫です、間違ったことをしていないのですから。
『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第五回目のテーマは「差別」
「外人がね・・・」
「それって差別用語ですよ」
「え?なんで?」
「知りませんけど、そう学校で習いました」
「あなたの学校の先生は***だったの?」
「わかりませんけど・・・」
「外人って差別用語の訳ないじゃない」
「え・・・・ただ外国人ならいいって言われました」
「どうして?」
「知りませんけど・・・なんででしょう」
「分からないで言ってるの?」
「学校で教わったから。ああそうそう、韓国人も中国人も差別用語だって聞きました」
「信じられない・・・アンビリーバボー!!」
外人が差別用語って誰が言い出したの?
日本語は字が意味を語っています。
だから、「外人」とは「そとのひと」「ほかのひと」という意味です。
『外』という字は「がい」「そと」「ほか」・・・など読み方があります。
「外国人」は「ほかの国の人」という意味で、国が主体。
日本以外の国に所属する人といっているわけです。
しかし、「外人」は「日本人以外の人(日本人ではない人)」という意味で、人が主体。
何が差別なの?
人を主に持ってきた外人が何故差別用語なの?
韓国人、中国人も差別用語とは何故なの?
韓国の人、中国の人って言わなきゃいけないってどういうこと?
なんで、韓国の人、中国の人って言わないと差別なの?
かえって意識する事の方が差別ではないのかしら?
アメリカ人とかイギリス人っていうじゃない、アメリカの人って言う? イギリスの人って言う?
いえいえ、言いいませんよ。
アメリカ人は自国をステイツって言います。
でも、私達は絶対そうは呼んであげないですよね。
これが、アメリカではなかったら、ステイツと呼ばないと言って差別だって騒ぐのかしら?
今や日本人で韓国を身近に感じると答えた人は50%
韓国人で日本を身近に感じると答えたのは42%
こういう数字が出ているのに、今さら外人、韓国人、中国人が差別用語とは・・・
日本語の持つ意味、音の響きなど、日本語で育った人にしかわからないものもあります。
それを考えたら、外人を差別用語と最初に言った人が、差別意識が高いのではないでしょうか?
個を大切にすることを差別ととらえているのではないでしょうか?
差別と個を大切にすることは違います。
私は地球は一つと言うのは、それぞれの個を大切にするからこそ一つになれると思うのです。
私たちが親から生まれてきたから、親と同じだと言われても反発するのと同じです。
個を大切にしないで地球を一つにしたら、それこそ弱肉強食で武力の強い国の人に同化しなければならなくなりますよ。
文化も文明もなくなり、総て均一化してしまい、美術も芸術もどこへ行ってもみな同じになってしまう。
こんなつまらない地球にしたら、地球の創造主はどう思うかしら?
もっと日本語の奥深さを学んでから、差別と叫んで欲しいですね。
本当の差別は、意識をする事だと私は思っています。
意識をしなければ差別など起きないのですから。
私は個を大切にして、地球に住む者達が、みんなで協力し合い、地球にとってよい存在となることが大切だ思います。
平和を叫ぶのは、平和ではないからです。
平和なら、改めて誰も平和は素晴らしいなどと騒ぎはしませんから。
真に公平で差別を意識をしない社会を作るには、お互いが自分と違う者を認め、敬う気持ちを持たなければなりません。
だから、差別だと騒ぐなら、みんなが自分以外の人、自分の仲間と違う人を認めて敬って大切にすることから始める必要があります。
差別は自分以外の人を認めず、自分が一番正しいし素晴らしいと思い、自分以外の人を蔑むから起きる意識です。
いつも、自分以外の人を称えて、違いを楽しみ、差異を大切にすれば、差別意識などなくなると思います。
私は日本人だから、日本人の友達が一番沢山います。
みんな素晴らしい人たちです。
でも私は北京や上海を故郷とする中国人の友達も沢山います。
みんな素晴らしい人たちです。
私は台湾人にも韓国人にも知り合いがいます。
みんな素晴らしい人たちです。
私はみんな大好きです。
それぞれ所属先が違うだけでしょう。
パナソニックの人とソニーの人が売上を廻って競争をします。
でもお互いどこに勤めているか知らないで知り合ったら、きっとすごく仲良しになります。
でも所属先を知ったとたんに、あれは言えない、これは言えないとなります。
これが違いを意識する始まりです。
だから、国が違うことだって、言葉が通じないから余計に差を感じるだけです。
これを、金星で、金星人と一緒に日本人が中国人と会ったら、それは母体が地球で一緒ということから急に仲良くなります。
それなのに、地球にいるときはへんな意識をして、仲良くなるチャンスを逸している。
本当にもったいないですね。
お互い自分以外の人を認めたら、差別なんてなくなり、世界が広がるから本当に楽しいですよ。
武士道ワンポイントレッスン
七回目のテーマは「育てる・教育」
人を育てるっていうことは、薄いティッシュペーパーを一枚一枚丹念に重ねて厚みをもたせて行くような作業と同じだと塩川先生が以前理事会で仰った事がありました。
頭の中では理解していても、イザ実践となると一枚一枚重ねている内に、
『こんなにやっているのに!! 何で分かってくれないの??』
などと思うことも多々あるでしょうね。
でも、思った瞬間に、今まで重ねたティッシュペーパーが全部吹き飛んで、なくなってしまうんです。
先日のニュースでも、母親がオムツをしている1歳の赤ちゃんに熱湯をかけて、皮膚がめくれるほどの火傷を負わせたとありました。
間違えて熱湯のシャワーをかけてしまったと言っているとのことですけど、それなら母親の手にはかからなかったの?
辻褄が泡なすぎるし、不注意なら程が有ると思います。
ティッシュペーパーを箱ごと積み上げるような家庭教育を受けてきた母親なのかしら?
そうなると、祖父母が悪いわけで、その祖父母も曾祖父母の育て方が悪かったということになって・・・
切りがないじゃないですか。
切りが無いと思ったら、気づいた人から始めるという運命を担ってきたんだ、きっとご褒美は多きいと思って、“選ばれし人” となったことに自信を持ちましょう。
人を育てるという “人” の中には自分も入っています。
親の育て方が悪いと思った人が、18歳になっていたら、
気付いた人が始めなければならないから、まず自分を育てることから始めないとならないというわけです。
何でも人のせいにしている時は楽なんです。
でも楽をしていたら良くならないわけで、何でも苦労や辛さの中に学びがあり、それを習得すると成長という成果を戴けるんです。
成長すると、今まで苦しかった事が苦しく感じなくなる。
それは、小さい時に掛け算九九を覚えるのに苦労して、八の段なんて何でやらなきゃいけないんだろう・・・なんてボヤキながら勉強したことを思い出せば分かります。
掛け算を覚えておいて良かったですよね、今考えると。
当時は、嫌だい嫌だと思ったテストも、今考えると、そのお蔭で恥をかかずに済んでいるということです。
それは、勉強だけでなく生活習慣など総てに言えることなんです。
だから、育てるということはは、自分を育てる事も入っていて、とっても大事な事なんです。
自分が育てば、間違いなく周囲が育ちます。
先ずは薄紙を一枚一枚丹念に積み重ねるように、生き方を考えて、教育を考えていきませんか。
きっと世界が良くなると思います。
・人に迷惑をかけない
・人の嫌がることはしない
・自分が我慢すればよい事なら喜んで受けようと思う
・人の嫌がる仕事は自分が引き受けよう
など、最近は死語になってしまった言葉を思い出して、実践していきましょう。
教育者にとって、
①先ず自分が変わること
②気長に構えて怒らない
③感情的にならない
④必要な事を嫌われると思っても伝えていく
⑤大好きといいながら注意をしていく
⑥教えている人の幸せをいつも考えている
この心構えが必要ですね。
2010年6月14日 08:13 AM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
6月13日の日記
梅雨だと太陽が昇ってサンサンと日がさしていると嬉しくなりますね。
でも、雨が降らないといいと思うけど、雨が降らないと作物や飲料水がなくて困ります。
これって、良いことと悪いことは必ず隣り合わせってことですね。
パンプスを履いて外を歩くときは、雨など降らなければいいと思うけど、雨が降らずに農作物が高騰しても困ると思うし・・・。
人間って贅沢なんですね。
これが陰陽のバランスなんですね。
バランスの取れない生活は、必ず破綻するといいますから。
つまり、嫌なことを経験することで、その結果がよりよくなるということなんですね。
とかく嫌なことからは逃げたくなってしまいますが、それを受け入れて、挑戦することによって良い生活が得られるということなんです。
嫌な雨の日があるから、天気の良い日がありがたく感じ、そして、農作物も安く買える。
この不思議な陰陽のバランスは、太陽と月、男と女、昼と夜、など色々な面にあります。
これからは、陰の良さも考えながら行けば、より生活が充実しますね。
日本は雨が降るときは降りっ放しだけど、南半球は雨がスコールのように強かったのに太陽がさす間があったり、また、青空の中に雨雲が点在していたり。
当たり前がないということも理解できますね。
当たり前になったとき、人間は不幸が始まるように思います。
やはり、いえることは毎日当たり前のことにも感謝することですね。
2010年6月13日 11:29 PM | 日記 |
『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第四回目のテーマは「革命・維新」
私の知り合いの先生で堀内保丸先生がいらっしゃいます。
もう82歳だったでしょうか。加茂一族の末裔です。
加茂一族はあの八咫烏です。
高校教師をしていた堀内先生の体験でとても胸を打つものがありました。
東大を目指している高校生が堀内先生に
「先生、最近勉強するのがばからしくなりました」
というのですね。
理由は皇太子様はあの様に恵まれているのに、自分は遮二無二努力をしなければ幸せを得られない、不公平だと言うのです。
だから、スタート地点が平等であるべきだというのですね。
そこで堀内先生は生徒に、親の七光りがあって、出発点から差が生じているのは不公平だと言うのか、それで幸福をつかむのは卑怯だということか、と確認します。
生徒がそうだと肯定すると、堀内先生はその生徒にあることを要求します。
それは、親から貰い受けたものは七光りや財産だけでなく、生まれつき目が見えないで生まれてくる人もいる。
スタート地点が同じでなければ不公平だと言うなら、その人の為に自分の眼を抜き出して、その人と同じスタートラインに並んであげられるかといいます。
そして、将来財産ができても子どもには残さずに寄付をするか、と聞きました。
生徒は答えられなかったんです。
堀内先生は、真の革命とは、富や権力の譲渡を迫るものではなく、人間を富や権力の誘惑から解放することであるとおっしゃっているのです。
こういうことが書かれた本が絶版になってしまっていて、復刻版が出版されないのですね。
本当に残念に思います。
これらのことは今の時代の先生の勉強にもなり、そのまま世の中に通用する教えだと思います。
教師の資格更新では、武士道(徳育)を入れて欲しいな・・・と思うのはわたしだけでしょうか?
明治維新だって、結局は富と権力のすげ替えといってしまえばそれまでというところもありました。
だって本当に無欲で闘った人は、日本を動かすこともなくみんな死んでしまったのですもの。
坂本龍馬だって、西郷隆盛だって、吉田松陰だって、佐久間象山だって、みんなみんな死んでしまいました。
この人たちが日本を動かしていたら、どうなっていたのかしら? と考えるだけでも胸が躍ります。
本当に平成維新は、人間を富と権力の誘惑から解放するものであってほしいです。
ここに気付いた人が次のリーダーにならなければ、どれだけ人が入れ替わっても、きっと世の中はあまり変わらないように思います。
どの時代も、富に目がくらみ権力にあぐらをかき始めると、世の中が乱れてきます。
勤倹質朴であることが、良い世の中にする絶対条件だと私は確信しています。
贅沢をしたい自分の心と戦い、同じ地球に生きる人で食べるものすらなくて苦しんでいる人に、少しでも分け与えたいと思って欲しいと思います。
みんな自分の余裕の部分でしか助けようとしない昨今。
工面をして助ける事の美しさや素晴らしさを味わって欲しいと思いました。
きっと、飛行機のファーストクラスの一座席をぬいぐるみの為キープするようなことを思いつくから、詐欺も思いついてしまったのでしょう。
それよりも、同じ地球で困っている人を救うためにそのお金を使っていたら、もっと違う形で世の中を風靡(ふうび)していたように思います。
欲の持ち方は本当に誤ると怖いです。
6月12日の日記
人間って、生まれてくる時も死ぬ時も、必ず誰かの世話にならないと無事にすまないのですね。
あまり、改めて考えた事がないと思います。私もなかったです。
でも生まれてくる時は母親、死ぬ時は子孫にお世話になるようにできているんですね。
結局は自分の先祖と末裔によって助けてもらうということ。
それなのに、最近は親殺し子殺しがあるのはどうしてなのかしら。
こういうことを考えたら、絶対に短絡的に自分を生んでくれた人や、始末してくれる人に手をかけるなどしないはず。
つまり、みんな何も考えていないのかな・・・なんて思います。
なんか難しい話になっちゃった・・・
6月20日日曜日10時~13時 東京PHP研究所(半蔵門駅上)
6月26日土曜日10時~13時 京都PHP研究所(京都駅八条口徒歩5分)
武士道協会主催 人間力向上セミナー を開催します。
参加費: 会員無料、非会員1,000円です。
誰でも参加できますので、ぜひ一人でも多くの方がご参加下さい。
武士道協会のHPから申込できます。
みんなで、明るく苦しくなく明るく生きる方法を探していきましょう。
2010年6月12日 11:04 PM | 日記 |
6月11日の日記
今日は、德の道を食の切り口から講義をさせて頂きました。
逆ですか・・・食の道を徳をもって。。。。
やっぱり德の道を食の切り口ですね。
今日は逢坂さんがブログに訪問してくださっていると聞いて、感激です。
食べるということは、何かしらの生きている命をいただくことになります。
だからこそ、徳がなければ殺しになってしまうということをお話しました。
我々の食べ物となってくれる生き物の命の分まで
私達は一生懸命生きる義務があります。
だから、自殺などもってのほか。
死にたくなってしまったら、死ねば楽になれるなんて絶対有り得ない
ということをもう一度考えましょうね。
死んだ後も、今の世界が続くそうです。
生きてさえいれば、どんな苦しい事でも必ず乗り越えられるそうです。
艱難辛苦の中に、成長の鍵があります。
成長すれば心が広く、強くなります。
心が強くなれば、生きることが楽になります。
なにしろ、人目など気にするのはやめましょう。
人目は気にせず、他者の喜ぶ事をしましょう。
人目とは、あの人は私をどう思うのか? という視点です。
これは、自己評価を気にしているだけで、他者のことを考えてはいません。
他者の喜ぶ事とは、あの人は何をしてもらったら喜ぶかな・・・と考える配慮です。
考え方は100人いれば100通りです。
自己主張しすぎず、卑下をしすぎず、バランスをとりましょう。
お互い様なんです。
だからお蔭様で生きていられるんですね。
いい言葉です。
日本語って本当に素晴らしいです。
2010年6月11日 11:54 PM | 日記 |
6月10日の日記
今日は「時の記念日」
とてもロマンチックな響きですよね。
時の記念日の由来は、今から1300年以上前の天智天皇の時代までさかのぼります。
漏刻といって水時計が初めて皇居に置かれたのです。
それは、木箱を階段状に複数個置いて、それに管を通して水を流します。
順番に下の箱へと水は流れて、一番下の箱に矢を立てて置き、その浮沈で時刻をはかったそうです。
それで、日本で初めて時を告げた事を記念するために、後年になって設定された記念日だそうです。
ちなみに天智天皇の時代は中央集権政治が確立され、日本が国らしくなってきた頃。
今は地域主権型道州制が言われています。
時代の移り変わりを感じますね。
でも、死んだ世界は時間の観念がないと良く聞きます。
昔は死後なのか生前なのか、あっちの世界とこの世との差がすくなかったんでしょうかね・・・
時計を見ながら、私は時間に振り回されているな・・・と反省しながら思いました。
2010年6月10日 02:49 PM | 日記 |
6月9日の日記
今年は「トイレの神様」の歌が流行るとか。
トイレには女神様がいるという歌ですが、どうもトイレには拝むのが上手な神様がいると私は聞きました。
その神様は何もできないのだけど、拝むのは誰よりも上手だとか。
だからトイレを綺麗にしておくと、その神様が一緒に願い事を拝んでくれるんですって。
誰よりも拝むのが上手だから願いが叶いやすいと。
だから、私もトイレは綺麗にしておくように一生懸命磨いてます。
だた我が家のトイレは、外国人デザイナーさんの作ったものらしく、扉がありません。
開放感を出すためといって、改装を依頼しても許可が下りませんでした。
トイレに開放感が必要なのか・・・いくらデザイナーの気持ちになって考えても、いまだ納得行く答えが出ません。
利用者にとって使いやすいトイレの方がいいと思うのは、私だけなんでしょうかね・・・。
あと、私は“外人”と書きたいのに、外人は差別用語だとか??
そんな馬鹿な!!と叫んでも、変な人が差別用語だって決めたらしい。
だって「そとのひと」あるいは「ほかのひと」という意味でしょう。
つまり、日本の外にいる人、日本人以外の人という意味でしょう。
なんでそこに国をつけなければならないの?
また、国をつけたらどうして差別用語にならないの?
これ一言物申すに書こうかな・・・
皆さんはどう思います?
2010年6月9日 11:43 PM | 日記 |