相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第三回
【質問】
この間、仕事で上司に絞られ、ホントに自分は甘いな~と思いました。
上司が怒らずにすむような状況を作っていかないと、みんながしんどいなと思います。
上司に怒られてる時、じっと上司の顔見ながら、しみじみおもいました。
『リーダーなんだから』と言われ、(そんな器じゃないですよ~)と思うのは、逃げですかね(笑)
解かってて、なぜやらない!て事ですよね?
【答え】
自分を甘いなと反省できたことが素晴らしいですよ。
怒られるとたいていは
「うるさいな」「またかよ」「はいはい、いい加減にしてよ」
などと心の中で思うものです。
それを、自分は甘いと思って反省し、その上みんながしんどいだろうと考えられるなんて、とても素直で素敵。
ただ、『リーダーなんだから』と言われたのは、それだけ期待をかけられているということ。
『そんな器じゃないです』などと卑下しないで、『くそーーー!!二度と言わせるものか』くらいの気持ちになって欲しいですね。
昔から、これを発破をかけるというのですから。
この奮起する気持ちが、その先の成功につながるんですよ。
みんな人目を気にするから、起こられた時点でプライドが傷ついたと言い出して、この奮起がヤケになってしまって、投げ出して逃げてしまうことが最近は多いんです。
是非、次からは「なにくそ!!」と思う気持ちになって、そのパワーを仕事に向けて奮起してください。
きっと成功します。
楽しみにしていますね。
6月8日の日記
遠距離介護をし始めて、かれこれ一年以上たったかしら。
一人住まいの父だから、時々見に行っていたのですが、最近は食事(お惣菜)を総て宅配したり、父の衣類も全部用意してもって行ったり、やる事が少しずつ増えてきています。
とても厳しかった父が、最近は私の言う事を素直に聞いてくれます。
今までだったら、こんなことを言ったら鬼のような顔をして怒ったな・・・
母が生きていたらびっくりしただろうな・・・なんて思う事がしばしば。
それでも、私のことは心配らしく、「え?大阪か? 大丈夫か?」とか「札幌? それは大変だな」とか、いつも私の身体を心配してくれます。
本当に親ほど心配してくれる人ってこの世にいないですね。
それに私が作ったお惣菜を、「自分の家に持って返って食べなさい」と言います。
「私が作ったのよ、重い思いをして持ってくの嫌だから食べてよ」と言うと
「そう言っても年を取るとあんまり食べられないんだ」と。
そうか、親が強かったときって、頭に来ることが沢山あったけど、それって責任が全部親にあったんだ。
なんて今頃改めて意識しました。
親って当たり前に自分の前にはだかっていたけど、親が年を取らないと分からない事って、いっぱいあったんだ。
片方でも親が生きている内に気がついてよかった・・・。
今は父を看られることが、とても幸せに感じます。
総て視点(見方)を変えると、大変な事も幸せに感じますね。
本当にありがたい、ありがたい、ことです。
2010年6月8日 09:33 PM | 日記 |
6月7日の日記
今日はとても嬉しいことがありました。
それは、最近どうしていらっしゃるかな・・・と気にしていた橋本さんから
お手紙をいただけたからです。
転送されてきたから、私の手元に届くのが遅れてしまいましたが
本当に、元気に過ごされているようで嬉しくなりました。
ブログにもあまり投稿して下さる方がいないし・・・、あまり経費をかけるのも・・・また、管理してくださっているハーモニーさんにも迷惑かけてるかな・・・なんてちょっと考えていた所だったので、手紙の中に「ブログから学ぶ事がたくさんある」と書いてくださっていたのを読んで、ブログを始めて、そして、ハーモニーさんのこともコキ使っていて、ああ!!良かったんだと身体全体が楽になりました。
橋本さん、本当にお手紙ありがとうございました。
お手紙を書こうと思っています。
でも、ずいぶんその前の書かなければならないのがたまっているので、ちょっと時間がかかってしまうので、先ず取り急ぎブログ上でお礼を申し上げます。
本当にどうもありがとうございました。
今日はいい事があったと思えた一日でした。
人間は人によって生かされていて、人によって幸せを与えられているということが、また実感できました。
私も橋本さんの一生懸命な生き方が大好きです。
お体には充分ご留意くださいね。
体調が崩れているときって、何かのお知らせですから。
何を求められているのか? なすべきことで忘れていることはないか?
なんて考えるチャンスと思って、みんなで支えあいながら行きましょうね。
2010年6月7日 11:27 PM | 日記 |
武士道ワンポイントレッスン
六回目のテーマは「幸せ」
幸せとは、嬉しいと思うこと、苦労して目標が達成できた時の感情などを言います。
大きな成果を得られたことにだけ幸せを感じる人は、鈍感な人といえるでしょう。
日常生活の中にあって、日常生活の中にあって、些細な幸せを感じられる様になること、幸せを感じられる様になること、これが本当に幸せになるということです。
だから、大きな成果が出たときに、誰からも恨まれないでみんなに祝福をしてもらえて、大きな幸せを得られるのです。
些細な事って気がつかないじゃないですか。
だからこそ、小さな小さな気遣いをしていただいたことに気づいて、ありがたいなと思う気持ち。
これが幸せの始まりなんです。
人の好意を素直に感じる心を持てることが、一番幸せの近道なんです。
幸せって、一人一人違うって聞くでしょう?
でも、誰でも誰かから自分を思ってもらっていると本当は嬉しいですよね。
でもね、それを「うっとうしい」とか「うるさい」とか、ついつい思ってしまうんです。
そう思わずに、『こんなに一生懸命私のことを考えてくれているんだ』 ととらえるのです。
そして、これ以上は口をはさまないで欲しいと思ったときには、はっきりと相手の立場や面子を考えながら自分の気持ちを伝えます。ここで気持ちを伝える時に、相手の面子や立場を考えないで、自分の視点だけでものを言うからもめてしまうんですね。
このように幸せを得るということは、工夫も配慮も必要なのです。
工夫も配慮もなく、ただただ幸せが転がり込んでくるなどありえません。
でも、みんな楽をして幸せを得たいと思っていませんか?
そうなると、幸せを得るための準備段階(=辛い時)で、先に進めなくなって結局幸せを逃してしまうんです。
幸せって、考えるほど大変ではなく、嫌な事も辛い事も、みんな『ありがたい勉強をさせて戴いている』と思っていると、不思議と後ろからポンポンと肩を叩いてくれているものです。
あっそうそう、会社の肩叩きではありません(笑) 会社の肩叩きは強烈でしょう?
でも幸せのたたき方ってね、サラサラっとして爽やかだから、些細な事にも感謝しているような人でないと気がつかないんですよ。
欲張っていると【欲】という鎧を着ているのと同じで、身体が鉄の鎧を着ている様になっているから、ぶっ飛ばされるくらいでないと気がつきにくくなるんですね。
だから、悪い欲は怖いですよ。(⇒欲については、改めて書きます)
幸せになりたければ、小さな細やかな他人の親切に気づきましょう。ありがたい、ありがたい、って言って暮らしていると、福の神が寄ってくるんです。
そして、欲や見得をすてて鎧を脱ぎ捨てましょう。
すぐに幸せが近寄ってきてくれますよ。
楽に幸せに生きるには
①許すこと
②こだわらないこと
③人目を気にしないこと
④人と自分を比較しないこと
⑤親孝行をすること
⑥感謝はずっとし続ける事
⑦相手の立場を理解すること
⑧思い通りにならないのが人生だと思うこと
⑨必要以上の物欲を捨てること
⑩心の成長を心掛けること
⑪マイナスな意味の言葉を使わないで言い換える癖をつけること
これに徹していたら、まずは悩みません。
許すこと大変なことだけど、許すと自分が楽になるんです。
人の事など気にしないというのは、このようなときに使うものなんです。
自分にひどい事をした人のことを考えているなんて、エネルギーの無駄遣い。
だから、人の事など関係ないから気にしないという気持ちになれるといいですね。
さあ、今から幸せが肩をトントン叩いてくれたのを気づける人になりましょう。
2010年6月6日 08:41 PM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
武士道ワンポイントレッスン
五回目のテーマは「我慢・こらえる」
今辛い、理不尽だと思う人に読んでもらいたいです・・・
『なりたくない自分にならなくていい』
こんな標語が目につきました。
つまり、やりたくないことはしないでいいって事なのでしょうか。
それとも無理はしないでいいということなのでしょうか。
本当にそうなのかしら?
時として我慢をして、無理をしてでも乗り越える経験は、生きていく上で絶対に必要な力です。
これを人間力といってもいいくらいです。
何かが起きた時「嫌だ嫌だ」と思うだけで、発想の転換をしなければ、それが成長のための大切な学びであり経験であることも解らずに、嫌なことが繰り返されていきます。
小さいときから我慢の経験がなければ我慢の後に、しばらくして忘れた頃に、ご褒美が来ることも知らずに終わってしまいます。
これこそ!アフリカのワンガリ・マータイ女史ですっかり有名になった『もったいない』です。
せっかく生まれてきて、心を強くできるチャンスを逃してしまうのですから、もったいないというしかないじゃないですか。
ワンガリ・マータイ女史だって、ある日夫が荷物を整理して出て行ってしまいました。
その上、離婚の裁判中に悪い事もしていないのにイジメで刑務所に入れられたりしました。
それでも頑張って子供を独りで育てながら働きました。
そんな苦しい時をこらえて乗り越えたから、今のワンガリ・マータイ女史があるんですね。
他の人が「もったいない」と唱えても、これほど有名にはならないでしょう。
誰もが不幸を感じる時は、みんな自分だけが不幸だと思えてしまいますね。
でも、世の中にはけっこう不幸仲間が沢山いるもんなんですよ。
そうでなければ年間3万人もの自殺者がいるわけないのですから・・・本当にもったいないです。
そして、工夫をすれば、必ず乗り越えられるように仕組まれているんです。
負の体験によって得えられる事や学べる事は何か?一生懸命考えましょう。
そうすれば、必ず日が差して、問題は解決されます。
神様は必ず乗り越えたらご褒美をくださるんです。
私のいう神様って、なんか、「お天道様」って感じで言っています。
私たちをいつも温かく照らしてくれて、雨の日だって雲の上ではお天道様が照らして見守ってくれている。
お天道様は総てお見通しだから嘘がつけない。
一生懸命生きていたら、努力していたら、誰もわからなくてもお天道様だけは解ってくれている。
そんな感じに私は神様と言っています。
いま苦しい人、本当に絶対大丈夫です! 絶対に我慢したら良いことが待ってますから、こらえる喜びを感じてみませんか?
こらえきれないで自分で自分の命を絶ってしまう人、逃げてしまう人、本当にもったいないです。
お母様はお産の辛さを乗り越えて生んでくれたのではないですか。
それが無になるだけでなく、その母親に悲しみと苦しみを味あわせてしまうのです。
自分の辛さを誰かに引き継がせてしまうのですから、必ず何とかなると思って自分を責めないで、コメディ映画でも観ましょう。
逆にこらえる事に成功したら、それをまだ経験していない人に伝えて行きましょう。
少しずつ人の役に立っていることを感じて、過去の自分と同じように苦しんでいる人に貢献していると自覚していく内に、自信がつき毎日が楽になります。
間違いなく本当です。
頑張りましょうよ、私と一緒に…ね。
こらえる方法は、つまり上手く我慢して乗り切るには、先程も書きましたが『発想の転換』です。
視点を変えるのです。
『もう嫌だ! 何で私ばかりがこんな目に遭うの?』 という言い回しから
『私って力があるって神様が認めてるんだ、どうしたらいいんだろう?』
に変えましょう、また、
『もう無理』 という代わりに
『あと一歩足りないのか!』 といった具合に自分で自分を助けながら生きるんです。
負の体験をすることは、恥ずかしいことでも、みっともないことでもありません。
力があるからこそ選ばれた人の証だと、胸を張って鏡の前で泣きながらでいいから
『私、頑張れるもん。私は私が大好き、ぜったい乗り切ってみせる』
と何も考えずに何回も何回も言ってみて下さい。
鏡はそれを吸い込んでくれるんです、そして、
『私頑張れたよ。我慢して本当に良かった』と笑顔でと言える日を、必ずプレゼントしてくれるんです。
これは私の経験です。
鏡は神様につながっているって聞いた事があって、それで辛い時は必ずやっている“おまじない”です。
不思議と元気になります。
あ、そうそう、ご褒美のプレゼントは早くても半年以上先になりますから、焦って請求したりしないでくださいね。
ゆったりとした気分で気長にご褒美を待ちましょう。
沢山待った方が、有り難味も湧きますから・・・。
一緒に歩いていきましょう。
武士道ってまさに心の支えです。
2010年6月6日 06:18 AM | 日記,武士道ワンポイントレッスン |
6月5日の日記
大阪でお仕事でした。
大阪と奈良と京都の県境に、とても面白い地域があります。
なんと7月7日の七夕様の名称がたくさん地名になって残っているんです。
例えば、バス停で「天の川」停留所、星田駅、などです。
まだまだあるのを聞いてとてもロマンチックだと思いました。
東京にだけいた時は、他のエリアに行くとなんか違う感じがして居心地が悪かった。
でも、名古屋も大阪も自由に電車で乗り換えられるようになったら、全くその感情が消えました。
今日は、JR京橋駅で「この電車、大阪に行きますか?」って聞かれました。
「はい、いきますよ、だいたい7分位で着きます」なんて答えられちゃった。
すごい気分が良くなって 「東京から?」って聞いたら「姫路です」って。
良い意味で日本が狭く感じられるようになりました。
塩川先生が以前、今日は札幌だけど明日はノルウェーですって秘書さんから聞いた時、ええーーーと思いました。
札幌に行ってて、帰ってきた翌日にノルウェー?と驚きました。
でも、塩川先生にとっては地球は狭いんでしょうね。
2010年6月5日 11:09 PM | 日記 |
『私も一言物申す』 世の中に一言!! 一言私にも言わせて(^。^)
第三回目のテーマは「訴訟」
最近はアメリカナイズして簡単に訴訟をする人が増えた様に思います。
離婚問題ですら、当人同士が話し合いもしないうちに訴える夫婦も出てきました。
自力で考えて、譲歩しあって、和を保とうという考えがなくなって来たように思います。
簡単に訴訟が出来るようになると、不思議と人間に注意力や謙虚さが欠乏してきます。
そして、何かが起きるとすぐ人のせいにするようになります。
だから益々揉め事が増えてしまうのです。
最近、学校で子供同士の喧嘩で鼻血を出した子の親が、喧嘩相手の家を訴えたとか。
これでは子供に調和したり協調したりする力が育たなくなり、結果として大人になって自分の子供が人間関係が上手くいかずに悩み苦しむ結果を生むことに気づいていないのでしょう。
北海道のお寺で住職さんの若松お上人様から説法を拝聴しました。
公園の滑り台で遊んでいた子供が、滑り台の頂上から滑る時に坂にかかっていた鉄のアーチに頭をぶつけて怪我をしてしまったそうです。
その子の親はすぐに行政を訴えました。
色々取調べがあり、設計者にも事情聴取がありました。
その設計者は「わざと怪我をするようになっています」と言ったのだそうです。
つまり、注意をしないと痛い目に遭うよということを小さな怪我で小さい時から教えていくというのです。
私はこの話をから聞いて成るほどと思いました。
今育児中の若い両親に、絶対的に必要な知識であり、子供には必要な体験だと思いました。
この訴訟の結果は残念ながら知りませんが、裁判官が人としての生き方を理解している方だったらいいなと思うばかりです。
訴訟をするようになると理論ばかりが達者になり、善悪よりも言い負かした者が正しいとなることで、ならぬものはならぬのですという当たり前の感覚に障害が生じます。
戦争というのは、正しい国が勝つのではありません。
力の強い国が勝つのです。パワーポリティックス、つまり、軍事力にものをいわせた権力政治がまかり通っています。
喧嘩も正しい善い人が勝つのではなく、力の強い人が勝つのです。
そして、訴訟はいかに自分を正当化するかが勝負なのです。
つまり、反省などしていたら負けてしまうのです。
生きていく上で最も大切な『反省』が、勝つためには邪魔な存在になってしまうのです。
『反省』をするから、怒りも静まり、同じ過ちをしないで済むようになります。
結果として、自己主張が盛んになり、相手への配慮がなくなりますから、気付きや真意を汲み取る力が育たなってしまうのです。
最近は消費者が怪我をしたら、メーカーが訴えられて責任を問われることになるから、説明書にこんな事まで書かないといけないの? と呆れるようなことまで記載されているのを度々見かけ ます。
これではマニュアルがないと生きられない人間が育ってしまうわ・・・と懸念し、心配になってしまいます。
人間の目は自分以外を見るためについています。
だからこそ、心の目は自分の内面を見つめるようになっているのです。
そうしなければ上手く心身のバランスが取れないのです。
それなのに、何でもかんでも訴訟にもっていくと、自分を見つめる目が育たなくなり、他者を批判することが当たり前になってしまいます。
そうすると、被害者意識が高くなり、精神的にバランスが崩れて、かえって心の病になりやすいように思います。
訴訟も必要な時があるでしょう。
闇雲に訴訟反対を唱えているのではありません。
ただ、そのくらい自分達で話し合って解決したら? と思う喧嘩まで訴えるのはどうかと思います。
健全な楽しく幸せな毎日を送りたければ、訴訟は控え目にした方が良いのではないでしょうか。
相談コーナー 武士道精神で『悩みに答える!』 第二回
前回のこのコーナーでの 『人から嫌われたくない、好かれたい、という気持ちって、捨てた方がいいですか』 への解答に対して、次のような質問を戴きました。
【質問】
「それを利用してやろうという人」という人は無意識にそれをしてしまうものなのでしょうか?
それとも昔からの習性のようなものなのでしょうか?
相談者の方はこの気持ちを認識していると思いますし、治したいと悩まれています。
逆に利用してやろうという方の心情というのはどうなってしまっているのだろう、治るのでしょうか?
戦後教育の賜物?いや、そうでない方も多数見えますし。ふっと思いました。。。
【答え】
このような場合、私は相談者が直したいと悩んでいるかどうかまでは考えないのです。
それは、相談者本人にしか分からないことで、想像しかできないからです。
私にわかることは、本人が“今、困っている。だから解決したい”という事実だけなんです。
だから、嫌われたくない・好かれたいと思うことを止めれば解決になるから、そのために納得できる理由を書いています。
また、利用してやろうという人も、自分が人を利用していると意識しているなら直るでしょうが、おそらくその人なりに理由をつけているから、得したとは思うでしょうが『自分が悪いことをしている』という認識は無いでしょう。
だって、親に対する子供のほとんどがこれに値していませんか?(笑)
みんな、親に嘘をついて(みんなが持ってる・・・)と言って親の反対するものを買ってもらった経験などあるでしょう。
罪の意識って無かったですよね。私も有りませんでした。でもこのように考えるともう既に子供のときからやっているのに、意識がないだけなんです。
仏教 (仏様のような人に成るための教え) でお釈迦様は
「知っていて悪い事をする人と、知らないで悪い事をする人のどちらがより悪いか?」
という質問に、「それは、知らないで悪い事をする人の方が悪い」
とおっしゃっているそうです。
それは、知っていてする人は直すことができるし反省することも可能だが、知らないでする人は悪い事をしている事が分からないのだから直すこともできないし、また他者を不幸にしていることすら気がつかないでいるから反省もできないというのが理由だそうです。
利用しようとしている人も、嫌われたくないと思う人も、どちらも自分のことだけを考えているという点が同じだということです。
利用しようとしている人が自分のことしか考えていないということは誰にでも容易に分かります。
でも、嫌われたくないという人も、自分が災いやもめ事に巻き込まれたくないという自分の利益のみを考えているということで、自分のことしか考えていないとなるわけです。
それよりも、嫌われたくないから黙っていたことで、周囲とのバランス、自分とのバランス、或いは組織としてのバランスが上手く取れるかどうかを考えたらいかがでしょうか?
他者のことも考えたら、きちんと感情を抜いて、必要なことは言わなきゃと思うでしょう。
そうすれば、こういう悩みは自然と消えてしまうのですね。
鍵山秀三郎先生が「不幸に遭った時は、世の中の不幸が全部私のところへ来るといい。そうしたら世の中に不幸な人がいなくなる」とおっしゃいました。
感動しました、私はこれを書くだけで毎回涙が出ます。
すごいですよ、私はまだこの境地になれないでいます。
人間は人の為に生きると、周囲も人の為に生きるから、みんな助け合いになるのですが、最初にそれを始める人がなかなかいないのです。
だから、せめてこれはみんなが困る事だ、きちんと意見を言わないとダメなんだと思ったら、嫌われても良いやと腹をくくって言う事です。
そうすると、同じように周囲を考える人が寄って来て、利用するような人が寄ってこなくなるのです。
もちろん時間がかかりますが、最終的に安心した居心地のよい環境ができるのです。
やはり幸せは努力でしかつかめないものですし、類は友を呼ぶなんて“ことわざ”もありますから。
本多百代
6月3日の日記
ちょっと前までは、子供は泣いて当たり前、騒いで当たり前とみんな分かっていた。
自分の歩んできた道と言っていたように思う。
年寄りを見たら、これから歩む道と思うと優しくできると親に教えられてきたでしょう。
でも、最近は子供が泣くと、それが朝9時半過ぎていても「うるさい、眠れない」と文句を言う人が出てきた。
しかも、「静かにしてくれませんか?」ではなく「てめぇ!!うるせぇんだよ。寝られねぇじゃねぇか」と始まる。
挙句の果てに「ギャーギャー言わせんなら山奥の一軒家に住めよ」ときた。
これって逆ですよね。
「静かな所にいたいなら、山奥の一軒家に住むしかない」ではないでしょうか?
都心の住んでいて、物音のしない静かな所なんて、どうなんだろうか・・・。
この話を若いママから聞いて、助け合いって何を言うのだろうか?と考えました。
ボランティアや募金ではなく、こういうところで我慢してくれるのが何よりの助け合いではないでしょうか?
こういうような人に限って、ちゃんと挨拶ができない。
「こんにちは」と言っても無言でちょっとうなづくだけ。
これじゃぁ心が通わないですね。
人の気持ちを大切にする日本の文化。
ぜひ武士道を蘇らせたいので、皆さんお力を貸してください。
2010年6月3日 11:01 PM | 日記 |
6月2日 日記
2年ぶりに北海道に行ってました。
ホテルの空調が冷房になっていて、エアコンを切っても寒い!!
やはり夜はまだ暖房欲しかったです。
昼間は半そでで汗を流していたのに、本土との違いを感じました。
北海道は海の幸も美味しかったし、じゃがいも料理も抜群!!そして、小樽のびっくりシュークリーム、子供の顔くらいありました。
札幌の狸小路にある“卵かけご飯”のお店、美味しい秘訣は卵をシェイクして空気を出しているからだそうです。
こんな美味しい卵かけご飯を食べたのは初めてです。お茶碗1杯・味噌汁・香の物で250円、安い・・・。
でも結局どんぶりいっぱい食べられてしまうから不思議です。どんぶりは400円だったかな?
私の生活圏である東京や名古屋よりも北海道は時の流れが緩やかに感じました。
異国情緒あふれる中に、日本が調和して生きている、そんな感じがしました。
今回は日蓮上人の武士道を勉強してきました。
うぅ~んやはり改革をするには、命を惜しんでいてはできないんだ・・・と思いました。
私はどうかしら? まだまだ命を惜しむ自分を発見。ちょっとショック・・・
日本を良くしたいからみんなで手を取り合いましょう、と言ってもそれぞれのやり方でやっていて、そんな簡単に徒党を組むことはないですよね。
それと同じで、仏教もキリスト教も宗派が違うとなかなか仲良くできないものなんですね。
2010年6月2日 11:56 PM | 日記 |