日記

非礼「蛤の変」

2010年12月4日

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非礼「蛤の変」で臨時国会が終わったとニュースに出ていました。皇室に対する非礼問題です。民主党は皇室に対して反感を持っている人の集まりなのでしょうか?それにしては前原さんなどは保守派をうたっていると聞きますが・・・
もし蛤さんが中国の胡錦濤さんを相手に非礼な態度をとってこれだけ問題になっていたら、管総理大臣は今のような態度をとっているでしょうか?相手が皇室だったから? と取れるような態度はいかがなものでしょうか。誰に対しても無礼非礼をしないように心がけるのが人としての振る舞いであり責任です。
礼を守り節度ある振る舞いをしていれば、たとえ相手がどのように立派な、大切な、重要な、目上であっても目下の相手であっても何も問題は起きません。だからこそ、武士道精神が必要であると私は唱えているのです。非礼をするのは、相手を見下し、傲慢になっている証です。自分の役職に酔ってしまい、人間としての正しい行いに対する意識が足りないからであり、根本的な「禽獣との違い」を理解していないことが原因でしょう。
蛤さんがもし、自分の発言が本心でなく、つい口からポロリと出てしまったと言うのであっても、反省すべき点は「謙虚さがない」ということです。また意識して言ったのなら、逃げずに責任を取った方が潔く気持ちがいいですね。
政治家は日本の国民をリードする立場なのですし、国民に生き方のお手本を見せる必要があります。傲慢になるのは政治家を『選ばれた人』の解釈を曲解しているからだと思います。政治家が選ばれた人なのは『私は国民のために私信を捨てて公に生き、国民の手本となる行いをし、国に益をもたらします』と言ったからでしょう。細かい内容は違うにしても、究極的にはこういうことを公約したということです。
それを、自分が立派だから選ばれたと頓珍漢な勘違いをしていたら、四六時中大騒動を起こします。国民に選んで頂いたことに感謝をしていたら、このような恥ずかしい行いで、進退問題を起こしたりはしないはずです。今、蛤さんにとって大切なことは政治家として失脚したくないということではないでしょうか。だから責任を取れないのではないかと思います。もし失脚したくないと思うなら、尚の事、心の底から謙虚になることです。礼をわきまえ、他者を思いやる気持ちを育てることでしょう。それが、我と我が身を守ることになるのですから。
これで分かるように、武士道を身につけて他者に配慮することは、自分の身を守るとになるのです。科学者や物理学者が、研究を深めるにつれて、だんだんと心の在り方のところにたどり着くというのが、それを決定づけていると思います。佐治晴夫先生、佐藤勝彦先生の対談の共著にもありました。
『お金をあげたり、お腹が減っている人にパンをあげたりするのは、「私があなたのためにしてあげる」というのではなくて、この行為によって、私自身が安心するというか、幸せになれる。これが人間の本当の幸せなのかなと。そんなことを考えたりしました。』という佐治先生の言葉です。
蛤さんも、皇室に吐いた暴言は「暴言によって蛤さん自身が周囲からの嘲笑を受けた」ということでした。行いをただし、誰の事も否定せず、避難せず、良い行いを淡々と粛々を続けることが、身を守ることにもつながるということが、ここで改めて実証されました。やはり、今のご時世だからこそ武士道は必要です。
早く学校教育に道徳を取り入れてほしいですね。

武士道精神

素直であること、人を見下さないこと、謙虚であること、和を保ち批判否定をしないこと。そして、傲慢になる己の心を戒め、世のため人のためになることを考え、怠けず働くこと。本当に難しいことですが、清々しく美しい姿です。私も早く武士道精神を身につけて心穏やかに清々しい毎日を送れるよう努力し続けます。
和歌
明治天皇御製 
3日 かたしとて思ひたゆまばなにごともなることあらじ人の世の中
   (七ころび八起きの決心で励みましょう)
昭建皇太后御歌
4日 人はただすなほならなむ呉竹の世にたちこえむふしはなくとも
   (まず第一に心は素直であることが大切です)
発行明治神宮社務所

和歌

2010年12月2日

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32回目のテーマは「和歌」
日本の和歌には言霊があるそうです。小さいころ母が、ほつれた糸をほぐしながら和歌を口ずさんでいました。今思い出そうとしても全く思い出せず、失敗!!控えておけばよかったと悔いています。
何かなくしものをした時にうたう和歌もありますが、口ずさむと失せ物が出てきます。母が絡んだ糸をほぐしながらうたっていた時は、そんなことしたって無理とか無駄と思っていました。でも、今は間違いなく和歌には言霊と霊力があると信じます。
日本って素晴らしい国ですね。
日本語って素晴らしいですね。
9歳まで日本語で育てることが、日本の良さを身に着ける条件のようです。そして、戦前までは外国と同じように、日本人はみんな神様を信じていたんでしょうね。神様とは創造主ではなく、神道では先祖のことですから、神社の神様は全て生きていた人を祀っています。
余談ですが、岐阜には天照大神様が生まれたときの胎盤を祀った神社があり、荏名神社といいます。
伊弉冉命が山を下りてきて産気づいて荏名神社のところでお産をしたと言い伝えがあります。
私はこの言い伝えを何故か信じられるんです。
その周辺には春日町という地名もあり、春日大社の名づけの元になっているらしいです。春日町には天之児屋根命が住んでいたそうです。この天之児屋根命は藤原鎌足の祖先で、天の岩戸の前で、天照大神が姿を現してくださるように祝詞をあげた神様です。それで奈良の藤原家の氏神様の名前が「春日大社」となったとか。春日大社の祭神は武甕槌命。大国主命と事代主命に国譲りの交渉をし成功させ、建御名方命との力競べに勝った神様です。その武甕槌命の分霊を鹿島神宮の鹿の背に乗せて大和に運んだと聞いています。
その天照大神様の末裔が天皇家です。ロマンがいっぱいで、夢が膨らみます。その間、色々な戦いがありましたが、神武天皇からで2670年ですから、天照大神様からだと2700年以上も続いているのですね。西暦より長い歴史が脈々と続いていることが素晴らしいと思います。
CW二コル氏の「誇り高き日本人でいたい」という言葉を、私も同感に思います。誇り高くいるためには、生き方を正すことが必要です。相手によって接し方を変えたり、誰も見ていないから手を抜くことは『恥』です。信用信頼のおける人となるように、日々努力が必要です。
明治天皇御製 
1日  目に見えぬ 神にむかひてはぢざるは 人の心のまことなりけり
   (神様に恥じない心こそ誠の心です)
昭建皇太后御歌
2日 人しれず 思ふこころのよしあしも 照し分くらむ天地のかみ
   (心の中も神様はみていらっしゃいます)
発行明治神宮社務所

明治天皇御製

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巌上松
 あらし吹く世にも動くな人こころ
 いはほに根ざす松のごとくに
 たとえ、どのように嵐が吹きすさぶ、はげしい世の中の変動に会っても、あの巌の上に、どっしりと根を張っている松の大木のようにしっかりとした信念を持って、心を動揺させてはなりません。
素晴らしい和歌に出会いました。
これは私が引いたおみくじの大御心です。
まさに今を予測して明治天皇がこの和歌を詠まれたかの如くです。
やはり、おみくじは当たる、と思いました。
外国の占い師には「当たる」と評判とききました。
やはり、周囲がどうであれ、この和歌のように、どんと構えて堂々としていることが必要なのですね。勇気が湧いてきました。

杉原千畝

2010年12月1日

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11月29日(日)に半蔵門のPHP研究所にて、『杉原千畝の決断』独り芝居を武士道協会主催で上演されました。協会のHPでは報告しましたが、blogは控えていましたら、投稿が先になってしまい、大変失礼致しました。
宇佐見さんのおっしゃる通りでした。(11月30日に、当ブログにコメントを頂戴しました)
6000人の命は、杉原千畝氏の我が身を捨てた決断により実現されました。水澤心吾さんの感動する演技により、会場は清らかな涙が流れ、老若男女全員が武士道精神が生きる祖先の行為に誇りを持ちました。批判や攻撃はマイナスを生み、思いやりや慈しみは敵の心をも和らげ、解決をもたらすことを証明しているようでした。
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祖先の為した武士道精神による行為により、今を生きる人が恩恵を受けている事実を宇佐見さんの投稿で目の当たりにしました。
素敵な投稿をありがとうございました。
改めて、俳優の水澤心吾さんにこの場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
宇佐見さん、水澤さん、当日ご参加の皆様に感謝します。
武士道協会HP 関連記事⇒http://www.bushido.or.jp/#news_20101128

五箇条のご誓文

2010年11月30日

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31回目のテーマは「五箇条のご誓文」
昨日、明治神宮を参拝して、もう木々が紅葉していて、散歩にはちょうど良い季節でした。外人の参拝者が多かったです。カラスと一緒に和装の男の子が遊んでいると、外人さんが何人もで写真を撮っていました。男の子は自分を撮られているわからず無邪気に遊んでいました。きっと珍しいのでしょう。
伝統というものが如何に素晴らしいか、外人の興味によって改めて深く感じました。明治神宮という神々しい場所だからでしょうか、道すがら声を掛け合うこともしばしばありました。国と国は揉めていても、そこの国民には親友もいるし、恋人にしている人もいるかもしれません。そう考えると、やはり仲よくするために努力をすることが一番だと思うのです。国同士の仲よくするということを「平和」という言葉で表します。
「平和とは、心に浮き沈みがなく平らけく安らかに落ち着いていて、周囲との和が保ててい状態」という意味を持っています。
平和は左翼と言われる人たちだけが使う言葉ではありません。仲よくするには、平和を維持するには、人間一人一人が努力をしなければならず、ただ何も考えずに過ごしていては「仲よく=平和」の状態を維持することはかなわないのです。「仲よく」するために「武士道」という心の在り方が、今は世界に、つまり、地球上の人類すべてに備わっていると良いと思えるから、武士道を推進しています。武士道は戦争をするための心構えでもなく、生きる上で気持ちを落ち着かせ、冷静な判断をし、他者に迷惑や不快な思いをさせないように生きるための考え方といえましょう。
昨日掲載した教育勅語も、今日掲載する五箇条のご誓文も、世界に通用する素晴らしい教えですね。このような教えが日本にあることを私は誇りに思い、外国籍(外人)の大切な友人に贈ることにしました。日本の政治家の方々に、ぜひいつも胸にご誓文を入れてお仕事をして頂きたいと思います。特に総理大臣に望むところです。
明治神宮で求めてきた教育勅語の裏に書いてありました。
五箇条のご誓文
一.広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一.上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし。
一.官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦(うま)ざらしめん事を要す。
一.旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一.智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし。
我国未曾有の変革を為んとし、朕躬(ちんみ)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大に斯国是を定め、万民保全の道を立てんとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。
明治元年三月十四日
「五箇条のご誓文」意訳(口語文)
一.広く人材を求めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
一.身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。
一.文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
一.これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。
一.知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
これにより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力してください。
発行:明治神宮社務所 平成22年10月

教育勅語

2010年11月29日

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30回目のテーマは「教育勅語」
今日は明治神宮へ参拝に行ってきました。
教育勅語の意訳がありましたので、下記に転記してみました。たいせつな事は、戦うこと、主張すること、ではなく、調和すること、融和すること、助け合うことと教育勅語にも書いてあります。それが結果的に平和へと導かれていくのだと思います。融和や調和には、いがみ合うこと、相手を困らせることなどは当てはまりません。他者に注文をつけるなら、まずは自分がやってみましょう。
日本人は和を尊ぶ民族です。世界初の憲法17条も和をもって尊しとなすとあります。和とは、融和、調和、平和、柔和、温和、などです。足し算も和と言います。つまり、他を受け入れ、相容れ合うことでしょう。喧嘩も器の大きいおおらかな人の方が、一見負けたように見えていても、お釈迦様の手の中で頑張っていた孫悟空のような状態で勝つものです。
日本人としての誇りを持つということは、まずは和を尊ぶことではないでしょうか。武士道は誇りを持って生きること、信念を持って生きることを推し進めています。だからこを、和を大切にすることから始めたいと思って活動をしています。
「教育勅語」口語文 明治神宮発行
国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして、全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さん、お母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲よく励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助け合っていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかっているよね」と、信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。
誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬ををするのですから、「進んで勉強をし努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同法を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩べき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な心理にほかなりません。
そこで、私自身も国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるために、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
明治23年(1890年)10月30日
御名(御実名「睦仁」)、御璽(御印鑑「天皇御璽」) ―明治神宮崇敬会刊『たいせつなこと』より―

私の武士道論

2010年11月27日

戦争と平和が一心同体と思っていらっしゃるようですが、私の考えをお聞きになりたいとの事ですのでここに書かせて頂きます。
投稿者の方だけでなく、多くの方がいつもこのように戦争と平和は一心同体と思っていらっしゃるのでしょうか?平和は誰もが望んでいるものではないのでしょうか?そして、武士道は右翼でも左翼でもありません。左翼とか右翼とか、そういう区別をするような考えを私はしていないと言った方が正しいと思います。
中道、中庸が一番良いと思っております。
平和は中廉の状態であり、中道を行くものだと思っています。努力をしなければ保てないものが平和や安穏だと思います。人間一人一人が、自分の事だけでなく周囲とのバランスを考えて暮らさないと、平和を維持できないように思います。天地平和、人類和楽、真道即生、祖国安穏、天命完遂、そして、全てに感謝をすること。これを毎日肝に銘じて生活をしております。
戦争をするから平和が訪れるのではなく、平和を保つ努力がなされないから戦争になるのです。一心同体ではなく、戦争は欲と我の強さとがもたらした不幸としか言いようがありません。戦争と一心同体なのは不幸ではないでしょうか。戦争をしないで済むために、つまり、喧嘩をしないで済むような生き方を示していきたいのが武士道協会なのです。
攻めてこられたら攻め返さなければならない。攻められない様に軍備を整えなければならない。こういうことは、武士道協会が考えることでも努力することでもないと思っています。国が考えることで、今は民主党の方々に特に一生懸命考えてもらいたいことだと思っております。武士道協会では、人の心の在り方に焦点を当てております。
武士道は戦争に使うものではありません。精神的に辛い時に、道を外さずに、人間らしく生きるための、心の支えのようなものです。新渡戸武士道だけが武士道ではなく、新渡戸武士道は新渡戸稲造氏の考えをまとめたもので、それだけを武士道と言いきれるものではないと思っております。武士道は日本に口伝で伝えられてきたから、それまでに武士道という定義書などありませんでした。それぞれ家庭内や藩内での教育です。
だから、大まかなところは同じでも、細かいところを言い出したら家柄などによって違ってきて当然です。その時代、その環境により、違いが出てきて当然です。武士道を型にはめて、法律の様にマニュアル化することは意味のないことと思っています。
第5代会津若松藩主の書いた「武士道の教科書」(PHP研究所刊・松平容宣著)を読んでみてください。会津若松の什の掟を読んでも分かることです。親孝行の事がとても多く出ています。また兄弟での譲り合いのこと、勤勉なことなどが書かれてあって、戦いに強いことが書かれているわけではありません。葉隠も同じで、心の持ち方が書かれています。
新渡戸稲造氏も山本定朝氏も高い身分の武士ではなく、松平容宣氏は藩主で徳川家の血縁ですから立場は違うと思います。でも、書いてあることは心の持ちよう、生き方を書いてあるところは同じだと思います。
私は日本が大好きです。だから世界の他の国も同じくらい大切にしたいと思っています。君が代も、日の丸も大好きで、自慢したいものです。どこの国よりも素敵な旗だし歌だと思っています。君が代を和歌としてとらえたとき、歌うと涙が出るほど感動もします。
でも、旗に敬礼したり、講演の前に掲げたり唱和したりするのは、不届き者かもしれませんが、まだ違和感を感じてしまいます。つまり、得意ではなく苦手意識が先立ってしまいます。でも、とても平和を望み、地球全体で平和になるために何かをしたいと思っています。そして、個性を大切に、且つ、地球上で生きる人間同士、仲よく暮らしたいと思っています。これが私の正直な気持ちです。
だからこそ右翼でも左翼でもありません。冒頭でも書きましたが、左翼とか右翼とか、そういう区別をしておりません。常にバランスをとって、和を保ち、心を穏やかに、暮らしていきたいと思っています。でも、それは私にとって喧嘩をするよりも難しいことなんです。極端かた極端に走ってしまった方が、私には楽です。喧嘩をするのは、自分の意見が正しいからこれを押し通したいと思った時か、自分の方が得をしたいと思った時、自分の言い分を周囲に理解させたいと思った時ではないでしょうか。その対象者は、自分に対して反対意見を唱える者か、自分に対して不利益をもたらすものではないでしょうか。
だから、思いっきり喧嘩をしてしまった方が、その場はすっきりするし、正しいことをした気持ちになりました。でも、しばらくたつと、喧嘩は本当に空しいものだと感じるんです。喧嘩までしなくても、揉めて不快な気分を表現して相手に伝えてしまった後も同じで、たとえ自分の言い分が通っても後味の悪いものでした。
それでも争い事や不快さが絶えないのは、日常生活では日常茶飯事です。日常生活の些細な喧嘩が大きくなったものが、殴り合いの喧嘩で、それがもっと大きくなったのが国と国で争う戦争だと思っています。だから、武士道を学ぶことで、喧嘩をしないで済む方法、器を大きくする方法、人の命、生きとし生けるものの命の尊さを考えることをしていきたいと思ったのです。一番端末の草の根運動のところです。だからこそ、山谷えり子先生に副理事長になっていただき、学校教育に武士道(道徳)を入れて頂く様にお願いしております。
幸せを考えたとき、どうやったら気持ちを落ち着かせ、幸せをえられるのだろうか? と考えました。それには他者の立場を理解する(認めることではありません)ことで、自分の心の中に起きる怒りの気持ちを抑えて冷静さを取り戻すことだと思いました。そうすることで、対策を立てやすくなることも確かですから、危機管理もしやすくなります。危機管理は今の日本においても必要だと思いますし、足りない最たるものだとも思っています。
ただ、か弱い子供やお年寄りも、安心して暮らせる国にするために、私ができることは軍備だとか戦争だとかと言うことを考えるのではなく、まずは心が広く、穏やかで、自分も他者も同じように大切にする心を育てるところに焦点を当てたいと思ったのです。常に誰かと或いはどこかの国と戦々恐々とした状態にいることは幸せとは言えません。だから武士道を学ぶことで、礼儀を学び、信念を持ち、心から信頼される人になるための生き方を学ぶ機会を提供する組織が欲しいと思ったのです。
武士道は武士の再現でもなく、戦争の再現でもありません。武士道は人間が、人間らしく幸せに生きるための心の支えです。闘争心を支える物ではなく、戦争を起こさなくて済むように、譲り合いの精神(江戸しぐさともいえましょう)を育む教育ともいえると思っています。
それが武士の時代には、いつも命が危険にさらされていることから、その心構えもあったでしょう。戦争中は、それを悪利用されたこともあるでしょう。それなら、今、日本人の心として武士道を考えたとき、今の時代に即した幸せを感じるための心の支えとしていくことが、望ましいと武士道協会では判断しているのです。
私は国を動かすほどの人間ではありません。たいしたことも出来ないまま、普通に今まで生きてきました。ただ、色々辛いことも経験しました。だからこそ、少しでも今悩みを抱えている人達が、自殺をせずに生きる希望を持って下さったらいいなと思って、このブログも開きました。
私の考えが間違っていると思う方々にはどう伝えたら良いのか?と考えたとき、その場合はその方々がこのブログを読まなければいいわけだと思いました。報道の自由があるように、誰もが何を考えても良くそれが多数決で決まるのが民主主義だから、思ったことを書いて良いと思ったのです。
ブログを読んで少しは悩みの解決になるという人がいたら嬉しいと思っています。だから強制をすることは良くないですが、自分の意見を言うことは良いと思って、表現しています。だからこそ、私は他の考え方をしている人に、それは間違えていると言うつもりもありません。それぞれの考えがあるのが、個性であり、生き方なのですから。
そして、民主主義は多数決できまるのだから、マイノリティの立場の時は、粛々と自分の信念に照らし合わせながら、他者の幸福の邪魔をしない様に生きていきたいと思っております。ただ私が生きてきた今までの中で味わった悲しみや辛さは、もう起きないでほしいと思っていることも確かです。たいしたことではありませんが、些細な不幸でも当事者には辛いものです。これだけ自殺やネグレストによる殺人が増えている昨今、少しでもお役に立てればと思って活動しております。
武士道とは、惻隠の情、大和心だと塩川正十郎先生に初めてお会いした時に教えて頂きました。惻隠とはかわいそうともう心だと辞書には出ています。大和心は大きな和をもつ心と書きますように、和=コミュニケーション、融和、調和、平和と色々表現できます。つまり、仁義礼智信と漢字で表現するように、心の在り方の指針となるものではないでしょうか。
このような返事ではまだ説明不足でしょうか。誰とでも仲良くしたいといっているのではなく、信念を持って生き、それが世の中の役に立つことで有りたいと願っているのです。悪党はすぐに徒党を組むけれど、良いことをしている人たちは、それぞれでなかなか徒党を組まないと言われます。
きっと私のブログを読んでくださっている方たちは、純粋な素晴らしい方々だと思っています。だからこそ、ほんの少し表現が違うだけで、違和感を感じさせてしまうのかもしれません。心を割って話し合ったら、祖国日本を大切に思う気持ちが、少しも変りがないことが理解し合えるような気がします。
このような提議を頂けたことで、私も新ためて武士道について考える機会を頂きました。ありがとうございます。日本を末永く誇れる国として子子孫孫に残していきたいですね。
よろしければ、明日28日の武士道協会の観劇とトークにいらっしゃいませんか?武士道協会のことがよりお分かり頂けると思います。

お返事

返事を書いている間に、何本もコメントが来ていましたので、ここで総括的にすべてにお答えします。これに前後して、私の考えを掲載します。
この様に、面と向かって話し合っているのではないと、時間差が生じてしまい誤解が生じることもあると思いますので、できればお目にかかってお話したいですね。
私が言えることは、「私がそう感じている」ということです。
私の考えを他者に押し付けて、同じように思ってほしいと思う気持ちは全くありません。ブログですから不特定多数の方に話しかけているわけですが、特に武士道協会の会員さんを頭に浮かべながら書いています。会員さん以外の方も見てくださるであろうけれど、誰もに賛成していただける答えをかけるわけがなく、色々な反応があると思っています。誰だかわからない相手と討論をしても、なかなか正しくは伝わらないと思うからです。特に感情の部分は文字面では伝わりにくいと思います。
ぜひ、武士道協会の勉強会にいらしてください。
そこで、お目にかかってこの続きをお話しませんか?

人に好かれる方法

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29回目のテーマは「人に好かれる方法」
人に好かれるためにはどうしたら良いか?
評判がよくなるにはどうしたら良いか?
これは好かれるために何かをしても、好かれないということです。
評判を上げようとして努力をしても、良くはならないということです。
それではどうしたら良くなるのでしょう。
それは、簡単なことなのですが、やってみると難しいことなんです。
①嫌いな人を作らない
②苦手な人を作らない
③嫉妬心をなくす
④恨まない
⑤悩まない
⑥迷わない
⑦僻(ひが)まない
⑧怒らない
⑨当たり前をなくす
⑩頼らない
⑪楽をしない
この11か条を守れば、評判が良くなります。
自分を認めてくれない人を嫌いになります。
つまり、いつも自分に対して辛辣なことを言ってくる人は好きになれないのが人間です。人間はみんな、相手の返事に対して欲しい答えを持って話しかけています。だから、思いもよらない返事が、自分を否定していたりすれば、不快になって怒りが込み上げてしまうのです。不快な思いをさせた人を好きになれるかと言えば、余程人間ができていなければ難しいでしょう。
自分の思い通りにならない人は苦手になります。
つまり、他者から悪く思われずに、思うがままに振る舞いたいから、イライラしたり苦手意識が出たりするのです。潔く、悪く思われてもいいから思うがままに振る舞おうと決めれば、苦手な人などいなくなります。でも、みんなを敵に回してしまうけど、北朝鮮だってあれだけやっていて何とかなっているではないですか。長いことは持たないと思いますが・・・。
だからこそ、他者に不快な思いをさせたり、損をさせたりしない様にしようと思っていたら、自分の思い通りにならない人でも、腹は立たずにあしらい方が見えてくるものです。
そして、特に日本人は隣の人や、レベルの同じ人と自分を比べて、安心したり焦ったりしています。安心できるのは、同じレベルの人がいるから「みんな一緒、みんな同じ」なんて楽をしているわけです。それなのに、そのサボり仲間が出世したり成功したら、当然安心が崩れます。だから、嫉妬心で膨れ上がってしまうのです。
嫉妬は女より男の方が酷くて醜い仕打ちをします。パワーハラスメントなんて、初期段階では男性間がほとんどでした。私も新聞社でパワーハラスメントにあった時は、上司はほとんどが男性でした。
嫉妬をして苛めるのは、本人が努力をしないで自分の方が上にいようとするからです。嫉妬する暇があったら、自助努力をして自分の能力を高める努力をした方が身のためになります。
恨んだり妬んだりすると、病気になります。
ましてや、死んだ後に何かしらが残れるとしたら、肉体は焼かれてしまうわけですから、焼けない心である意識だけが残ります(あの世に行っていないから確認したわけではありません)そうなると、恨んだり妬んだり怒ったり嫉妬したりしている自分の意識通りの世界が出来上がります。
だから、嫌でも地獄にいるような状況が出来上がってしまうのでしょう。反面、愛したり親切にしたり、思いやりを持った意識でいれば、自然と天国的な状況が出来上がっていくでしょう。生きているときの意識の持ち方によって、死んだあとの世界が決まるというのは、こういう意味だったのか、と悟りました(笑)
悩んだり迷ったりするのは、損をしたくない、責任を取りたくないという及び腰の時です。誰かに損をさせたり、責任を取らせるのではないならば、挑んでみた方が良いと思う方が美しいです。損得ではなく、役に立つか立たないか、誰かが幸せになるか不幸になるか、など他者を対象して考えれば、意外と冷静に答えが出る物です。損得は自分が中心になるから、悩んだり迷ったりするのです。たとえどんなに立派な人でも、自分の事だけは分からないというではないですか。
世の中に当たり前の事など一つもないのに、いつもあるものには案外感謝ができないものです。だから楽をしてきた人は、役に立たないのですね。つまり、楽をしてなんでも当たり前に手に入ってきた人は、無くて困っている人の気持ちを理解できないし、気遣いができないからです。当たり前に手に入っていることに感謝ができれば、ヒガミもなく穏やかで気遣いができる人になります。また、無くて困っている人がヒガミ根性を出さずに、自分のような苦労はもう誰にもさせない、と思ってつくしたならば、きっと子子孫孫に至るまで幸せが続くことでしょう。
苦労をして、僻まず、いつも明るく過ごしていれば、必ず幸せになるということですね。それは、苦労が成長の問題集ということになるからでしょう。武士道協会の会員さんは、みんなで手を携えて、社会貢献をして、地球が喜ぶことをしていきましょう。

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